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2007年12月31日 (月)

ぼくの血となり肉となった500冊・・・

500 『ぼくの血となり肉となった500冊そして血にも肉にもならなかった100冊』

立花隆 文藝春秋 07年01月刊

週刊文春に連載している「私の読書日記」をまとめたシリーズ第三弾。前半に書き下ろしを収載。

以下、抜書き。#は私の感想。大量に抜粋した。

 
書店にならぶ本は、その書店の店員の眼力をそのまま反映している。

#同感。本屋に行くのが好きだが、いい本屋だと限られた時間では店内を回りきれないことがある。

 
雑誌作りのプロセスが細かく分業化されていて、取材記者、編集者、最終執筆者、割り付け構成者の仕事が完全に分離されています。ライターというのは、書くことだけに徹する最終執筆者で、アンカーマンともいう。アンカーはまとめの専門家で、最初の企画段階、取材段階には嚙まない。企画と取材の指揮にあたるのは編集者で、取材はデータマンと呼ばれる取材専門記者が行なう。〆切日に取材記者が取材原稿を書きあげると、それを編集者が読んで、コンテを練る。取材原稿の束とコンテをアンカーに渡し、まとめの文章のムード、タッチなどを指示する。女性週刊誌の場合、まとめの文章のエモーショナルな調子が大事なんです。(略)読者を泣かせたり、怒らせたり、笑わせたり、感情移入のテクニックが必要になります。要するに、アンカーは、そういうテクニックを自由に使いこなす職業的な「文章のまとめ屋」のわけです。与えられた材料を、与えられたコンテクストに従ってならべ、指示された調子、ムードで書いていく、プロフェッショナルな「書き屋」です。職人仕事です。

#一人で取材して一人で記事を書いてるもんだとばかり思っていた。

 
アメリカはリンカーンのいうような、「人民の、人民による、人民のための政治」が行なわれている国というより、「大金持ちの、大金持ちによる、大金持ちのための政治」が行なわれてきた国であって、その大金持ちの中核にいるのが石油産業資本家です。石油と大金持ちというか、アメリカ金融資本と石油メジャー、そしてアメリカ政治の三位一体構造が見えてこないと、アメリカという帝国の真の姿が見えてきません。

#とりあえず、ブッシュはいらんよなあ。

 
『エーゲ 永遠回帰の海』は、ぼくが書いた沢山の本の中でも、内容的に三本指に入る本だと思うし、おそらく、これから数十年にわたって、読まれつづける本になると思っているのですが、なぜか思ったほどは売れません。理由のひとつは、内容の知的水準が高すぎたことにあるのかもしれませんが、(略)内容的には、思想哲学・古代史・宗教・考古学・美術史にかかわる本なんですが。

#こうまで言われると手が出ない。哲学関係の話はさっぱりわからんし、立花隆の本で、開く度に寝てしまって途中でうっちゃってるのもあるし。。

 
沢山の大学者を取材してわかったことは、本当の大学者ほど、何がわからないかをきちんといってくれるということです。あらゆる科学の世界において、実はわかっていることよりわからないことのほうがはるかに多いんです。小さい学者は、自分の研究で何がわかって、それがいかに意義ある発見かということばかり懸命に語る。中くらいの学者になると、その学問の世界全体の中で自分の研究・発見の大きさを客観的にちゃんと位置づけて語ることができるようになる。そして大学者になると、自分個人の研究だけでなく、その領域の研究全体がまだどれほど遅れていて、どんなにわからないことばかりなのかを、きちんと語ってくれます。大学者になると、研究の全体像が見えてくる一方で、知りたいことの全体像と方法論的に知りうることの全体像もまた見えてきますから、(略)

#全体を俯瞰することはいろんなことにおいて共通して重要でしょう。

 
太閤秀吉の刀狩り以来、人民武装の権利を廃絶した日本と、憲法の人民武装の条項は民主主義を守るためにも絶対守るべしとする人々が多数派を占めるアメリカ(だから銃器規正法を作ろうとしても絶対に通らない)とでは、ここがお互いにいちばんわからない価値観の断絶部分です。

#刀狩り以来とは気付かなかった。秀吉の存在意義は大きいということか。

 
日本はバブル回避の方策をとりえたかと問い、それはほとんど不可能だったというのが、(略)日本はアメリカから対米黒字削減のために内需拡大策をとることを強く求められていた。おまけに87年10月にアメリカ株式市場で起きた「ブラックマンデー大暴落」以後、日本の低金利が世界の金融市場を下支えしており、日本が金融を引き締め高金利政策に転じたら、日本発の世界恐慌が起こると考えられていた。同じ時期、似た立場に置かれていたドイツはいち早く金融引き締めに転じていた(おかげでバブルを発生させなかった)。日本にそれができなかったのは、日本経済(政治も)の対米従属度がそれだけ強かったということである。またドイツ連邦銀行が政治から独立していたのに、日銀は政治に従属していたからである。

#対米従属はいつまで続くことやら。。

 
竹下登『政治とは何か 竹下登回顧録』(講談社 1800円)をひもといて啞然とした。政策研究大学院大学の伊藤隆教授と御厨貴教授をインタビュアーにして、97年10月から99年3月まで、月1回2時間のインタビューをして作られた本だが、中身らしい中身がおよそ何もないのである。自身総理大臣を一年余にわたってつとめたのみならず、長期間にわたって、政界最高の実力者として、日本の政治に君臨してきた人なのだから、国家経綸の術について何か一言なりと学ぶところがあるはずと期待するかもしれないが、そういうものはゼロである。政治哲学のようなものは、何もない。日本という国家がいまどういう問題をかかえていて、これからどうすべきなのかといった、あるべき政治の展望を語るような要素も何もない。竹下を評して、よく「気配りの人」といわれてきたが、あるのは、自分がどういう気配りをしてきたかという話だけである。自分が短命内閣の短命大臣にしてしまった政治家に、何年かかってもその「損失補填」をしてやったというような話がつづくだけなのである。読んでいると、日本の政治に対する恐ろしいばかりの絶望感におそわれてくる。このような空虚そのものというべき政治家があれだけ長期間にわたって政界随一の実力者でありつづけられた日本の政治の構造そのものが誤っている。(略)やっぱりこの人は、政治家として人格識見ゼロということがよくわかる。小沢一郎の次の評言ですべてがつきている。「目配り。気配りがきき、金配りにもたけている。が、カリスマ性があるわけでも、政策能力があるわけでもない。気配りだけでこれだけ長い間権力にいる人はめずらしい。自分の思想・哲学がないからだれとでも合わせることができるのだろう」

#すばらしいコメントだ。

 
マヤ暦によれば、世界は2012年に滅びることになっている。

#2012年が近付いたら、マヤ文明盛り上がるかなあ。

 
カルロス・ゴーン、フィリップ・リエス『カルロス・ゴーン 経営を語る』(日本経済新聞社 1600円)を読んだら、ゴーンは人間としてとても興味深い人だということがわかった。(略)その家族的バック・グラウンド(ブラジルとレバノン)と教育的バック・グラウンド(フランスの最高のエリート教育)がどれだけ多くのものをゴーンに与えたかが語られるくだりで、日本人の全く知らない世界が語られ、これが非常に面白い。またビジネス社会(ミシュラン)に入ってからの初期OJTが、その人を作りあげるために、どれほど大切かもよくわかる。(略)これは経営学の本というより、人間学、社会学の本で、そういう本として面白いし、実に考えさせられるところが多い。

#読みたい本リストに追加。

 
山田規畝子『壊れた脳 生存する知』(講談社 1600円)。著者は、東京女子医大を卒業して10年ほど医師の経験を積んだあと、33歳で実家の整形外科病院長になった。しかし、翌年脳出血で倒れ、脳梗塞を併発。「高次脳機能障害」の後遺症に苦しみ、医者は再起不能と見て「余生はのんびりされたら」とすすめるが、リハビリにつとめ、2年半後には、リハビリ専門医として、医療現場に復帰した。/前回出血から3年目の01年に、再び脳出血。直径8センチの大血腫ができ、緊急手術で取り出したら750グラムもあった。植物状態になることはほとんど確実というところで、命はとりとめたが、左不全麻痺の後遺症に苦しみ、空間性認知障害、記憶障害、言語障害、注意障害など、多くの障害に苦しみつつ、再び老人保健施設の施設長として現場復帰した。/いまでも周囲の人に助けられつつ生きている身だが、こんな本を書いてしまうところまで脳が戻ったのだから大したものだ。/脳卒中(脳出血と脳梗塞)について書かれた本は数々あるが、ほとんどが、患者を外側から見て書かれた本だ。医者が4度も脳卒中になり、そのたびに復帰した患者として、脳卒中で起こる諸症状を急性、慢性含めて内側から詳細に記録した、世界的にも医学的にも稀有な本である。/この本によって、脳卒中患者の内側が本当に見えてくる。(略)著者がいうように「どんな脳でも必ず何かを学習する」のであり、どんなひどい脳内イベントからでも少しずつ立ち直ることができるということを今から肝に銘じておこうと思った。

#これも読みたい本リストに追加、優先で。

 
中曽根康弘『自省録』(新潮社 1400円)がよく売れているらしいが、内容はつまらない。/ほとんどが自分の政治生活の回想だが背伸びした自慢話が多いのにうんざりする。自分がいかに大物か見せたくて、レーガン、ゴルバチョフと対等のやりとりをしたとか、田中角栄と対等にやりあってきたなどと書けば書くほど、その裏がすけて見えて(全くの格落ち)、わびしくなる。2003年の衆院選で、「比例代表終身一位」の約束を小泉から反古にされたのがよほどくやしかったらしく、そのことをくどくど書くが、引退させられて当然と思う。(略)面白いのは、序章のくやしまぎれの小泉批判ぐらいだ。「毎日夕方、官邸でテレビの質問を受け、簡単にイエス・ノーをはっきり答えてすぐ引込んでしまうあの自信と気力で50%の支持が続いています」「物事を瞬間的にとらえて結論だけ言うことにかけては天才的です。しかし、それはしょせん『瞬間タッチ断言型』の瞬間芸にすぎません」(略)読み終わって腹が立つのは、中曽根こそあのバブルの時代を作った最大の責任者であるというのに、それに対する反省がゼロであることだ。

#今の政治家に比べて中曽根はまあ評価していたのだが勘違いだったようだ。

 
オリバー・ストーンの新作「アレキサンダー」、アメリカではさっぱり当たってないが、ヨーロッパでは当たっている。観客の質のちがいだろう。これはハリウッド的な派手派手しい歴史活劇ではなく(そういう場面もあるが)、むしろヨーロッパ好みのオリバー・ストーン流ドキュメンタリータッチの歴史ドラマなのである。/ハリウッドの歴史劇はドラマを盛り上げるために、史実なんか無視して、フィクションをどんどん取り入れてしまうのが普通だが、この映画はほとんどが史実にもとづいている。たいていの人がこれはフィクションにちがいないと思う場面でも、実はちゃんとした資料の裏づけがある。(略)では、この映画はすべて史実かというと、そうではない。(略)残忍な側面は、映画ではあまり描かれていないし、アレクサンダーが戦いに敗北したり、あるいは味方に裏切られるなどして地獄の苦しみを味わうところなどもほとんど描かれていない。

#観たい映画のリストに追加。

 
1947年にアメリカで作られた超音速実験機X-1号は、実は桜花を模して作られたものだったというのだ。ロケットエンジン搭載機X-1は人類史上はじめて音速の壁を突破した名飛行機だ。/桜花は、1200キロ爆弾に最小限の操縦装置を付けた特攻専用機で、自力飛行能力は最初からなかった。戦場まで、一式陸攻の爆弾倉につり下げられていて、ターゲットの近くで放り出される(このとき時速370キロ)。3本のロケットを装着していたが、1本12秒しかもたず、航続距離はほんの少しだった。まず1本に点火して時速800~900キロまで増速し、目標艦のすぐ近くまできて、残り2本に点火し、突入時1000キロに達していたと推定される。音速は1200キロだから、ほとんど音速である。(略)終戦時残存していた数十機の桜花は米軍がすべてアメリカに持ち帰り、徹底解析していた。それをマネたのだ。

#零式は有名だが、桜花は初めて聞いた。日本の技術力の高さをアピールするためにも、もっとメジャーになっていいと思う。

 
三浦雅士「ヒトラーをはじめゲッペルスとかあのへんをぜんぶ祀って、『俺たちはドイツ国民なんだから、お参りする。これは俺たちの勝手だろ?』ってやった場合、隣近所の連中がどう思うかですよ。小泉首相の論理は『もう謝ったじゃないか、金も払ったじゃないか。ヒトラーだって気の毒だ。罪を憎んで人を憎まず』という論理ですよ。それを言っていいのはユダヤ人であって、ドイツ人じゃない。(略)それと同じことを小泉純一郎はしているんですよ。『これは内側の問題だから、ヒトラーを祀ろうが、東条英機を祀ろうが、勝手じゃないか』というのは盗人猛々しい。だって、隣の家の不良の息子に自分の家の娘が犯されて殺されちゃったと。不良の息子が死刑になって数年後に、隣の家でそいつの等身大の像を作って拝みはじめて、『いやこれは今後こういうことが起こらないように祈っているんだ』とか何とか言っても、これはぞっとする。(略)東条英機のことを拝みたいなら自分の部屋で拝んでほしいよ。趣味の問題だからね。ヒトラーのことを好きだっていう人もいるわけだから、それはしょうがない。でも、それを国家的な事業にしてはいけない」/私は三浦の意見に賛成である。

#当然、賛成。

 
加藤紘一というと、2000年の「加藤の乱」の失敗以降、(略)もう政治的には過去の人かと思っていたが、『新しき日本のかたち』(ダイヤモンド社 1600円)を読んでみたら、終わった人どころか、この人の政治的識見も、政治的意欲も今なお健在だと思った。(略)長らく政治の中枢にいた人だけに、これまでの自民党政治の分析(政官関係)など特に面白い。たとえば、日本で本当に「国のあるべき論」を考えていたのは、大蔵省主計局の幹部であって、自民党の国会議員などというものは、「『政治家』ではなく、行政(官僚)から出される法案の『法律上げ屋』というのが実態に近かった」とまでいっている。自民党政治というのは、官僚という家庭教師に指導されて、そのふりつけ通りに上手に踊る政治家が出世する政治体制だったのである。(略)YKKの内側を語る章を読むと、小泉という政治家が、およそ政策を論ずるなどということとは無縁の政治家だということがよくわかる。「あまり政治家は勉強や、議論をしてはいけない」が口癖で、「人の話を一生懸命聞いたりすると、結論を迷う。そうするとメッセージが非常に曖昧になる。それよりも自分が一番初めに感じた直感で行動を進めていくのが正しいんだ」が、小泉のモットーだった。YKKが会っても、むずかしい政策的な議論はほとんど加藤・山崎のYK間で行なわれ、小泉はコップ酒を飲みながら、「時たまワンフレーズ的にズバッと意見を言う」だけだったと言う。/そういう中身がない政治家に国民的人気が集まり、選挙で異常なほどの勝利をおさめてしまった2005年体制がこれからどう転がっていくのか。いまの日本は全方位的に難問をかかえているというのに、これほど政治的識見がない総理大臣を頭にかかえて、日本はこれからどうなるのか。どうしようもない焦燥感にかられて、この書の筆をとったというが、私も同じ焦燥感を共有している。(2005年12月)

#加藤紘一は私が最も信を置いている政治家(私は反自民ではあるが)。加藤の乱は本当に残念だった。

 
西成活裕『渋滞学』(新潮選書 1200円)は、科学的読物として、最近出色の面白さである。(略)話は車や人の渋滞からアリの行列の渋滞、インターネットの渋滞、マネーフローの渋滞、血流の渋滞、タンパク質合成の渋滞などに広がっていく。/領域をこえた渋滞現象を解明していく中で、臨海密度、相転移、メタ安定状態、人間を自己駆動粒子とみなす考え方、粉粒体の物理、社会性昆虫のスオーム・インテリジェンス、多体衝突、パーコレーションなどなど、普通は個別科学の中でのみ用いられているさまざまの基礎概念が利用される。それらの基礎概念は、他の領域に持ち込んでも、驚くほど切れ味のよい思考の道具として機能する。世界の見え方が変わってくることうけ合い。

#食指が動く。もちろん読みたい本リストへ。

 
評価:9点

 
ちなみに「私の読書日記」シリーズ第一弾
「ほくはこんな本を読んできた」
Photo_4
評価:8点

第二弾
「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」
Photo_5
評価:7点

最近、採点が甘いかも。

 

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