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2008年9月17日 (水)

近江散歩、奈良散歩

Photo 『近江散歩、奈良散歩―街道をゆく24』

司馬遼太郎 朝日文庫

ブログを書き始めて司馬遼太郎の本を書くのは初めてと思う。以前に近江散歩だけ読んで放ったらかしにしてたのを思い出したように奈良散歩を読んだ。

ちなみに私の最も好きな作家は司馬遼太郎。残念ながらすでに故人になってしまったので、新作が出てこないのが残念。読み残してる作品はもったいないので少しずつ読もうと思っている。

この街道をゆくシリーズもけっこう未読があって今後の楽しみ。

久しぶりに抜書き、#は感想。

日本語には、させて頂きます、というふしぎな語法がある。/この語法は上方から出た。ちかごろは東京弁にも入りこんで、標準語を混乱(?)させている。「それでは帰らせて頂きます」。「あすとりに来させて頂きます」。「そういうわけで、御社に受験させて頂きました」。「はい、おかげ様で、元気に暮させて頂いております」。/この語法は、浄土真宗(真宗・門徒・本願寺)の教義上から出たもので、他宗には、思想としても、言いまわしとしても無い。真宗においては、すべて阿弥陀如来―他力―によって生かしていただいている。三度の食事も、阿弥陀如来のお陰でおいしくいただき、家族もろとも息災に過ごさせていただき、ときにはお寺で本山からの説教師の説教を聞かせていただき、途中、用があって帰らせていただき、夜は九時に寝かせていただく。この語法は、絶対他力を想定してしか成立しない。それによって「お陰」が成立し、「お陰」という観念があればこそ、「地下鉄で虎ノ門までゆかせて頂きました」などと言う。相手の銭で乗ったわけではない。自分の足と銭で地下鉄に乗ったのに、「頂きました」などというのは、他力への信仰が存在するためである。もっともいまは語法だけになっている。

#近江にも奈良にも関係ないが、こういう雑学的なところがちょこちょこ出てくるのもまたいい。

 
現存する塔のなかでもっともすばらしいのは、「凍れる音楽」などといわれる薬師寺の東塔(建立は730年とされる)だが、・・・

#すぐに思い浮かべれる人はどれくらいいるんだろう。今度は薬師寺に行こう。

 
死者に戒名をつけるなどという奇習がはじまったのはほんの近世になってからである。インド仏教にも中国仏教にもそんな形式も思想もない。江戸期になって一般化したが、おそらく寺院経営のためのもので、仏教とは無縁のものといっていい。戒名がさほどの歴史性もなく、仏教の教義にも関係がないというのは、わが国最古の過去帳をもつ修二会がそれを証明している。

#させて頂きますも、薬師寺も、戒名も、すべて近江も奈良も関係なかった。。

でも、この本を読んで阿修羅を見るために興福寺に行きたくなって実際に行ったのは事実。

評価:8点

 

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