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2011年9月26日 (月)

新・堕落論

Photo_2 『新・堕落論 ―我欲と天罰―』 石原慎太郎

  新潮新書 2011年7月刊

相変わらずの石原節。
文章も難しく、この人は頭いいんだろうなあ。

 
以下、抜書き。#は感想。

○日本人は世界で未曾有の原爆体験をしたせいで、こと原子力に関しては強いトラウマを抱えています。それはこと戦略のための原子力使用にせよ、産業のためのエネルギー使用にせよ、原子力という名がつくだけで思わず身構えてしまう節がある。/しかし現実に国家の利益を左右する交渉の背景に、実は、今では使われる可能性のほとんどない核兵器の保有が巧妙に使われている皮肉な実態への不認識。あるいは地球の温暖化が進み人類の存在そのものが危機にさらされている今なのに、今回の東日本の大災害で福島の原発が破綻すると、すぐに原発廃絶という声が高らかに起こってくるヒステリックな現状。そして政治はすぐにそれに媚びて、太陽エネルギーなどへの大転換を謳い上げてみせるが、もう少し腰を据えて我々を取り囲む状況の実態を見据えたらいい。/そんな効率の悪いエネルギーで、北欧諸国のようなコンパクトな国ならともかく、日本のような巨大な産業経済社会がまかなえるものでありはしません。/原子力発電は、要は管理の問題なのに、その次元での反省や努力も無しに原子力という人類にとって画期的な技術を、管理も含めて自らのために完璧にものにすることなしに廃棄するのは愚かなことでしかない。管理に関してはフランス人が行っている管理を、なぜ日本人が出来ないというのか。/もう少し落ちついて、周りの現実状況を見澄まして我がことの利益がいかに獲得され得るかを頭を冷やして考えたらいい。トラウマは在っても、それがただのセンチメントとなってことを阻むのなら過去に払われた犠牲は浮かばれまいに。

#じゃあ、東京に原発を造る勇気があるのか?

 
○コンラッド・ローレンツはその動物行動学論の中で、「幼い時期に肉体的苦痛を味わうことの無かった人間は長じて必ず不幸な人間になる」といっています。肉体的苦痛とは決して家庭内での暴力や学校でのいじめのことではありません。あくまでしつけの中で、彼等の意思に反してでも強いられる肉体的制約のことです。つまり優れたアスリートを生むための、大学や高校における体育会と同好会の本質的な相違の問題といえます。健全な精神は健全な肉体にこそ宿るというが、そこで培われた健全な精神こそが、さらに長じて後の人生において衰えた肉体を支えて守るのです。

 
○我々はアメリカという統治者によって巧みに造成された戦争への被虐的な原罪感が造成した、自らの歴史をもすべて否定するという現実性を欠いたセンチメントと、それに依るマゾヒスティックな卑下の自己満足から自らを解放し、いたずらな依存によって保たれてきた平和などではなしに、自らの努力、自らのこらえ性によって形成されていく本物の「平和」と安全の確立をこそ求めて努力しなくてはならないのです。

#主義主張が煮詰まった一節。あくまでも「NOと言える日本」という姿勢。

 
○どうも今日では言葉で綴られた資料なるものは最早情報として余りインパクトを持ち得ない。都の幹部の会議でも担当の局長たちはその度誰に作らせたのか、いつも分厚い資料を持ちこんできて読みあげていましたが、その量が多いほど説明を受ける側の理解は遠のいて行く。だからいかに重要なものだろうとも必ず一枚の紙にまとめてくるように命じ、それが出来ないなら当人の能力の限界と理解するといい渡した結果、会議の能率は極めて向上しました。

 
○ある者がこの宇宙に地球ほどの進んだ文明を持つ惑星は幾つくらいあろうかと質し、彼(ホーキング)は言下に二百万ほどと答えました。さらに誰かが、高度な文明を備えたそれほどの数の星がありながら、なぜ我々は実際に他の惑星の生物や彼等を運ぶ宇宙船を目にすることがないのだろうかと質問しました。/彼の答えは極めて冷ややかなもので、現在の地球ほどの文明を保有してしまうと、そうした惑星は自ら正当な循環を狂わせ環境を破壊しつくし、文明の主体者たる生物は内面的にも極めて不安定な状況をきたして、彼等の惑星は宇宙の時間の総体に比べればほとんど瞬間的に自滅してしまうということでした。天才とはいえホーキングは神ならぬ者でしかないが、私としては彼のその一方的な予告を印象的かつ暗示的に聞いたものです。/で、さらに私が挙手して、宇宙時間で瞬間的というのはこの地球時間では何年ほどのものかと質したら、言下に百年と答えました。

 
○人間の存在を明かす人生の出来事である恋愛、その以前の男と女の出会いや関わりにおいてすら、ケイタイの出会い系サイトが証すようにことの本質が欠落し、仮象化しています。/それを表象するのが若者たちに人気の村上春樹の小説だと思う。江藤淳が生きていたら彼独特の表現で、フォニィと評しただろう彼の小説の特性は、いわば無国籍、無人格な、どこかが欠落しているような登場人物ばかりで、その恋愛も性行為にも一向に心身性が感じられない。故にも最近の若者たちに安心して読まれるのかも知れないが、私には何かが決定的に欠落しているようにしか感じられませんが。

#へー、村上春樹きらいなんや。都の条例で禁止したりしてw

 
評価:7点

 

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