« 3/29のメニュー | トップページ | 3/30次男坊4歳バースデー »

2006年3月31日 (金)

自分自身への審問

Shinmon 『自分自身への審問』 辺見庸 毎日新聞社 06/3月刊

2004年3月に脳出血で倒れて以来の著作です。その後癌の手術も受けたらしくたいへんそうです。それでも辺見節、健在です。ものごとを視るときの視点や、いかにものごとの本質が視えていないか、いつも思い知らされます。

例えば、伊藤博文。
注)としてこう紹介しています。
「---明治期の内閣制度の創設者、初代首相。日本の朝鮮支配に最も重要な役割を果たした。青年時代は松下村塾に学び、尊王攘夷運動に参加。明治政府の下では開明派としてプロイセン憲法を学び、帝国憲法制定に尽力する。日露戦争後には韓国に対して第二次日韓条約を強要する指揮を執り、初代の韓国統監となって韓国併合を推進、1909年ハルビン駅頭で安重根に暗殺された。」
普通の人の持つイメージでは、幕末に活躍して初代首相になり、千円札に。といった感じではないでしょうか?終わりの方の暗いイメージは歴史の授業で習いましたっけ?

「英米系NGOイラク・ボディ・カウントの集計によると、2003年3月の開戦以来イラクではこれまでに最大で約30600人の民間人が爆撃や戦闘などに巻き込まれて殺されているという。あまりと言えば理不尽である。しかしながら、思えばこの数字、このところの日本の年間自殺者数と大差ない。日本では自殺者が2004年まで連続7年間30000人を超えた。戦争犠牲者と群れなす自殺者-両者は一見、何の関係もなさそうだ。だが、彼方の死もこちら側の死も、ともに21世紀世界の不条理を刻んでいるのであり、もっともっと考察されていい。/まず、戦争と平和の通念を考え直す必要がある。たとえば、1日に80人もの人々が自死する(未遂者を含めると推定で毎日800人が何らかの形で自死を試みるという)ような日本が果たして平和と言えるのかどうか。死者数だけで見るなら、これはもう戦争規模である。国家が自己の意志を貫徹するために他国との間に行う武力闘争を戦争と言うならば、日本は確かにいま戦時にはない。が、これはあくまでも狭義の判定であり、広義に解釈すれば、日本は目下「精神の内戦」もしくは「内面の戦時下」にあると言えるかもしれない。」

「2003年12月、閣議は自衛隊のイラク派遣を決定した。これだけでも驚天動地だが、小泉首相は派遣の根拠として憲法前文を挙げ「われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって・・・」と読み上げてみせたのだから、もはや絶句するほかなかった。時ならぬ首相の憲法朗読は前文中で最も重要な前段の文章二十行四百数十字を、恐らく故意にであろう、そっくり省略していた。それは、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し・・・」という、第九条と響きあうくだりである。」
大事なことだと思います。メディアによる情報ではおそらく後半部分は知らされていなかったのではないか。

「やけに風の強かった月曜のあの朝、私はいったい何にたまげたのだろう。十年後の今でも時折反芻するのは、糸の切れたマリオネットのように、ゆっくりと通路に崩れ落ちるサリン被害者たちのむごい姿では必ずしもない。倒れた人々を助けるでなく、まるで線路の枕木でも跨ぐようにしながら、一分でも職場に遅れまいと無表情で改札口を目指す圧倒的多数の通勤者たち。目蓋に焼きついているのは、彼ら彼女たちの異様なまでの「生真面目さ」なのである。/あれは、しかし、真に人間的な真面目さだったのであろうか。口から泡を吐き苦しみ悶える被害者を眼の端に入れながら、なおも改札口に殺到する群が、この国の民衆の原像であるとしたら、十年でそれはどう変貌したのか。サリンを撒いた加害者たちと脇目も振らず職場に急いだ人々は、「鬼畜」対「良民」といった、後の裁判で語られたような単純な構図にあったのか---十年間、私は折りに触れて考えた。/その朝、私はたまたま地下鉄日比谷線の神谷町駅構内にいた。救急隊や警察がくるだいぶ前のこと。すでに十数人が倒れており、見る間に歩行中の通勤者たちも次々にひっくり返った。外国人を地上に運び上げた私は肩口におびただしい吐瀉物を浴びた。だが、誓っていう。当初の現場にはマスコミが報じたような「パニック」などなかったのだ。不可思議な「秩序」のみが存在したのである。通勤者も、駅員も、遅れて駆けつけた記者らも、じつに生真面目だった。ただし、それぞれの職分のみに。/・・・/さて、95年の生真面目にして酷薄な民衆像はいま、どう変わったのか。私は基本的変化はないと思う。いや、事情はさらに高じ、さらにねじれてきているようだ。マネーゲームの勝者など、いうところの「勝ち組」を讃えるこの社会には、上部の支持に逆らってでも貧者や弱者の側に立つ自由な「私」の数は明らかに減ってきている。・・・」

抜書き、疲れた。
評価:8点

|
|

« 3/29のメニュー | トップページ | 3/30次男坊4歳バースデー »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/17887/1225241

この記事へのトラックバック一覧です: 自分自身への審問:

« 3/29のメニュー | トップページ | 3/30次男坊4歳バースデー »