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2010年3月 2日 (火)

竜馬がゆく

Photo_2 『竜馬がゆく』(全8巻)

 司馬遼太郎 文春文庫

再読。
前回読んだのは浪人生時代。若かったしかなり熱くなった。その時の印象が強く、これまで読んだ本の中で一番としていた。

常々もう一回読みたいと想い続けていたが、今年の大河ドラマ「龍馬伝」をきっかけとして、12月半ばから手を付け約2ヶ月かかって読了。

もう若くはないがやっぱり熱くなった。そして評価も変わらず、これまで読んだ本の中での不動の一番を確立。

幕末期に活躍した人物はみな若い。若い人にぜひとも読んでもらいたい。全8巻もあるが巻を追うごとに時代が沸騰してきておもしろくなり、どんどん読むスピードが上がり最後は物足りなく終わる。

「龍馬伝」の福山は40を過ぎ、33歳で死んだ竜馬を演じるのはどうかと思っていたが今のところは好印象。「司馬氏の龍馬像を否定するところから『龍馬伝』は始まっている」と演出家は言っているらしい。それはいいとしても、この時代は40前である山内容堂に近藤正臣なんてじじいをキャスティングするのはいただけない。

 
以下、抜書き。#は私のコメント。

・ペリーの艦隊が浦賀にきた真相は、ずっとのちになって竜馬はイギリス人グラバーからきいたものだが、もとはといえば鯨がめあてだったらしい。/そのころまでの英米の捕鯨船団は大西洋を漁場にしていたが、濫獲しすぎたためしだいに漁獲高がへってきた。/ために、かれらは新漁場をもとめて冒険的な航海をしたが、やがて太平洋、とくにその北部に鯨がおびただしく群棲していることを知った。/ところが、港がない。母港を遠くはなれて太平洋で活躍するには貯炭所が要る。当時の船は蒸気船とはいえ、積みこんでいる石炭だけでは一週間も走ればからになってしまう。/結局、寄港地を日本列島にもとめた。

・表面、この男は終始、無邪気そうににこにこしているが、これがこののち数年して天下の風雲のなかに乗りだしたとき、/人に会ふとき、もし臆するならば、その相手が夫人とふざけるさまは如何ならんと思へ。たいていの相手は論ずるに足らぬやうに見ゆるものなり。/義理などは夢にも思ふことなかれ。身をしばらるるものなり。/恥といふことを打ち捨てて世のことは成る可し。/竜馬語録/などと揚言した。/もっとも複雑な性格の男だから、これも肚の底からこう思っていたのではなく、肚の底は気のやさしすぎる男であった。自分の気のやさしさを、こういう自己流道徳をつくることによって叱咤鼓舞したのであろう。

・勝海舟、通称は麟太郎。/・・・ひつじうまれの竜馬よりも十二歳(ひとまわり)上である。
#おっ、竜馬も勝海舟もひつじ。うれしい~

・世の中の 人は何とも云はばいへ わがなすことは われのみぞ知る /とは、父親の八平にさえ「ついに廃れ者になるか」と嘆ぜしめた竜馬の十代のころにつくった歌である。城下で低能児よばわりされた竜馬のさびしさが、歌にこもっている。

・文字は金釘流だがふしぎな雅趣があり、維新志士の書のなかでは「最も風韻ゆたかな書風」といわれている。/文章もおもしろい。当時の書簡文の型にこだわらず、言いたいことを書いている。この点、古今、豊臣秀吉の手紙の文章とともに、書簡文の傑作とされている。

・竜馬は、議論しない。議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬ、と自分にいいきかせている。/もし議論に勝ったとせよ。/相手の名誉をうばうだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである。

・そのとき西郷が、やおら立った。/「長州藩のお歴々も、薩摩の者も、よう見てくだされ。オイの余興はこれでごわす」/と、股間をもそもそたくしあげて一物をとりだし、ローソクの灯で毛をジリジリと焼きはじめた。
#おっ、ブッシュファイヤー、歴史あるやん。

・世の既成概念をやぶる、というのが真の仕事というものである、と竜馬はいう。・・・/竜馬自身がひそかに書きとどめた語録では、・・・「人の跡(事績)を慕ったり人の真似をしたりするな。釈迦も孔子も、シナ歴朝の創業の帝王も、みな先例のない独創の道をあるいた」

・このころの航海用語での風は〇番から十二番まで区別されており、六番の雄風は、風速11.2メートル、ほとんどの帆をあげることができる。〇番は無風、一番は至軽風、3.18メートルである。以下、軽風、軟風、和風、疾風、雄風、強風、疾強風、大強風、全強風、暴風、颶風の順。

・「諸事、この眼で見ねばわからぬ」
/というのが、勝と竜馬の行き方である。現場を見たうえ、物事を考える。見もせぬことをつべこべ言っているのは、いかに理屈がおもしろくても空論にすぎぬ、というのが、この二人の行き方であった。かれらは、すぐれたジャーナリストの一面をもっていたといっていい。

・西郷のすきな人物は、先君島津斉彬は別格として、楠木正成、石田三成、ナポレオン、ワシントンであった。

・(会議などは、無能な者のひまつぶしにすぎない。古来、会議でものになった事柄があるか)
/というのが弥太郎の考えだった。物を創りだすのは一人の頭脳さえあればいい。衆愚が百人あつまっても、「時間がつぶれ、湯茶の浪費になり、厠に無能者の小便がたまってゆくばかりのことだ」と、弥太郎はおもっている。その「一人の頭脳」とはたれのことか。/弥太郎にいわせれば、自分のことである。それだけの自負がある。抱負もある。

 
評価:もちろん10点

 
現在、「お~い!竜馬」を再読中。

 

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