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2008年2月21日 (木)

人生への恋文

Photo 『人生への恋文 往復随筆』 石原慎太郎 瀬戸内寂聴

 文春文庫 1月新刊 (単行本は03年10月刊)

石原の書いた随筆に瀬戸内が随筆で答えるというのを1セットにして21セットから構成される。本文中に瀬戸内が書いていたが「あなたとわたしの楽しい一か月に一度の活字デート」。
石原慎太郎はよく読んでいるが、瀬戸内寂聴は初。相変わらず尖っている石原慎太郎に対して、その先端を丸く包み込むような瀬戸内寂聴。なかなかよかった。

以下、抜書き。#は感想。

わたしも数え八十になった今もまだ肉体も感性も枯れてなんかいないと自負しています。日本人はよく年をとったら枯れるのが美徳のように言いますが、とんでもないまちがいです。特に芸術家は死ぬまで枯れたり出来ません。枯淡の味なんて真平御免です。/枯れた芸術家なんていうのは、要するに耄碌したということで、ものなどつくるのはやめるべきです。

#元気な婆さんだ。

 
・・・個性の発露である自分の感性、情念の赴くままに生きるということの大切さではないかと思います。芸術というものはそれでなくては成り立ちはしないが、芸術家に限らず他の誰だろうと、それぞれの個性という人間の尊厳の表象をもう少し大切にして生きたらと思います。誰しもがそう心掛けたらこの世の中はもっと生き生きとしてダイナミックなものになると思いますが。/しかしまあ他人はどうでもいい、肝心のこの自分がいかに自分を通しきるかということです。

#確かに、この人(石原)はかなり自分を通している。

 
人生の転機というのは、生涯に繰り返し訪れるもののようです。その転機は決して誘ってくるものでもなく、願って訪れるものでもないようです。突然、雷のように落ちてくることもあれば、霧のように足音もなく、いつのまにかひしひしと自分を取り巻いていて、ある日ふと、その濃さに気づいた時、それを転機として捉えるのではないでしょうか。常に心が緊張し、神経を研ぎすましていなければ、いくら転機がサインをよこしてくれても、それに気づかないで見逃してしまうことがあるのでしょう。

#こういうことはいろんな本に書かれていて別に珍しいことではないが、改めて心しておこうと抜粋した。

 
昔は日本海岸でしか口にすることの出来なかった甘エビなどという美味は、いかに足の早い、つまり腐りやすい食品だろうと今では国土を横断するハイウェイの完備と、冷凍庫の発達で収穫から一夜にして東京まで運びこまれ、ちょっとした料理店ならどこででも口にすることが出来ます。/しかし東京の築地の河岸の市場にいってご覧なさい。朝地方からやってきた何十台という大型の冷凍トラックが河岸の前の道路にひしめいて止まり、市場が開くのを待っている。どの車もエンジンを切れば冷凍が止まり、運んできたせっかくの物が傷むからアイドリングしたまま時を待つ。その車たちが排出する膨大な量の排気ガスの汚染は東京中に拡散されていく。といった文明の便宜性、それが保障する快適性のもたらす悪しき循環の事例は無数に近くあります。/それをいったいどう調整したらいいのか、もう実は誰にもわからない。私たちはもう昔に戻ることは出来ない。ならばどこに向かって、何を目指して進んだらいいのか、実は誰にもわかっていないし誰もわかろうとはしない。/環境問題については、しょせん誰もが場当たり、その場しのぎの状況主義でしかありはしません。アメリカのような先進国が、地球の温暖化防止のために地球全体のCO2の排出を軽減しようという京都での議定書に参加しないのは端的な例であって、しかしそれがどの国どの人にとっても共通のスタンスでしかありはしない。

#悲しいかな、その通り。。

 
評価:8点

 

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