腰痛再発
なぜ?
朝起きたら腰が。。
ちょっと痛いなあ、という程度だったのに、普通に日常を過ごしていたら結構痛くなってきた。
変な姿勢で寝てた?
ふくらはぎを肉離れしてから2ヶ月経過、そろそろ「走」も復活しようかと思っていたが、、
もうちょいおあずけ。。
なぜ?
朝起きたら腰が。。
ちょっと痛いなあ、という程度だったのに、普通に日常を過ごしていたら結構痛くなってきた。
変な姿勢で寝てた?
ふくらはぎを肉離れしてから2ヶ月経過、そろそろ「走」も復活しようかと思っていたが、、
もうちょいおあずけ。。
献血した。
毎年、2月と8月に献血バスが会社に来て、組合から献血のお願いがくる。私にとっては唯一といってもいいボランティア。毎回必ず募集に応じているが、前回の8月は池田の大会のため欠席、前々回の2月は海外から帰国して4週間以内はダメという理由で強制的にパス。なので2年振り。献血手帳が電子化された。
寒かったせいか、400cc出すのにいつもより時間がかかった気がする。
年のせいだとは思いたくない。。
①ライブDVD明日発売
これが今日届いた。やるなamazon。
予約特典がないのが残念だが、発売前日に宅配されるし、何と言っても安い。
ファンサイトなんかではツアー終了まではネタばれとかいって画像を載せたりするとえらいヒンシュクだが、ここではおかまいなし。ライブ行けない者にとってはネットに上がってくる情報はありがたい。
③「HEY!HEY!HEY!」3/10(月)出演
久しぶりのTV。どうやら新曲披露という噂。楽しみ~
歌&ダンスは今からたっぷりDVDで堪能できるけど。
ライブ内のお薦めはそのうちここでもYoutubeで紹介予定。
いらんと言われても紹介するで。
『オンリー・イエスタディ』 石原慎太郎 幻冬舎 08年1月刊
著者の昔の知り合いについて書かれたもの。18章からなり、1章に1人だったり、数人だったり。けっこう個人的な作品。
若い時分えらく遊んでた様が村上龍と少しダブった。えらく違う人物だが。
以下、抜書き。#は感想。
・・・理解力だけではなしに理解したものの咀嚼力、さらに咀嚼した知識を踏まえてのことのハンドリングはそれぞれ位相の異なる能力だろうが、さらにその上に新しい思いつきの出来ることが、いわゆる「出来る人間」の絶対必要条件なのだ。/そしてその絶対必要条件を培ってくれるものは、その人間の感性に他ならない。感性は天与のものと考えられがちだが必ずしもそうではない。努めて試みれば、自ら開発可能なものなのだ。/それは何でもいい自分が熱中できる趣味を持つことだ。ペットを飼う、何かスポーツを手掛ける、将棋をさす、俳句をひねる、とにかく何でもいい、他人の真似ではなしに自分で選んで好ましいと思ったことを手掛けることだ。/はたが何といおうと自分が本気で熱中出来る趣味を持ち、それに耽溺することで、さまざまな工夫が強いられ、工夫の努力と楽しみの内に脳が開発され、それが発想力だけではなしに、脳のある酵素の刺激が多角的に及び、今までに備わっていなかった情念が開発付与される。/大脳生理の原則として、何であろうと自ら工夫を凝らすという作業こそが人間に幅を与え、頭の回転を速いだけではなしに多角的なものにしていくのだ。
#何か最後はちょっとあやしい。
過ぎた物事について「もし」というのは禁句だろうが、この日本をずたずたにしてしまった財政の破綻は、歴代の橋本、宮沢、三塚といった多くの無能な大蔵大臣が政治家としてその責を負うべきだが、誰を眺めても財政の勘どころを全くつかんでいなかったあの連中の代わりに、渡辺美智雄がもしももう少し長く大蔵大臣を務めていたなら、日本の財政の惨状はここまでには至らなかったのではないかと私は思っている。
#石原慎太郎はえらくミッチーをかっているようだ。
おもしろかったけど、あまりに個人的回顧録のような感じなので、
評価:7点
昨晩は奥さんの実家にお泊り。滋賀県草津市。
普段は屋根のあるところに停めているし、雪が積もるようなところへは遊びに行かないし、STEP-WGNにとっては初冠雪。
道路が積雪してなくてよかった。まだチェーン装着の経験なし。。
次男坊、生活発表会。年長なのでこれが最後。
劇は「オズの魔法使い」。役はブリキ。
合奏ではシンバル。
今日初めて三脚を使ってビデオ撮影した。楽チンだった。
もっと早く入手するべきだった。
その分デジカメで撮る余裕ができたが、いかんせん旧いカメラで画質が、、
室内でちょっと距離があると全然ダメだ。買い替えたいなあ。。
「泳」復活。
1500+Frキック50×4本+Fr50×4本+ダウン50
=1950
泳ぐのは1/9以来。あばらにひびが入ってたから泳げなかった。
あばらのひびはネットで調べると全治4週間くらい。まさしく4週間くらいで痛みは引いた。大事をとって紀ノ川スカイグランプリが終わるまで泳ぐのは我慢してた。2月第3週はいろいろ忙しく時間作れず。第4週こそ泳ぐつもりにしてたが、月:のどが痛い、火:痰がからむ、水:鼻水が・・、木:様子見、ということでようやく本日決行。少々痰がからみながらもぼちぼち泳げた。
1500は11/14以来。26分10秒。
3か月以上空いたわりには軽く泳げた。泳げるもんなんや、と自分でもびっくり。
来週は月末なのでまたもや時間を作れそうにない。
が、とりあえず復活できてよかった。
ライブDVDのダイジェスト版がYahoo!動画で見れる。
わずか2分半だが、前回紹介したオープニング曲よりいい。衣装も5パターン見れるし。
すぐに見たい人は↓
Yahoo!動画で見る方が大きいし画質もまし。
でもやっぱりDVDで見る方がいいでしょ。
amazonなら5040円が3730円!
でもいちばんいいのはもちろん生。。
大阪は今日で終了。今年度もライブあるかなあ。。
『人生への恋文 往復随筆』 石原慎太郎 瀬戸内寂聴
文春文庫 1月新刊 (単行本は03年10月刊)
石原の書いた随筆に瀬戸内が随筆で答えるというのを1セットにして21セットから構成される。本文中に瀬戸内が書いていたが「あなたとわたしの楽しい一か月に一度の活字デート」。
石原慎太郎はよく読んでいるが、瀬戸内寂聴は初。相変わらず尖っている石原慎太郎に対して、その先端を丸く包み込むような瀬戸内寂聴。なかなかよかった。
以下、抜書き。#は感想。
わたしも数え八十になった今もまだ肉体も感性も枯れてなんかいないと自負しています。日本人はよく年をとったら枯れるのが美徳のように言いますが、とんでもないまちがいです。特に芸術家は死ぬまで枯れたり出来ません。枯淡の味なんて真平御免です。/枯れた芸術家なんていうのは、要するに耄碌したということで、ものなどつくるのはやめるべきです。
#元気な婆さんだ。
・・・個性の発露である自分の感性、情念の赴くままに生きるということの大切さではないかと思います。芸術というものはそれでなくては成り立ちはしないが、芸術家に限らず他の誰だろうと、それぞれの個性という人間の尊厳の表象をもう少し大切にして生きたらと思います。誰しもがそう心掛けたらこの世の中はもっと生き生きとしてダイナミックなものになると思いますが。/しかしまあ他人はどうでもいい、肝心のこの自分がいかに自分を通しきるかということです。
#確かに、この人(石原)はかなり自分を通している。
人生の転機というのは、生涯に繰り返し訪れるもののようです。その転機は決して誘ってくるものでもなく、願って訪れるものでもないようです。突然、雷のように落ちてくることもあれば、霧のように足音もなく、いつのまにかひしひしと自分を取り巻いていて、ある日ふと、その濃さに気づいた時、それを転機として捉えるのではないでしょうか。常に心が緊張し、神経を研ぎすましていなければ、いくら転機がサインをよこしてくれても、それに気づかないで見逃してしまうことがあるのでしょう。
#こういうことはいろんな本に書かれていて別に珍しいことではないが、改めて心しておこうと抜粋した。
昔は日本海岸でしか口にすることの出来なかった甘エビなどという美味は、いかに足の早い、つまり腐りやすい食品だろうと今では国土を横断するハイウェイの完備と、冷凍庫の発達で収穫から一夜にして東京まで運びこまれ、ちょっとした料理店ならどこででも口にすることが出来ます。/しかし東京の築地の河岸の市場にいってご覧なさい。朝地方からやってきた何十台という大型の冷凍トラックが河岸の前の道路にひしめいて止まり、市場が開くのを待っている。どの車もエンジンを切れば冷凍が止まり、運んできたせっかくの物が傷むからアイドリングしたまま時を待つ。その車たちが排出する膨大な量の排気ガスの汚染は東京中に拡散されていく。といった文明の便宜性、それが保障する快適性のもたらす悪しき循環の事例は無数に近くあります。/それをいったいどう調整したらいいのか、もう実は誰にもわからない。私たちはもう昔に戻ることは出来ない。ならばどこに向かって、何を目指して進んだらいいのか、実は誰にもわかっていないし誰もわかろうとはしない。/環境問題については、しょせん誰もが場当たり、その場しのぎの状況主義でしかありはしません。アメリカのような先進国が、地球の温暖化防止のために地球全体のCO2の排出を軽減しようという京都での議定書に参加しないのは端的な例であって、しかしそれがどの国どの人にとっても共通のスタンスでしかありはしない。
#悲しいかな、その通り。。
評価:8点
アムロちゃん2007~2008ライブDVD 「namie amuro PLAY tour 2007」 2/27発売。
オープニングの「Hide & Seek」がMTVでオンエアーされた。
残すは4本。
2/20-21:大阪(グランキューブ)
2/26-27:神奈川
今年は事情により行けない。とりあえずDVD予約だ。
今さらネタばれでもないだろ。
ヤフーオークションに出されていた盗撮写真を載せてしまおう。
やりすぎ?
先日カツラさんからコメントいただきました。
カツラさんのブログをリンクに追加。
気になるあのエリアの今日の飛びは?に板敷として。
同じく、
気になるあのエリアの今日の飛びは?の竜門(UPパラ)と足尾(SET)のリンク先修正。
その他、
気になるあの人たちの今日の飛びは?のウッシーのリンク先修正。
以下はリンク消去。
去年の世界選オフィシャルサイト、アムロちゃんの海外ファンサイト(消滅のため)。
このブログのリンクは、自宅以外でのネット環境におけるブックマーク代わり。
なので、もうちょい整理するつもり。
『アマデウス』
今日、NHK-BSで放送された。久しぶりに観た。1985年公開のとき、劇場に観に行った。高校生だった。とても感じ入ってサントラ盤も買った。今も残してるはず、レコード。。
今日のはディレクターズカットというものらしい。20分ほど追加されているらしいが、23年前なんて覚えてるはずもない、こんな暗い映画だったっけ?
アカデミー賞8部門受賞。やっぱり名作はいい。
評価:10点
【成果】
苦手な竜門で6位というそこそこの結果を残せたこと
苦手、、ホームエリアなのに。。
2006
西富士:9位 竜門:23位 十分一:3位 池田:2位 足尾:7位
2007
竜門:13位 板敷:5位 十分一:1位 池田:6位 足尾:4位 竜門:13位
2年続けて足を引っ張ってくれたのは竜門。。
今年は何とかこらえた。
幸先の良いスタートといっていいかも?
【反省】
総合成績は6位だが、デイリーの成績は、1本目:10位 2本目:14位 3本目:10位
胸を張れる飛びがまったくない。。
個人的には2本目を大いに反省すべし。
得意とするタスク及び条件だったが早々にあきらめてしまった。
問題は船戸以西。明らかにコースが間違っている。
パイロンの老人ホームではなくサブランの川辺の湯を目指している。いろいろ言い訳はあるが所詮は言い訳。川辺の湯サブランへ降りた後、ずっと山を見ていたが、ゴールした2人の飛びはとっても良い飛びだった。
最後まであきらめない、自分の信条を再確認して次に臨もう。
『カルロス・ゴーン 経営を語る』
カルロス・ゴーン+フィリップ・エリス 日本経済新聞社 03年9月刊
昨年末レポートした立花隆「ぼくの血となり肉となった500冊そして血にも肉にもならなかった100冊」の中で紹介されてて、ここでも紹介し、読みたい本リストに追加していた本。
そのときに書いた部分(抜書き)をそのまま再掲。
カルロス・ゴーン、フィリップ・リエス『カルロス・ゴーン 経営を語る』(日本経済新聞社 1600円)を読んだら、ゴーンは人間としてとても興味深い人だということがわかった。(略)その家族的バック・グラウンド(ブラジルとレバノン)と教育的バック・グラウンド(フランスの最高のエリート教育)がどれだけ多くのものをゴーンに与えたかが語られるくだりで、日本人の全く知らない世界が語られ、これが非常に面白い。またビジネス社会(ミシュラン)に入ってからの初期OJTが、その人を作りあげるために、どれほど大切かもよくわかる。(略)これは経営学の本というより、人間学、社会学の本で、そういう本として面白いし、実に考えさせられるところが多い。
帯にある文言↓
「経営者がやるべきことの中で最も重要なことは従業員のやる気を起こさせることだ。彼らのやる気こそが価値創造の源泉となる。」
まさにそのとおりだと思う。
03年9月刊だが、1999年10月に発表したリバイバルプランが1年前倒しで達成されたのが2002年なのでその後に書かれたもの。書かれたといっても、1年がかりで行なわれたインタビューをもとに作られたもの。
99年当時は、日産が売り出していた43車種のうち、わずか4車種しか黒字を計上していなかったらしい。
以下、抜書き。#は私の感想。
普通、再建計画というのは、工場の閉鎖などの“過去の清算”と、新しい事業の展開など“未来のための準備”という二つの目的からできあがっている。・・・だが、衰退している会社では、再建計画を立てる時に、この“未来のための準備”という側面が軽視されていることが多い。・・・過去の計画で行なわれたことは、事務所の清掃は月に一度に減らすとか、事務用品は個人で買うようにするといったばかばかしいやり方で、従業員の士気をくじくだけのものであった。まるで日産の再建が鉛筆と消しゴムの費用にかかっているかのように・・・。
#ほんとにこういうことはかんべんしてもらいたい。
ミシュランに入った時、私は一介の技術者に過ぎず、それもブラジル生まれで、フランス国籍も持っていなかったのです。それが今日、日産の社長を務めています。今の私があるのは理工科学校を出たからでも、一流の技術者だからでもありません。それは私が周囲の人々の力を集めて、なにがしかの事柄を実現してきたからです。その際、私の助けになったのは、学校で学んだことではなく、“人々にやる気を起こさせる”ために私がしたさまざまな工夫でした。
#やる気をなくさせる、ような体験はこれまで多くしてきた。反面教師としなければ。
期待したほどではなかったので、
評価:7点
(05年12月には文庫されていた。知らずにハードカバーを買ってもうた。。)
北風 雲底1000
TO→九度山→牛→老人ホーム→竜門L 約60kmタスク。
ゴール2人、オーヌマさん、京ハンアキヨシさん。老人取って川辺の湯サブランがセトヤマさん。老人取ってアウトサイドが6、7人?老人届かず川辺の湯サブランが3人、私はここ。きれいどころが九度山取れずに三谷サブランに大量撃沈の大波乱。
さあ、上位はどうなったかな?
写真はめっちゃ積雪してたTO。
追記:本日の成績→これ
早々にキャンセルしたらしい。
今日のタスクは先週に続いておかん外出作戦。
しかし、雪のため妹宅の車出動できず。こちらも次男坊発熱中につき、長男坊と2人のみで人手不足。なんにせよ雪が降ってるような寒い日に、寝たきりの病人を外へ連れ出すのはおかしいし、タスクキャンセル。
次なるタスクを病院からの帰宅途中にメールで言い渡される。雪で出れないからと。
「ばら肉、長芋、焼きそば、ニンジン、もやし、パン、アイス、ヴィダーインゼリー、おやつ。
長芋は小さいのでいいよ。」
家へ帰ると、こんな感じ。
ノーマルタイヤではけっこうギリやった。。
北西 雲底1300
TO→JR→Lタン→タイムリー跡→城→牛小屋→竜門L→九度山G 43km
大量ゴール。ちょっとタスク短いわなあ。
トップゴールはワダッチ、続いてイタサン、ミノル。
その次に集団で、ダイモンさん、シショー、ヒラバヤシ、ユージ。
少しあいてヒロミさん、さらに少しあいて私、ムラマツ、カツラさん。
以上が着順トップ10。このうち2回目スタートがダイモンさん、ヒラバヤシ、ムラマツ、カツラさん。
最初が渋く、13:30の1回目のスタートゲートのとき雲底にいたのは私のみ。で、珍しくトップでスタート。次のLタンではワダッチとユージに先を越され、その後続々と追いつかれ追い抜かれ、竜門Lから山に戻ったときに10分遅れ組に追いつかれ追い抜かれた。みんな低く動くなあ、勉強になるなあ。。
どうもオフィシャルパソコンの調子がいまいちらしく、成績アップは時間がかかりそう。
→午前3時に集計終了したらしい。マツとムタ、ごくろうさん。成績は→これ
降りてから、朝から次男坊が39度の発熱との連絡あり、高速すっとばして帰宅。普段2時間~2時間半かかるところをめいっぱい高速使って1時間40分で帰宅。病院の診察時間にまにあった。よかった。診察の結果、A型だって。はい、うつらないようにします。
先日の20年祭の折、来海さんの企画で、鈴木さんに関するエピソードを集めてご両親にお渡しするということが行なわれました。同じものを出席者全員に配っていただきましたが、すごい、の一言。阪大PFCではいっしょに飛びに連れて行ってもらった最後の世代となる私の書いたものも入れていただきました。それを上げておきます。①については過去にここでも書いたものです。
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鈴木さんのエピソードといっても短いお付き合いでしたのでネタは持ち合わせてはおりません。ただ私にとって鈴木さんはたいへん重要なポジションの方であり、その辺りのことを書きます。
①私とHGとの出会いについて
一浪時代、日曜のお昼にTVで「鶴瓶と花の女子大生」という番組をやってました。花の女子大生ですよ、浪人中だし見るでしょ!その中に「今週の若様」というコーナーがあって、身近にいるかっこいい男子(今でいうところのイケメン)を紹介してまして、そこに阪大でハンググライダーをやっているという人が出てきて、この人がかっこよかったんですよ。当時は阪大ではなくて京大目指して勉強してたので記憶に留めていたにすぎなかったんですけど、諸般の事情で目標を変更することになって阪大に入学しました。で、すぐにHGのサークルを探して入部した、というわけでは全然なく、その存在は確認しつつ、別のサークルをいろいろ物色しておりました。第一希望の軟派なテニスサークルからは定員オーバー、もう男子はいらん、と言われ、高校まで水泳をしていた私はウィンドサーフィンがしたくてそのサークルを探したが見つけられず、他にもいろいろ話を聞きに行ったりして何をしようかなあとぼやぼやしているうちに、同じ高校から阪大に入学した野竹君、中島君がPFCに入部し、また同じ学科の大槻君がPFCに入部し、彼らの勧誘もあり、じゃあやってみようかなあ、とまったく主体性を持たずして阪大ハンググライディングチーム(PFC)に所属することになったわけです。入学前からのインプットがそういう方向へ私を押したのかもしれません。
というわけで、私とHGとの出会いは、鈴木さん、です。
②初クロカン
四国へのツアーに何度か連れて行っていただき、鈴木さんや来海さんのクロカンの回収を奥田さんの回収教室のもと何度かやっておりましたが、ついに自分がクロカンに出るチャンスがやってきました。鈴木さんがなぜか戸上さんのボールのバリオを持っておられそれを貸していただいたのです(戸上さん、今まで内緒にしてました、ありがとうございました)。徳島県美馬町の三頭山からTO後、同じサーマルの上の方からどんどん先輩たちが東へ出て行きます。そして私も上昇しながら始めて見るアルチの表示から目が離せず、よし1300になったら出て行ってやろう、と決心し、その1300の数字を見るやいなや東へ向かいました。そして次のサーマルで上げグライドするも、どうも向かい風っぽい。。後で聞くと賢明な来海さんはランディングに戻ったらしい。そんなことはおかまいなしにグライドするもみるみる高度はなくなり降ろす場所を探し始めると降りているグライダーを発見し、その真横にランディングしました。そのグライダーの主は鈴木さんだったのです。私にとっての初クロカンは、鈴木さんと同じところまで飛んだ!ということでたいへんうれしいフライトとなりました。その横で鈴木さんは、TOが見えるところに降りてしまうなんて、、とがっくりきてましたが。。距離にして13.2km。今ではクロカンとは呼べません。。そんな私の記録も今ではそれからちょうど200km延ばすことができました。
213kmの日本記録を出したときのうれしさも、13kmの初クロカンのときのうれしさも私にとってはまったく変わりません。
阪大ハングチームPFCのOB、鈴木さんが亡くなられて20年。
本日、鈴木さんのご両親と共に20年祭が行なわれた。
まずは、北摂霊園にてお墓参り。
よりによってこんな日に積雪。子供たちは大喜びだが。。
霊園管理事務所まではノーマルタイヤでも辿り着けたが、そこからお墓まではスタッドレスタイヤでないとダメ。車7台のうち3台を残してピストン輸送。
お墓にはお花と好きだったスーパードライ。
場所を移して会食。
乾杯の音頭はPFC創始者の永山さん。
会場風景。約40名。
昔の映像を映しながら、昔話に花を咲かす。
幹事をしていただいた来海さん、ありがとうございました。
配車、会計、エピソード集作り、等々、来海あきちゃんもおつかれさまでした。
エピソードを頂いたり、鈴木さんのHG友人の連絡先を教えていただいたり、私からの依頼にご協力いただいた皆様(師匠、らんぽうさん、みっちゃん、はたぼう、まきさん、大森さん)、ありがとうございました。
会場には、ご両親に持ってきて頂いた写真も飾られて。
ブログで書くのは少々照れますが、私が今までの人生で唯一あこがれた男性です。
こんなことを書くと、オレにはあこがれてないんか、と突っ込まれる方もおられるかもしれません。
そんな諸兄、ご心配なく、リスペクトしてますから。
11月からの入院生活で初の外出。
車に乗せて、病院からまあまあ近い妹の家まで。
おかんをお姫様抱っこするとは思わんかった。
痩せこけたとはいえ、腰にきた。
横にいたうちの奥さん、「あこがれのお姫様抱っこ。。」
いやいや、ムリやし。。
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