« バラ色でいくぜ | トップページ | ルパン三世 »

2009年6月19日 (金)

脳死は人の死か?(2/4)

4回シリーズ第2回。

以下99年10月に書いたもの。一部、赤字にしてみた。

---

Photo_2『脳死とは何か~基本的な理解を深めるために~』

竹内一夫 ブルーバックス 87/5刊

読書採点(10点満点)

○  総合          4点

ちょっと感想:
 以前、立花隆の「脳死」3部作について紹介しましたが、その中で批判の対象となっていた脳死判定基準を作成した研究班の当時リーダーだった杏林大学の竹内教授の一般向け書籍です。書かれた87/5という時期は判定基準が発表されたのが85/12ですのでそれから1年半経過した時点です。批判している本を先に読んでいたためおかしいところがちゃんと目についてだまされることなく読めました。ということは逆に素人が脳死についての知識をもとめる最初にこの本を読んだのなら、誤解が生じることになると思います。
 本文中に、この判定基準は、あくまで、脳幹を含めたすべての脳の機能が失われた脳死状態を判定するための基準であって、脳死を個体死として認めるという、「新しい死の概念」を提唱しているのではない。とありましたが、これはこれでいいと思います。問題なのはその脳死の定義であります。この本では、脳死の定義は「いったん脳死状態に陥ったら、絶対に蘇生しない」ことである、と言い切ってますが、これが立花隆の指摘する点なのであります。そのポイント・オブ・ノーリターンでいいのか?ということです。その点を過ぎても大脳の活動が残存していることがたまにあり、それは意識が残存しているかもしれないことを示しているのです。意識が残っているかもしれなくても、蘇生はしないから個体死とみなしてよい、つまり臓器を摘出してもかまわない、としてしまっていいのかどうか、という問題ですね。さらにこの本では、いかなる方法を使っても、脳の循環を臨床的に正確に測ることができない現状では、やはり「脳の機能の不可逆的な喪失状態」をもって脳死とするのが妥当であろう、としていますが、脳の循環は測定可能であるのだからそれを判定基準に加えるべきだとしているのが立花隆の意見なのです。立花隆の「脳死」は86/10刊(3作目の「脳死臨調批判」は92/9刊)であり、この本の「おわりに」は92/12に改訂されているのでここにくいちがいがあります。竹内教授は当然、立花隆の「脳死」シリーズ刊行の後でこの「おわりに」を書いているのですから、「脳の循環が臨床的に正確に測ることができない現状」という記述はおかしいとおもいます。ただこれは立花隆のレポートを全面的に信頼している立場からの意見ですが。
 最後にイギリスの基準を紹介します。これは珍しい立場ですが、「脳幹死」をもって脳死としています。イギリスの基準の考えは、遅かれ早かれ失われる大脳の活動は無視してよい、ということです。これもまた1つの考え方ではありますが、これを国をあげて取り決めているということはすごいなーと思います。
 立花隆の「脳死」さえ読めば、これは読む必要のない本でした。

 

|
|

« バラ色でいくぜ | トップページ | ルパン三世 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« バラ色でいくぜ | トップページ | ルパン三世 »