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2009年2月26日 (木)

納棺夫日記

Photo 『納棺夫日記』 青木新門

 文春文庫 96年刊

映画「おくりびと」の原作。厳密には原作ではない。
モックンはこれを読んで映画化を目論んだが、最後まで原作者から拒否されたため。

アカデミー賞外国語映画賞で一躍脚光を浴びたが、昨年度の日本アカデミー賞その他国内の映画各賞を総なめ。キネマ旬報ベストワンを取ったというのも渋い。

本書の構成として、「納棺夫日記」と「納棺夫日記を著して」の2編から成り、後者はエッセイのようなもの。本編の「納棺夫日記」は3章から成り、第1章第2章は文字通り納棺夫の日常や思索等が書かれているが、第3章は宗教の、しかも浄土真宗の話であり、ちょっと専門的でとっつきにくい。この1年以内に2人も親を浄土真宗でおくった私ですらきっちり理解はできなかった。いい本だとは思うが、きっと映画の方が受け入れやすいんではなかろうか、と思われる。まだ映画は観てないけど。

 
以下、本の内容には関係なく、抜書き。

 
言葉で衝撃や怒りを覚えるということは、自分が最も気にしていることを突かれたということである。人は日頃気にしていることを、あからさまに非難された場合、血が逆上するほどの怒りを覚えることがある。

 
自殺ほど社会に迷惑をかける死に方はない。それは、自殺という行為が共同社会からの疎外された者の孤独な解決方法に起因しているからであろう。/・・・美しいというより悲しい。

 
・・・今日の医療機関は、死について考える余地さえ与えない。/周りを取り巻いているのは、生命維持装置であり、延命思想の医師団であり、生に執着する親族たちである。/死に直面した患者にとって、冷たい機器の中で一人ぽっちで死と対峙するようにセットされる。しかし、結局は死について思うことも、誰かにアドバイスを受けることもなく、死を迎えることとなる。/誰かに相談しようと思っても、返ってくる言葉は「がんばって」のくり返しである。/朝から晩まで、猛烈会社の営業部のように「がんばって」とくり返される。親族が来て「がんばって」と言い、見舞い客が来て「がんばって」と言い、その間に看護婦が時々覗いては「がんばって」となる。

 
会葬者も、遺体に合掌したり、遺影に手を合わせたり、祭壇や霊柩車に合掌したり、火葬場の煙突の煙にまでに合掌したりしている。/ところが、肝心のご本尊にはあまり手を合わせていない。/僧侶の唱えるお経は、何を言っているのか分からないし、死者がどこへ行ったか分からないから、思いつくまま手当り次第手を合わせている。

 
人は、自分と同じ体験をし、自分より少し前へ進んだ人が最も頼りとなる。/・・・/仏は前に進み過ぎている。親鸞には、少し前を行くよき人(法然)がいた。/末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい、説法も言葉もいらない。/きれいな青空のような瞳をした、すきとおった風のような人が、側にいるだけでいい。

 
人間の行為の中で、宗教を振りかざして戦争をするほど愚かな悲しいことはない。真理は一つであるはずだ。

 
評価:8点

 

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