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2009年1月21日 (水)

人間の覚悟

Photo 『人間の覚悟』

 五木寛之

 新潮新書 08年11月刊

 
今、売れている。
納得できる記述もあるにはあるが、ちょっと鬱に振れ過ぎてないか?

以下、抜書き。#は感想。

 
日本でもこれまでは対前年比何パーセント成長などといっては、経済は将来にわたって成長するべきだという「いけいけドンドン」の考え方がまかり通ってきました。しかし、これから先は前年比が下がり、売り上げも落ちることを覚悟したうえで、なんとか良質の需要と利潤を確保していく形が自然だろうと思います。/つまり発展の経済学、躁の経済から、後退しながら維持していく鬱の経済への思想が必要になってくる。

#そうかもしれないが企業としてはあくまでも発展を目指さないといけない。給料も上がってもらわないと困るし。

 
ある西洋の思想家は、「人はなぜ、あらかじめ失われると分かっているものしか愛さないのだろう」となげきましたが、たしかにその通りです。人間はそれが永遠に目の前にあると分かれば、あまり愛着をおぼえない勝手なところがあるのです。

#そんなものか?そうとは限らん気がするが。。

 
・・・在日の友人から聞いた話でこんな話がありました。彼がまだ子供のころのことですが、ランプの下で夜なべ仕事をしていた母親が、ふと手を止めてこんな話をしてくれたのだそうです。/―お前もいずれは大人になっていくだろうが、大人になるということはいいことばかりじゃないんだよ。大変なことがいっぱいあるんだ。ある時不意にこれという理由もなく、思い当たる原因もないのに、何ともいえない無気力感、憂鬱な気持ちの中にストンと落ち込んで、どうにも抜け出せなくなることもある。/それがしばらくつづくと、ついには血のつながった家族、きょうだい、肉親も赤の他人みたいに感じられて、母親さえも敵のようで、幼なじみの友だちや仕事仲間は全員がライバルのように思われてくる。そして子どもの時から将来の夢だったこともつまらなくなり、しまいには自分なんかこの世にいなくてもいい、クズだと思うようになってしまう。/人生ではじめてそういう状態に出遭うと、だれもが驚きあわてて、自分は精神がおかしくなったのではないかと不安に怯える。気のつよい人間は、負けるな頑張れと自分を叱咤激励し、プラス思考で乗りこえようとする。要領のいい人間は、楽しいことをしてやりすごそうと姑息な工夫をするだろう。でも、結局は何をやってもだめなのだ。/人はすべて「恨(ハン)」というものを心の中に宿している。なんともいえない気持ちを感じるそのときは、「恨」が目を覚まして、大人になったあんたのところへ訪れてきた瞬間なんだ。「恨」はやがて去っていく。/だけど「恨」が活動している間はどうしようもない。だからそういう時には、無理に肩をそびやかせて強引に「恨」をやっつけようなんて考えず、肩をすくめて、背中を丸めてしゃがみ込み、「あーぁ」と体全体から大きなため息を三度、四度、五度六度でも繰り返してつくがいい。/そうやって全身でため息をついていると、不思議と一瞬、束の間だけれど「恨」の重さがふっと軽くなった気がする時があるだろう。そしたら、とりあえず立ち上がって歩いていけばいいんだよ。/・・・人が何とも言えず落ち込んだ気持ちの中にいるときは、「頑張れ」という激励ではなく、大きなため息をつくことによって励まされるのだという思想。/これはとても示唆に富む考え方です。「恨」というのは民族の文化であり、つらい人生を生きていく深い智恵なのかもしれません。

#「頑張れ」とため息の使い分けでしょう。ため息ばかりではしんどい。

 
人の憂いや不安の背景には、言葉にできない悲しさ、生きていること自体が切ないという情動があります。仏教では生老病死を人間の四苦としますが、一番上に来るのが生であり、生まれてきたこと、生きていくこと自体が憂鬱なのはどうしようもないことなのです。

#暗いなぁ。。

 
つき放したような言い方ですが、信じる、とは裏切られても後悔しないということです。何かを信じたなら、裏切られることがあっても絶対に後悔もせず、責めもしない、それも覚悟なのです。ですから、今のような時代には、信じるということほど大事なことはないのかもしれません。

#ある意味、真実だと思われる。そういう気持ちを持ち続けるのは困難ではあるだろうけど。

 
他にもいろいろと紹介したい記述はあるが、どうも辛気くさいのでやめにする。

評価:7点

 

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