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2009年6月18日 (木)

脳死は人の死か?(1/4)

A案が可決した。
A

私は「脳死は人の死か?」反対派。
ドナーカードも所持し、脳死からの移植はNOと記入している。

10年前、脳死について何冊か本を読んだのでそのときに書いた読書レポートをここに載せる。当時ノトヤンたちとやっていた本の会MLに投稿したメールをほとんどそのまま掲載。4回シリーズ。以下は10年前に書いたものであるが、今でも強調したいところは赤字にしてみた。

以下、99年5月に書いたもの
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『脳死』        86/10刊
『脳死再論』     88/12刊
『脳死臨調批判』  92/09刊

立花隆 中公文庫
   
読書採点(10点満点)

○ 総合              9点
○ 自分の趣味に合う度    10点
○ 他の人へのおすすめ度  10点

ちょっと感想:
みなさん、ドナーカードはお持ちでしょうか?気楽に、脳死したら臓器移植OKなんてことにしてませんでしょうか?私もこの本を読むまでは、使えるところは何でも使ってくれ、という考えを持っていたのですが、考えを改めることにしました。心停止からの移植はOKでも、脳死と判定されてからの移植はNOとすることにします。その理由を本の内容の紹介とともに以下に書いてみようと思います。

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経緯とともに紹介

74/ 「脳死判定基準」 脳波学会 脳死委員会

85/12「脳死判定基準」 厚生省 脳死に関する研究班 →脳波学会基準の見直し

『脳死』はこの判定基準に対する批判
脳死と植物状態とは違うということをご存知ですか?
脳死とは何か。本文540頁に対して脳死の解説に500頁を費やしている

88/1「脳死および臓器移植についての最終報告」 日本医師会 生命倫理懇談会
→脳死を個体死と認め、脳死状態からの臓器移植を容認、脳死の判定基準として厚生省基準を基本的に認めた

88/1 日本医師会はこの報告書を原文通り承認して日本医師会の公式見解とした

『脳死再論』はこの報告に対する批判および『脳死』に対する医師側の反論に対する反論
厚生省基準は脳死判定基準というよりは蘇生限界点判定基準である、としてそれを脳死の判定基準として認めたことを強く批判。蘇生限界点とはその状態を通過すると生き返ることが経験的になかった、とされるポイント・オブ・ノーリターンであり、その時点でもって死とみなしてよいはずがない、という主張がなされている。つまりもう助からない=死ではないという意見である。

92/1「脳死及び臓器移植に関する重要事項について(答申)」臨時脳死及び臓器移植調査会(=脳死臨調)
→脳死を人の死と認め、脳死からの臓器移植を可とした。脳死の判定基準として厚生省基準でよしとした。臓器移植については、臓器提供者本人の意志が最大限に尊重されるべき、インフォームド・コンセントの原則が守られるべきとした。
     
『脳死臨調批判』はこの答申に対する批判等
「脳死再論」と基本的に同じ、批判の対象が生倫懇から臨調にかわっただけ。(私見:つまり結果的には臨調も生倫懇と同じことを繰り返しただけ。変な話である。おそらくそれと同様のことが臓器移植法案の審議の時も繰り返されたのだろう。)ちなみに世界で一番厳しいのは旧ソ連の判定基準らしい。

97/10 臓器移植法 施行

99/2 臓器移植法に則った脳死からの臓器移植 第一例目

99/5 第二例目
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この本を読むまで脳死に対して無関心だったため、『脳死臨調批判』以降今年の臓器移植までの経緯がわからなくその間に何があったのか知りませんが(おそらくこの間に生倫懇や臨調と同じようないい加減さで法案が可決され法が施行されるにいたったのでしょう)、最近の臓器移植に関する新聞記事から察するに脳死判定基準は(立花隆の執拗な批判にも関わらず)85年以来ほとんど変わっていないようです。

この本を読んでもっともショッキングだったのは、現在の判定基準では、意識があるかもしれない状態で脳死と診断されてしまうかもしれない、ということです。そのとき脳死からの臓器移植OKというドナーカードを所持していれば、もし意識が残っていてもその状態でメスを入れられ心臓等の臓器を取り出されてしまうということになるのです。そんなバカなと、思うところですが、この本を読む限りにおいてはその可能性があるらしいのです。臓器移植NOであるなら脳死と診断された時点で積極的治療が中止される(人工呼吸器を取り外す等)のでそのまま死んでいくだけなので問題はないのです。元々脳死状態というのは自発呼吸ができないため人工呼吸器でもってむりやり生かし続けている状態なのです。したがって私自身としてはそんな状態にはなりたいとは思いません。自然と死んでいきたいところです。しかし、自分の意思とは関係なく人工呼吸器につながれた脳死状態になるかもしれません。そうなってしまった場合、現在の判定基準では非常に不安が残るのでドナーカードできっちり意思表示をしておこうと思ったわけです。ちなみに立花隆はこの5月に脳死からの臓器移植もOKとドナーカードに記したらしく、あくまで批判していたこともあってかそんなことが新聞記事にもなってました。自分自身についてはそれでもいいんだというスタンスのようです。私はやっぱりいやですけど。

私ごときの文章では誤解が生まれると思われるので、疑問に思われた方は読んでみて下さい。

脳死からの臓器移植に関してもっぱら話題になっているのは報道のあり方のようですが、本質的な問題は脳死判定そのものにある思います。そういう問題は法が成立した時点で世を騒がせたのち一段落したのでしょうか?なにぶん私の持つ情報は92~97のことが抜けてますのでよくわかりません。

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内容とは別に感じたこととして、あくまでも論理的であることにおそれいりました。論理を進めるとはこういうふうにしなければいけない、ということが学べた気がします。仕事がらレポートというものを常々書かねばなりませんが、この本をレポートとして見ると、大いに参考になると思います。特にうしろ2作は批判がメインでありますが、どこが、なぜ、誤っているのか、ということが見事に舌鋒鋭く書かれています。批判される側がかわいそうになるくらいおもいっきりやっつけています。文章がおかしい、何をいっているのかわからない、なんてつっこまれている例もありました。批判するということはこういうふうにしなければならない、という点でも学べます。立花隆のジャーナリズム精神を垣間みたような気がしました。

 

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