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2009年6月21日 (日)

脳死は人の死か?(3/4)

4回シリーズ第3回。

以下99年12月に書いたもの。

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Photo_2『脳死 -ドナーカード書く前に読む本-』

水谷弘 草思社 99/8刊

読書採点(10点満点)

○  総合          9点

ちょっと感想:
 イギリスでは、脳死を個体死として認める法律は制定されておらず、医師会や学会と社会の合意で脳死患者からの臓器移植を行っている。これはフランス、オランダも同様。フランスでは交通事故で救急病院へ運ばれてきた人が、生存中に「私は死亡した場合に臓器の提供はしたくない」という拒絶意思を明確にしていないと、脳死になった場合、その救急センターで即刻、あらゆる臓器を摘出することが認められている。ドイツとイタリアでも最近同じことが決められた。イタリアの場合、99/3「拒否なければ同意とみなす」法律が成立した。
 これらの国でも反対の意思表明は認められているのだから、社会的に全面的強制という意味ではない。一見、こうした社会は合理的すぎて冷たいと考える人もあるだろうが、それだけ移植臓器の必要性を認め、他人への奉仕を当然と考えているわけで、見方によっては日本よりずっと温かいともいえる。
 わが国で臓器移植が進むには、まず医療現場が信頼されるものでなければならない、と著者は書いているが、ここで医療不信という問題については、反対派の活動、としてまとめられているが、現状はどうなっているのか、については書かれておらず、わからない。ただ医療不信の要因の一つとして、医師の多忙さが引き起こす医療ミスを挙げており、医師の多忙さについては頁がさかれている。ちなみに著者は現場の医師である。68歳、竹内氏(脳死判定基準を作成した研究班のリーダー)のもとで一時期従事していた経歴あり。

・脳死問題の日本的特徴
 医学的問題としての脳死の判定に対する反対には2つの種類がある。一つは、脳死を死としないもので、いわば科学領域外の生命に対する理解の差にもとづく。もう一つは、医学的厳密性に対する疑惑や反対であり、慎重論というべきもの。日本だけに目立つ慎重論である。
 医学的に徹底的に厳密であれというのは、先端医療などは手がけるな、脳死患者からの臓器移植などはするな、といっていることに等しい。こうした論が出るのも医療不信が根強く、脳死問題がもつれた日本の特徴である。しかも一方では、患者はつねに進んだ医療に多大の期待をかける。

 医学的厳密性に対する疑惑や反対、として立花隆の「脳死」があてはまり、それにも触れている。
 立花隆の主張=脳死の判断基準はきわめて厳密なものでなければならない。誤診率が0.001%くらいならしかたがないけれど、0.01%もあったら問題だ。(このへんに関係することを「脳死とは何か」の感想の中に書いてます。)
 これを採り上げ、現実の外科医にとってそれが死を賭けた統計であっても、0.01%などという数字はとても実感を伴うものではない。実際上の問題としては現在の基準で十分と思える、としている。

 現場の意見だとは思うが、先端医療などは手がけるな、脳死患者からの臓器移植などはするな、といっていることに等しい、と医師自ら言ってしまっていいのか?0.01%などという数字はとても実感を伴うものではない、ということでいいのか?1万人に1人くらいなら誤って殺してしまってもやむを得ない、と医者が言ってしまってもいいのか?と私は思う。そんなところにこそ医療不信があるんじゃないのか?と思ってしまうが、それがいわゆる反対派と現場の医師との感覚のズレなんでしょうね。

・日本の臓器移植法の問題点
 この法は、あくまで臓器提供の意思のある人に限って脳死は死であると関連づけたものである。臓器提供をする人には脳死は死であり、提供しない人には脳死はとくに論じない。いいかえれば、脳死になれば、それを死んだと考える人にとっては死んだわけで、死んだと考えたくない人には臓器提供も拒否できる。その意味で優先されるのは患者の自己決定権である。たとえば、臓器を提供しない人が脳死になり、もはや回復はしないことを家族も了解し、呼吸器をはずしたとき、この脳死は死ではないので殺人罪になる可能性もある。脳死になった人が死であるのか、ないのかは、本人の書面による意思と家族が決めることになる。この死の解釈を自己決定権にゆだねるという法は、個人の意思の尊重であり、現代風ともとられるが、現在、世界的に通用している考え方ではない。

 今の法では、本人が書面で脳死を死と認めていても、親族が拒否できる。これは考えようによれば自己決定権の侵害である。個人の意思より家族の感情を優先したわけである。しかしながら本人の「提供に関する意思は、尊重されなければならない」という規定は、医療関係者とともに、遺族にも向けられたものと考えるべきであろう。これらの問題点は2000年の見直しで再検討されなければならない(臓器移植法は2000年に見直しがなされることになっている)。

・著者の結論としては
 日本では自由と依存が大きく、個人と社会が結びつかず、家族や集団の比重が重く、個人の自己の主体性が比較的弱い。日本は、脳死と臓器移植については極めつけの後進国である。この国で成立できるぎりぎりの法案をつくり、議会は通ったが、臓器提供は少ない。移植医の立場から見れば、制約の多い法案であったが、移植を可能にするにはほかに選択の道がなかった。しかし、脳死判定施設は増えたし、移植ネットワークも経験とともによくなっていくであろう。移植治療自体がこの国で一例でも多く行われて、良い面が報道され、それを参考にして各人がこの問題に対する態度を決めればよい。

・補足
 第一例目がドキュメントタッチで書かれていて、わかりやすかった。ちなみにこのときまで世界では、心臓移植は4万例、肝臓移植は6万例行われている。日本では、外国で移植を受けた人が心臓で44人、肝臓で180人。この第一例の時点で移植手術の待機患者として登録されていた患者の数は心臓19、肝臓32、肺5。

 しかし今のところ、私のドナーカードでは、脳死からの臓器移植はNOです。

 

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