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2009年4月 6日 (月)

謙信びいき

Photo_4 『謙信びいき』 火坂雅志

 PHP研究所 09年3月刊

大河ドラマ「天地人」原作者のエッセイ。原作「天地人」はおもしろくなかった。なのでこの作者は2度と読まんだろうと思っていたが、タイトルに惹かれて買ってしまった。私も謙信びいきなので。

 
以下、抜書き。#は感想。

施薬院全宗は天台宗の総本山、比叡山延暦寺の僧侶であった。が、織田信長の比叡山焼き討ちで寺を焼け出されるや、42歳にして心機一転、医学の勉強をはじめた。/もともと薬の知識があった全宗は、最新の医術をわずか2年にしてマスターし、やがて、信長のあとをついで天下人になった秀吉の筆頭侍医にまでのぼりつめる。/と書くと、たんなる医者の成功物語のようだが、彼の特異なところは、医者でありながら政治に深くかかわっていた点である。かかわっていたどころか、全宗は秀吉の政策参謀のひとりであった。

#42歳にして心機一転、というところに反応してしまった。

 
剣豪の里という雰囲気を色濃く残す柳生谷だが、柳生家がおさめていた時代の建物といえば、芳徳寺以外、ほとんど残っていないというのが実情である。・・・/そうしたなかで、唯一、柳生家の往時の姿をしのぶことができるのが、家老の小山田屋敷である。/江戸時代後期、柳生家の家老をつとめた小山田主鈴は財政手腕にたけ、足軽から二百石取りの上席家老にまで出世した。みごとな石垣がつらなる屋敷は、白壁の長屋や母屋などが残り、柳生家藩政時代の姿を十分にうかがい知ることができる。/ここはかつて、山岡荘八氏が買い取り、別荘にしていたそうである。手入れがすみずみまで行き届いているのはそのためで、いまは資料館となり、柳生家関係の刀剣類、甲冑、陣笠、柳生藩士使用の折りたたみ式弓、書状などのほか、柳生一族の盛衰を描いた山岡荘八の「春の坂道」の自筆原稿が展示されている。

#今度行ってみよう。今度読んでみよう「春の坂道」。

 
火坂氏、ちょっとイメージ回復。

評価:7点

 

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