« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月

2011年11月30日 (水)

Love Story

月9の主題歌「Love Story」のPVが11/25に解禁された。

YouTubeではすぐ削除されて、なかなか見れないみたい。

これ↓

 
これも消されたら →これ でどうだ

 

| | コメント (0)
|

2011年11月27日 (日)

アラビアのロレンス

『アラビアのロレンス』 1963年 イギリス

午前十時の映画祭、27回目。

この企画で是非とも観たかった大作。
今まで機会がなく初めて観た。映画館で観れて幸せ。227分!

単なるスペクタクルな英雄物語かと思っていたが、もっと深かった。
砂漠のロケーションもとても良かった。

アカデミー賞、作品賞、監督賞をはじめ7部門受賞。
監督のデヴィッド・リーンは、これを撮った3年後に「ドクトル・ジバゴ」を撮っている。すごい監督だ。

主演のピーター・オトゥールも良かったが、脇もいい。

「ドクトル・ジバゴ」主演のオマー・シャリフ
Photo

「道」「ナバロンの要塞」のアンソニー・クイン
Photo_2

「スター・ウォーズ」オビ=ワン・ケノービのアレック・ギネス
2

テーマ曲も雄大

 
何年か後に、また観たい。

 

| | コメント (0)
|

11/27 「走」 6km

走るのは、なんと8ヶ月ぶり。

4月上旬にぎっくり腰をやって以来ジョギングを控え、夏が過ぎてそろそろ走り始めようかという頃に謎の咳が2ヶ月続き、ようやく「走」復活。

近所1往復半。

往路:12'26"
復路1/2+往路1/2:12'28"
復路:11'54" 計:36'48"

いくら久しぶりとはいえ1往復(4㎞)は物足りないだろうし、かといって2往復(8㎞)は無理やろうし、6㎞でちょうどよかった。

これからもちょくちょく走りたい。

 

| | コメント (0)
|

2011年11月26日 (土)

11/26 竜門

南東のち東北東 晴れ max660(ランポーさん)

朝からフォロー。

13時半頃、1番機ランポーさんTO、東に回り込みゲイン。
それを見てみんな用意するも風が悪く出れず。

2番機アキ、東に回り込むも上がらず、竹房へ戻る途中200から渋いのにヒット。
レベルくらいまで戻すのを見てみんな出始める。

私も14時前にTOし、max600で40分強、ぐるぐるぐるぐる。

Ws000000_2

週末の竜門、なかなか冬が来てくれない。。

 

| | コメント (0)
|

2011年11月24日 (木)

がん 生と死の謎に挑む

Photo_7 『がん 生と死の謎に挑む』

  立花隆 文藝春秋 2010年12月刊

まず、「はじめに」より抜書き。

○本書は、2009年11月23日にNHKから放送されたNHKスペシャル「立花隆 思索ドキュメント がん 生と死の謎に挑む」と一体になった本である。「一体になった」とはどういうことかというと、この本が読者として基本的に想定しているのは、あの番組をすでに見た人だということである。/・・・取材対象者は、いずれもこの世界の第一人者として定評のある先生方ばかりである。そもそもがんとはいかなる病気なのかという、がんの本質の掘りさげ方において、今回の番組は、行きつくところまで行きついたといえるだけの水準に仕上がったと思っている。よくぞこれだけの顔ぶれをそろえたと専門家もビックリの取材対象者をそろえ、がんについて知っておくべき基本的事実と、がんについて考えるときにおさえておくべきポイントを、すべて織りこんだ圧倒的な情報量の番組ができたと自負している。/がんについて語るとき、あの番組の内容を前提に語りだせば、一度に深いレベルに入っていけるが、そうでないと読者を同じレベルまで導くことは活字だけでは著しく困難である。ぜひともまずはあの番組を見てからこの本のページをめくっていただきたい。/・・・この本には同番組を収録したDVDが付けられている。この番組をまだ見ていない人は、まずこのDVDを見てしまってほしい。

 
というわけで、この本はDVD付き。
4年前におかんをがんで亡くし、3年前に義父をがんで亡くし、がんについてはある程度予備知識はあるが決して詳しくはない。遺伝的に考えると自分もがんとなる確率は低くないので、ちょっと勉強しようと思って出版されてすぐに購入した本だが、このDVDを見る時間が取れなくて、1年も放ったらかにしてしまっていた。

では、いつものように抜書き。
かなり多い。本丸々1冊抜書きしたかも。。

 
○日本人の2人に1人はがんにかかり、3人に1人はがんで死にます。

 
○がんは少数の例外をのぞくといまだに完全治癒が期待できない病気なのです。ここはがんの根本認識にかかわる大事なところだから繰り返しておきますが、完治が期待できるのは、ごく少数のがんで、大半のがんは完治が期待できないのです。/そこから容易に導けることは、がんとあくまでとことん闘おうとしても、その闘いはほとんど徒労に終わることが予想されるということです。がんという病気との正しい折り合いのつけ方は、「あくまで闘う」ことにあるのではなくて、「がんと共生する」というか、「がんとほどほどの関係を保つ」ことにあるのではないかと僕は思っています。/ほどほどの関係を保つとはどういうことかというと、がんを凶暴にさせないように気を遣うが、さりとて、根治をめざして、がんをとことん叩きのめそうなどとも思わないということです。がんを、症状がどんどん悪化する「進行がん」にしないように努めるが、一方根治も求めず、せいぜい症状が悪化も改善もしない安定状態(腫瘍が大きくも小さくもならない「不変」状態)をもってよしとするということです。このあたりは、人生観、価値観がちがう人がいるでしょう。「自分は考えがちがう。あくまで闘う」と反発する人も沢山いるでしょうが、とりあえず、僕はそう考えているということをまずは申しあげておきます。

 
○個々のがんの病がたどる大筋の運命は多分相当前から決まっている(たいていのがんは目に見える症状が出る前の十年、二十年で大筋が決まってしまう)のでしょうが、個々のがん患者の運命は、その先の、個々の患者の意志決定と肉体の個々のシチュエーションにおける応答によっていくらでも変わっていくものです。医療の意味はそこにあるのです。そして、医療における患者自身の意志決定(インフォームド・コンセントなど)の大切さもそこにあるのです。あらゆるがん患者において、これからどのように生きていくか、あるいはどのように死んでいくかについて、もっとも大事な部分は患者自身の決定にまかされているのです。

 
○医者の中には、患者を安心させるために、いろんなことをいう人がいます。しかし、それは必ずしもアテになりません。たとえば、「がんはもう不治の病ではありません。がんは治る病気なんです。がんは怖くありません」などという人もいますが、そんなことはありません。がんは基本的に怖い病気です。不治の病かそうでないかといえば、治癒という言葉の定義にもよりますが、本質的には不治の病といったほうが正しいのです。/しかし、がんが治ったように見える場合もあるし、医者がそういう表現をする場合もあります。でも、それはより正確にいえば、がんが見えなくなったというか、通常の検出手段では検出不可能なレベルに小さくなったというにすぎないケースがほとんどです。手術をして、目に見える病巣はすべて取り去り、一定の観察期間を経過しても、どこかに転移している様子が全く見られないというときに医者はそのようにいうことがありますが、それは必ずしもがん細胞がゼロになったということを意味しません。がんは基本的に、がん細胞の数が十億以上の細胞塊になったとき(重さにして1グラム、径にして1センチメートル)が検出限界で、それ以下のがん細胞のかたまりは、見つけることができません。/しかし、検出にひっかからなくてもそれ以下のがんはいつでもあり得るのだということを知っておく必要があります。手術して取ったはずのがんがしばしば何年かたってから再発するということがあるのはなぜかというと、微小転移したがんが時間の経過とともに、大きく育って、検出限界以上になってしまったということがあるからなのです。ですから、検査でがんが消失したように見える場合でも、良心的な医者は、安易に「あなたのがんは、根治しました」などとはいわず、将来再発の可能性があることをはっきり告げるものです。

 
○抗がん剤は次から次へと新しいものが登場してくるのですが、使いはじめてしばらく時間がたつと、がん細胞は、その抗がん剤に対する薬剤耐性を獲得して、その薬が効かなくなってしまうのです。/この薬剤耐性の問題が片づかない限り、抗がん剤の世界は、新薬が次々に登場しても、薬剤耐性との間で、永遠のイタチごっこを繰り広げることになりそうだというのです。/なぜそれほど薬剤耐性の問題は解決が困難なのかというと、遺伝子が本質的に変異を起こす能力を持っているからです。その能力によってすべての生命体は進化してきたということがあります。つまり変異を起こす能力というのは生命体の本質みたいなところがあるのですが、この薬剤耐性の問題の根底にそれがあるのです。新薬を開発しても、すぐにがんのほうで変異を起こして、新しい薬剤耐性能力を獲得してしまうのです。/・・・がんと変異と進化能力とは切っても切り離せない関係にあるわけです。がんの最も本質的な部分はここにあるといってもいいでしょう。

 
○人ががんになったというニュースが広まったとたん、「(がんには)これが効いた」「あれが効いた」というようなことをいいにくる人がよくいるものです。大半の人は根っからの親切心でそういいにくるのでしょうが、それはしばしばうんざりするほど多くなって、話を聞くだけでいやになります。しかも実際に効くものはほとんどありません。/なぜなら、がんに関する真実は、個々バラバラだからです。ある人にとっての真実が、必ずしも別の人にとっての真実にはならないのです。ことがんに関しては、きちんとしたデータに基づく話ができない素人の話を聞いてもあまり意味がありません。/近年急速にわかってきたことは、一つ一つのがん、一人一人のがんが驚くほどちがうということです。がんには個性がありすぎるくらいあるんです。・・・「極端なことをいえば、ほとんど、患者の数だけちがうがんがあると考えたほうがいいくらいだ」という研究者すらいます。/なぜそんなにちがうのかといえば、がんという病気は本質的にその人の遺伝子に蓄積した変異の積み重ねがもたらすものだからです。その変異の積み重ねはその人の個性そのものというか、その患者の個人の歴史を反映したものだからです。個人個人がみんなちがった人生を歩んできたようにその人のがんもちがった人生の反映なのです。だから、患者Aのがんと患者Bのがんが、ちがった病態のがんになるのは当然のことなのです。同じがんはこの世に二つとないのです。最近よく医学会全般でオーダーメイド医療の必要性が叫ばれていますが、がんこそいちばんオーダーメイド医療が必要とされる病気だといってもよいでしょう。/だから「あれが効いた」「これが効いた」の話も、必ずしも全部が全部インチキ話なのではなく、それぞれにそれなりの真実を含むエピソードが背後にある話なのだろうと僕は好意的に解釈していますが、そこに真実のかけらがあるからといってそれはがんの世界では一般化できる話にならないということをいっておきたいと思います。

 
○医学関係の番組の場合、放送後しばしば、視聴者から手紙や電話で抗議の声が寄せられることがあります。ここがちがう、あそこがおかしいという指摘です。けっこう医者からの抗議が多いといいます。ところが、この番組に関しては、全く抗議がありませんでした。それは、これまで医学界全体が国民に伝えてこなかったことを番組が思いきって伝え、しかもその内容にウソが含まれていなかったからだと思います。/NHKがこれまで作ってきたがん番組には、患者にいたずらに夢を持たせがちの内容のものが少なくありませんでした。それに対して、この番組はむしろ、厳しい現実を正直に伝えることを目的としています。/しかし、かといって、「患者の皆さん、絶望してください。がんはこれほど恐ろしい病気です」ということを伝えようとした番組ではありません。シチュエーションとしては絶望的というに近い状況だが、一人一人の患者個人の生き方の問題としては、決して絶望することはないのだということを伝えようとした番組でもあります。

 
○胃がんなら胃を全部取った、半分取ったなどというケースがよくあるし、大腸、結腸なら、相当部分を摘出して、人工肛門を付けざるをえなかったなどというケースもよくあります。がんの患部だけをピンポイントで切り出すということはほぼできなくて、予後の安全(周辺組織への浸潤を防ぐ)のためにも健康な部分もいっしょに大きくえぐり取らなければなりません。放射線療法の場合も、ピンポイントで患部だけに放射線をかけることはできなくて、健康な部分を含めて放射線をかけることになりますから、どうしたって副作用から逃げきれません。

○副作用が特に深刻なのは、化学療法といわれる抗がん剤治療の副作用です。抗がん剤は、がん細胞の増殖を止めようとします。しかし抗がん剤は、がん細胞だけにピンポイントで作用するということができません。抗がん剤を服用するとそれは血流にのって、全身のすみずみまで運ばれていきます。手術や放射線は、ピンポイントではないにしろ、患部だけに働きかける局所療法ですが、抗がん剤は、全身療法にならざるをえないのです。その副作用は全身に及びます。/がん細胞の際立った特徴は、その急速な増殖にあります。がんとは、ある部分の細胞がとめどなく増殖するようになる細胞の病気です。抗がん剤はその増殖をおさようとする薬です。しかし、がん細胞の増殖だけをおさえることができないので、あらゆる細胞の増殖をおさえようとします。だから、抗がん剤の副作用は大きいのです。/人間の体は、すべて新陳代謝していきます。六十兆の細胞がみな新しい細胞に置き換わることを日々つづけていく(すべての人において毎日平均数千億の細胞が新しい細胞に置き換わっている)から、人間は生きているのです。細胞はみな細胞分裂によって新しい細胞になっていきます。それをおさえようとするのが抗がん剤ですから、抗がん剤は、人体のすべての細胞のナチュラルな働きを止めようとする薬だともいえるわけです。いってみれば、抗がん剤は生命の自然な働きに反する薬なのです。だからつらい副作用がいろいろ出てしまうのです。/人体の細胞の中にも、新陳代謝のスピードの速い遅いがあります。新陳代謝のスピードが速いところは、細胞分裂がそれだけ活発なところです。抗がん剤は細胞分裂が活発ながん細胞に働きかけてその細胞分裂を止めようとします。すると、がん細胞以外の、もともと細胞分裂が活発なところにもその働きかけが及んで、そこの細胞分裂を止めようとします。抗がん剤の副作用の第一が頭がハゲることになるのは、そのためです。毛根は体の中で細胞分裂が激しいところだからです。副作用の第二は気持が悪くなり、吐き気がしたり、食欲がなくなったりすることです。これは胃腸など消化器の粘膜部分が体の中で最も新陳代謝が激しいところだからです。胃腸の粘膜は、数日の間に全部入れかわるほど、新陳代謝が激しい(細胞分裂がさかんな)ところなのです。/実はそのように細胞分裂がさかんに行なわれている場所は同時にがんができやすい場所でもあります。がんとは細胞分裂システムが狂うことですから、そのように、細胞分裂が常日頃から激しく行なわれている場所こそ狂いが生じやすいのです。

 
○抗がん剤の最大の副作用は、「骨髄抑制」といって、骨髄の造血機能そのものを障害することにあります。抗がん剤を服用するようになると、たちまち白血球の数がどんどん少なくなります。そのため免疫力がガクンと低下してあらゆる感染症にかかりやすくなります。・・・/骨髄の造血幹細胞は、赤血球、白血球などの血液成分を造るだけでなく、人間の免疫作用の主たる担い手であるリンパ球(B細胞、T細胞、ナチュラルキラー細胞)も造っています。抗がん剤の障害作用はここにも及ぶので、患者の免疫力は著しく低下します。/ここで見逃せないのが、それらの免疫細胞が最も活躍する場が、体内の粘膜層だということです。そこは細菌、ウィルスなどの外敵がいつでも折あらば体内に侵入してやろうと虎視眈々と狙っている場所ですから、体内からは、いつでも侵入者を撃退すべく一連の免疫細胞が待ちかまえていて、そこは両者の食うか食われるかの大闘争が常時繰り広げられる場になるわけです。その大切な粘膜層が抗がん剤の作用でズタズタボロボロにされれば、当然免疫力が低下します。かくして抗がん剤は、免疫細胞そのものの生成を阻害するのと、免疫細胞の生活と活動の場を奪うのと二重の意味において、人間の免疫力を低下させるわけです。/その結果として、患者はあらゆる病気にかかりやすくなります。それでどうなるかといえば、患者は、がんでは死ななかったが、他の病気で死ぬという結果に終わる可能性が相当あるのです。つまり、抗がん剤を服用しつづけた結果の死が、必ずしもがん死統計にのらない形の死になることもあるということです。/それはある意味で、抗がん剤の広義副作用による死といえるでしょうが、そのようなカテゴリー分けがあるわけではありませんから、それは統計上あらわれてこない副作用死です。しかし、知っている範囲の具体的がん死のケースで、遺族が「抗がん剤が効いて、がんのほうは縮小しつつあったのですが、急に肺炎がひどくなって・・・」などといっているのを聞くと、僕などは「たぶん、医者からそう聞かされているのでしょうが、ほんとのところ、それは抗がん剤の副作用としての免疫力の低下死だったのではないですか」といいたくなるようなケースだということです。

○大ざっぱにいえば、延命効果はせいぜい2ヶ月程度です。そもそも抗がん剤が抗がん剤と名乗ることを許されるためには臨床試験で2ヶ月程度の延命効果があることが証明されなければならないという規定がありますから、2ヶ月の延命効果があるのは当然なのですが、それ以上のものにはなかなかなれないということです。/がんの治療は、手術、放射線などの物理的療法を終えると、あとは抗がん剤治療(化学療法)しかなくなります。しかし、抗がん剤にできることはかぎられています。抗がん剤で完治が望めるがんは、きわめてかぎられたものです。小児がん、液性のがん(白血病などの血液がん)は確かに抗がん剤によって治る病気になったということができますし、リンパ腫なども抗がん剤治療によって治ることが期待できます。しかし、その他一般の固形がん(血液がん以外のがん)については、絨毛がん、睾丸腫瘍、肺細胞腫瘍など以外は、完治が望めず、症状緩和、延命効果しかありません。

 
○がんが末期に向かう中で、がんに何らかの積極的治療ができる時期もあるけど、そういう時期をすぎて、「積極的治療はもう何もなし」といわざるをえない時期がどうしてもくるのです。・・・/そのときに登場してくるのが、「こういう療法があります。こういう手があります。これだけの実績があります。がんが治った人がこれだけいます」といったことをならべたてて、まっとうな医療機関から見放された患者たちに誘いの水をかけるのが、いわゆるがん「代替療法」の世界です。この代替療法に費やされる金額のほうがまっとうながん医療に費やされる金額よりはるかに大きなものがあるという現実があります。

 
○がんの特効薬はいまや国際的詐欺師たちの絶好のネタになっています。世の中には人を欺すために作られた怪しげな雑誌や学会が国際的にゴマンとあるのです。横文字の文献が付いていてもすぐに信用せず、少しでも怪しいと思ったら、インターネットで二重三重に検索してみて、信用性を徹底的にチェックするべきです。/夢のような話は、まずは怪しいと思ってまちがいありません。この世界、夢のような話は現実にはないんです。本当に夢のような話だったら、とっくに、新聞、テレビ等のメジャーなメディアが大々的に取りあげているはずと思ってください。公的メディアを通さず、「あなただけに教えます」という形をとったヒソヒソ話はすべて怪しいと思ってまちがいありません。

 
○「なぜそうなるのかはよくわからなくても、確かに再発率が下がるというので、はじめは半信半疑、後には実績(データ)から当然という感じで標準療法に取り入れています」と・・・。医学の世界は、理論より証拠が優先する経験科学の世界ですから、訳がよくわからなくても確かに効くならそれでよいのです。だって、伝統的によく使われている薬品の相当部分がなぜその薬が効くのか、薬効を理論的によく説明できないままに使われつづけている(あるいはずっと後になって薬効の説明がついた)という例が少なからずあるんです。/科学がこれだけ発達した今日、たいていのことはすでによくわかっているにちがいないと思っている人が多いかもしれませんが、事実はその正反対で、ジャンルを問わず、よくわからないことが大部分です。人智は浅すぎるほど浅いんです。がんという病気についても、どれほどわからないことが多いか知っておくべきです。

 
○がんの末期になると、医者から、「正統医療としてはあなたに施す治療法はもう何もありません」といわれる段階が来ます。医者に見放されるわけです。/この段階になると、がん患者はみんな、ワラにもすがる気持ちになる。そうなったとき、ちまたに出回っている代替療法の「あれが効く」「これが効く」話に飛びつくようになる。そういうものはだいたい費用が、バカみたいにかかるんです。一回の投与で、何万円とか、何十万円とかかる話が結構ある。それでも小金がある人はそれに飛びつく。どうせ冥土にお金は持っていけないからと、そういうものにダメもとで手を出す。いくらお金がかかってもつかむワラ、という意味で、「黄金のワラ」というわけです。そういう言葉が、がん患者、がん難民の間で広まっている。

 
○戸塚さん(物理学者、高エネルギー加速器研究機構長)、筑紫さん(ニュース23の筑紫哲也)のお二人がつづけて亡くなったときはいささか動転しました。お二人とも、その最後のステージが驚くほど急速に悪化して、本当にあっという間に亡くなってしまわれたからです。/かねてからがんは「『まさか』『まさか』の病気」(最終ステージの進行が速くて、「まさか」と思っているうちにあっという間に亡くなってしまう)と聞いていましたが、お二人の急な訃報を聞いたときは本当に「まさか」と思いました。お二人の最後の急展開を目の当たりにして、がんという病気の恐ろしさ、手ごわさを改めて思い知らされました。

 
○どんながんも何らかの検査にひっかかるのは、大きさが直径1センチ、重さ1グラム、細胞数が十億に達してからだということだ。それ以前のがんは肉眼で観察してもそれと分からない「見えないがん」なのだ。一個の細胞からはじまってそこにくるまでに、たいてい十数年から二十年くらいかかっているはずだが、その間ずっとがんは見えないのだ。

 
○内視鏡はいま日本のものが世界でいちばん進んでおり、世界市場のシェアも日本がいちばん。知る人ぞ知る日本の最大のハイテク輸出品の一つだ。トップ企業はカメラメーカーのオリンパス。カメラメーカーとしてつちかった光学技術、電子技術、精密機械技術を生かして、他の追随を許さない製品群を持っている。

 
○「電気メスは電圧をかけると、ほんとに鋭利に切れて、シャーっという感じになります。電圧をかけないと全く切れないから安全です。それで一回切ったあと、次に切るところに電気を切ったメスをもっていって、そこを押してみたり、ひっかけてひっぱってみたりして、あたりを取るんです。大事なのは、そのときの指先の感触です。あたりを取れば、あとは息を吐いた瞬間を狙ってフットスイッチを踏んで電気を入れれば、シャーっと削れるわけです。その繰り返しです」/いやー、それは名人芸ですね。/「そんなことありませんよ。ちょっと年季をつめば誰でもできます」/どんな世界でも、その道の達人といわれる人に芸の道を聞くのは面白いものだが、西松医師の相手の呼吸を合わせて「シャーっと削る」という話にもそれを感じた。

 
○がん遺伝子と呼ばれるものの多くが、生命体の初期発生過程や、細胞活動の最も基礎的な過程に不可欠の役割を果たしている。たとえば細胞内の生理物質から生理物質に情報を伝えるシグナル伝達物質の多くがオンコジーン(発がん遺伝子)ないしその産物なのである。だから、たとえば、がん遺伝子を全部ノックアウトして、がん遺伝子フリーの生物を作ろうなどと思っても、そんなことはできない。そんなことをしたら、その生命体そのものが死んでしまう(生きつづけられない)からである。/我々(ヒトだけでなく生物のすべて)は生きているかぎりがん遺伝子から逃れることはできないのだ。生きることそれ自体ががん遺伝子のおかげという側面があるのだ。別のいい方をすれば、我々はがん遺伝子と共存してきたおかげでここにこうして生きているのである。がん遺伝子とは、これからも共存していかざるをえないのである。もちろん、がん遺伝子イコールがんという病気ではないから、がん遺伝子と共存しつつがんという病気をコントロールすることが可能と期待され、研究もその方向を向いている。

 
評価:10点

 

| | コメント (0)
|

2011年11月23日 (水)

11/23 「泳」 2150

1500+(Bu25+Fr25)+(Ba25+Fr25)+(Br25+Fr25)+Fr50+Frキック50×4+Fr50×4+ダウン50
=2150

1500は27分50秒。
泳ぐのは1ヶ月ぶり。

9月は1回、10月も1回、11月は泳げないかも、というわけで休日に泳ぐことにした。今月も月2回のノルマ達成はほぼ無理。12月も忙しいんやろうなあ、はぁ。。

 

| | コメント (0)
|

2011年11月21日 (月)

久しぶりのアムロちゃんネタ

情報、画像、溜め出し。

 
■リリース

ニューシングル「Sit!Stay!Wait!Down!/Love Story」12/7発売!
両A面シングルで、「Love~」は月9の主題歌、「Sit!~」は挿入歌。
左がCD+DVD、右がCDのみ
26122 26121

ライブDVD、12/21発売!
今年はライブ行ったけど、DVDやっぱり待ち遠しい。

 
■雑誌

『BLENDA』12月号(10/7発売)
Blendacover Blenda_2

 
『ViVi』12月号(10/22発売)
Vivi1211 Vivi1211a

 
『S Cawaii !』12月号(11/7発売)
Scawacover 
Scawa1 Scawa2

 
■CM

エスプリークの新CMが11/19からオンエア開始
オフィシャルサイトは →こちら
YouTubeでも見れる↓

Kiss_visual Dream_visual
Smile_visual Wish_visual

Xmas

 
■その他

ライブ会場で販売されているツアーブックより
Tourbook1 Tourbook15_2
Tourbook4_2 Tourbook35
Tourbook26

 

| | コメント (0)
|

2011年11月20日 (日)

甥っ子誕生

11/18誕生。

今日、見に行った。

3776gと聞いてたので、さぞかし大きいんだろうと思ってたけど、赤ちゃんってこんなに小さかったのね。

彼らにとっては、いとこ
3776_2

3776gとは覚えやすい。
勝手に富士男くんと命名。

ちなみに左の奴は3600、右の奴は4100。
家系か?

 

| | コメント (0)
|

山猫

『山猫』 1964年 イタリア/フランス合作

午前十時の映画祭、26回目。

ルキノ・ヴィスコンティ作品を観るのはかなり久しぶり。「山猫」は初めて。
ヴィスコンティといえば「ベニスに死す」だと思っていたが、これもすごい映画だった。

カンヌ映画祭グランプリ受賞作。

主人公の存在感といい、舞台がシチリア島ということもあり、「ゴッドファーザー」と似たような印象を受けるが、こちらは絢爛たるイタリア貴族の世界。

監督のヴィスコンティも名門貴族出身。後半の舞踏会シーンは一見の価値あり。
これは後世に残すべき芸術作品だと思う。

28歳のアラン・ドロンが男前すぎる
Photo
クラウディア・カルディナーレとの美男美女カップル

 
そしてなんといっても、バート・ランカスターがとってもダンディ
Photo_2

 
バート・ランカスターもアラン・ドロンも姿勢がすごくいい。

姿勢、大事やね。

 

| | コメント (0)
|

2011年11月19日 (土)

授業参観と図工展

次男坊の授業参観は国語。
全員が、自分たちで作った連詩の朗読。
ポジショニングが悪く全然聞こえずつまらんかった。

だいたい声が小さい。
みんなの前で発表するときは大きな声で、という基本の指導ができていない。声さえ大きければ内容がショボくてもOKやっちゅうねん。

そして次男坊、1回くらい手を挙げんかい。

 
図工展、今年のテーマは「祭」
Photo

 
4年生の作品は、はっぴとちょうちん。

はっぴ
Photo_2

ちょうちん
Photo_3
次男坊の提灯は右端

 
そして全員作成のうちわ
Photo_4

次男坊のうちわ
Photo_5
変なうちわだ

 
いちばんイケてたのは先生の絵
Photo_6

 
今年の図工展、4年生のテーマはいまいちだった。
絵2つじゃなくて、絵と工作にするべきでしょ。

 

| | コメント (0)
|

2011年11月15日 (火)

体制維新―大阪都

Photo 『体制維新―大阪都』

 橋下徹 堺屋太一 文春新書 2011/10/31刊

11/27の大阪市長選に向けて出された本。もっと早くに出した方がよかったのではないか?選挙までにどれだけの人が読んでくれるだろう。

歯に衣着せぬ物言いが、悪い意味でメディアに取り上げられているという印象が拭えない。主張している内容は理想論的ではあるが、支持したい。11/27の知事選、市長選はとても楽しみ。大阪人に変化を選択してもらいたい。

 
以下、抜書き。#は感想。

 
○国鉄は、・・・1970年代には、貨物は自動車に、長距離旅行は飛行機に喰われ、大きな赤字を出すようになりました。/これに対して国鉄当局は、様々な改革を出しました。総裁には大蔵事務次官や大手商社出身者を就けたりもしました。/でも、経営改善は進みません。赤字は増え年間二兆円以上にも達しました。/そこで、1985年、中曽根内閣は国鉄を分割民営化するという大胆な体制変更を打ち出しました。これには国鉄の経営陣や労働組合などが大反対、一時は「ストライキで対抗する」と息巻いたものです。しかし、国民は国鉄改革を支持し、分割民営化が実現しました。国鉄職員にも、赤字を垂れ流す体制に失望して、改革を支持する者も増えていました。/この結果、国鉄を民営化して生まれた6つの旅客会社と貨物会社は黒字となり、何千億円もの法人税を支払ってくれるほどになりました。体制(システム)を変えれば、同じ事業でもガラリと変わるのです。

#これは堺屋氏の文章。主義主張は同じではあるが、なぜ堺屋氏と共著としたのか。堺屋市はもう過去の人だから、橋下氏単独の本の方がよかったと思う。

 
○僕はよくゲームにたとえるんです。子どもたちは、ゲームのいろんなソフトについて友達同士でしゃべります。おもしろい隠れキャラクターがあるとか、攻略法などを朝から晩まで喋っている。/だけど、そのゲームを動かすニンテンドーDSや、PSPなどのハードの仕組みについて、じつはこれがアメリカ軍の機密にもなるようなチップが入っているとか、集積回路はどういう配置になっているとか、日本のこんな最先端技術が使われているとかいう話はしませんよね。おもしろくもなんともないですから。システムやメカニズムの話、またメカニズムを変えなくてはいけない、システムを新しくイノベーションしていかなくてはいけないという話は、エンジニアなどの専門家を除いては一般ユーザーにはなかなか伝わりにくい。/行政機構の話もそうなんです。行政機構の専門家でないとわかりにくいんです。一般の国民の皆さんに、もっとわかるように説明しろと言われるのですが、とても難しい。地方自治制度や地方行財政制度を4年間勉強した大学生でもよくわからないくらいです。/大阪都構想によって何が変わるのか、を完全に理解している人は、関西圏の大学教授にも恐らくほとんどいないだろうと思います。非常に大切なことなんだけれども、それを伝えることはむずかしい。だからこういう形で堺屋さんと本を出すことにしたんです。

 
○霞が関のエリート官僚は・・・/昨日まで経済産業省で特許庁総務課にいた人が、今日からは、わずか3時間ぐらいの事務引き継ぎで通商政策を担当、貿易交渉をしたりするわけです。能力に応じて人事が行われるのではなく、公務員として入省した入り方と年次で「身分化」が起こっているのです。何年入省だからそろそろ課長に、次は部長か審議官にしなければならないといった形になっている。官僚というのは本来、職業であるべきなのに、現実は「身分化」している。これは霞が関の硬直化を象徴する重要な問題です。/そういう霞が関の官僚が淀川のダムとか、京阪神の道路を作ることまでを決定して、補助金をつける。補助金をつけたから地方はその裏負担をしろというのが今の仕組みです。

 
○慢性的に赤字化した財政を健全化させるのはしんどい仕事です。いままで当たり前だった公的サービスに優先順位をつけ、削るべきは削る。同時に、有権者の皆さんに負担を求める。つまりサービスカットやサービスにかかわる手数料の増額などです。選挙のことを考えると、政治家はこの道を選べません。誰もが避けようとします。だから財政再建に手がつかない。いまや、日本という国全体がこういう状況にあります。

 
○今の教育委員会制度は教育の中立性を錦の御旗に、教育現場が全てを仕切る仕組み、教育現場は半ば治外法権のような状態です。そして地方の教育委員会は、自らの首長、議会の言うことに耳を傾けませんが、文科省の言うことは全てビシッと聞くのです。完全な官僚体制です。このような現実も世間ではあまり知られていません。

 
○大阪市長は、京都府や広島県に匹敵する自治体において広域行政と基礎自治行政の全てを担うのです。市役所がとてつもなく大きな権限と財源を有している。そしてそのチェック機関は大阪市議会一つです。独裁というなら、こちらのほうがはるかに独裁的で危険です。事実、さまざまな弊害が大阪市では起きています。/一例をあげれば、大阪市には市立高校も含めて525の学校があります。教育委員会は一つだけ。たった6人の教育委員会が、525校を所管している。大阪市以外の市町村では、一つの教育委員会が所管する学校数は10程度。多くても3、40校程度です。大阪市長が一人で、そして一つの教育委員会で、525校すべてに対応するのは絶対に不可能です。ゆえに、全て教育委員会事務局という官僚組織に任せ切りになってしまいます。本来なら、区ごとに教育委員会を設けるべきなのです。

 
○市役所は区長の予算を10倍に増やす方針も示しています。それでもたかだか20億円。人口10万人、大きい所では人口20万人を超える区もありますが、同じ人口規模の基礎自治体の予算と比べても、小さすぎることに変わりはありません。人口10万人の大阪府池田市の予算規模は約350億円(2011年度)なのですから。

 
○事が起きても誰も責任を取らない。重い責任を負った決定でないからいい加減な軽い決定になる。決定権者に重い責任を負わせなければならない。重い責任を負えば負うほど決定権者は熟考し、思い悩み、死ぬほどの苦しみを味わいながら決定する。そしてそのような状況で頼った最後の勘が抜群に冴えるのです。日本の政治家の決断が吹けば飛ぶような軽いものであり、勘もまるっきり冴えないのは、それだけの重い責任を背負った決断ではないからでしょう。

 
評価:9点

 

| | コメント (1)
|

2011年11月13日 (日)

三加茂〆

20111113

〆は徳島市街まで出向いて徳島ラーメン「東大」。こってり肉入り。

こってりやった。

 

| | コメント (4)
|

三加茂最終日

ガス、キャンセル。

今年もゴール出ず。
来年から春開催?

 

| | コメント (0)
|

2011年11月12日 (土)

三加茂初日

晴れのち曇り 西のち東

TO→上坂河原 43km

max1500
三頭へ渡って、サダボンとタカナミとヒデカズくんとみんなでローターと闘ってるうちに東風が。。

30kmで今日はトップ。

さあ、夜はナカノを囲む会。

 

| | コメント (0)
|

2011年11月11日 (金)

「第三回 午前十時の映画祭」開催決定

私が今年ハマっている午前十時の映画祭、来年も開催!

↓以下、オフィシャルサイトよりコピペ
---
昨年(2010年)2月より実施の「午前十時の映画祭」は、お陰様をもちまして、大変数多くのお客様にご支持いただくことができ、現在は「第二回 午前十時の映画祭」を大好評開催中です。皆さまのご来場、ご鑑賞誠にありがとうございます。

「第二回 午前十時の映画祭」開催直後より、映画祭事務局はじめ関係各社には、是非「第三回」も開催して欲しい という声を数多くいただいてまいりました。

実行委員会の中で協議を重ねてまいりましたが、現在、日本の映画界は急速にデジタル化に向かっており、今年から来年にかけてほとんどの映画館がデジタル上映を基本とする上映方式に生まれ変わる見込みです。フィルム上映による本映画祭は存続が非常に難しくなってきました。しかしながら、関係各社、現場スタッフのご協力により、フィルム映写機を最低限確保することができ、また内閣府からの継続実施の認可もいただけたため、来年も「第三回 午前十時の映画祭」を開催できることとなりました。

開催概要は下記となります。
【開催劇場】東京・TOHOシネマズ みゆき座他、現在「Series1/赤の50本」を上映中の全国25劇場にて開催
【上映作品】「第二回」で選ばれた「Series2/青の50本」を上映します。
*「第三回」での新たな50本の選定は行いません。
【実施期間】2012年3月3日(土)~2013年2月15日(金)予定
*東日本大震災により一部劇場で上映休止期間があった関係で、これまでよ
り約1か月遅れての開始となります。全50週、50作品は変わりません。

《今後について》
劇場のデジタル化がさらに加速する中、フィルム上映での開催は物理的に困難となり、「午前十時の映画祭」は「第三回」の開催をもって一旦終了することになります。
これだけの数の傑作娯楽映画をニュープリントで観ることが出来る最後の一年と言って過言ではないと思います。お一人でも多くの皆様に素晴らしい映画体験をしていただきたいと願っております。

なお、映画祭実行委員会といたしましては、将来的に名作映画の数々がデジタル化され、機が熟せば、今度はデジタル上映による「午前十時の映画祭」を模索していきたいと考えております。

今後とも「午前十時の映画祭」をよろしくお願いいたします。

「午前十時の映画祭」実行委員会
---

赤の50本は今年まで、というのが私にとっては重大ニュース。
できるだけ観に行かなくては。

 

| | コメント (0)
|

2011年11月 6日 (日)

こども二科展

次男坊の通うアトリエの先生から、二科展に入選しました、との連絡を受けびっくり。よく聞くと「こども二科展」とのこと。そんなのがあることを初めて知った。

産経新聞社主催で、応募総数2万5000点の中から1463点が選ばれ、産経新聞10/31夕刊に名前が載った。約6%に入ったということになるのでたいしたもんだ。例えると、50人の大会で3位に入った感じ。

その表彰式が大阪市立美術館であった。
Photo_2

流れ作業のようではあるが、1人ずつ表彰状を手渡された。
Photo_3

受賞作はこれ↓
Photo_4

 
一般の「二科展」も開催されていたので覗いてみたが、素人には良さがわからんなあ。。

 

| | コメント (1)
|

2011年11月 5日 (土)

ブリット

『ブリット』 1968年

午前十時の映画祭、25回目。

私にとって、スティーブ・マックィーンといえば、これ。

伝説のカーチェイスもスクリーンで観たのは初めて。

Bullitt
このムスタングを駆ってサンフランシスコの坂を突っ走る。

 
添え物程度の出演とはいえ、ジャクリーン・ビセットは美しかった。
Photo

 
とにかくマックィーンがひたすらかっこいい。

マックィーンファンとしては
評価:10点!

 

| | コメント (0)
|

2011年11月 4日 (金)

11/4 竜門

北西弱

ぶっ飛び。

前山は見事なクラウドストリート、竜門の山並みはずっとブルー。

14時、あきらめてTO。

Ws000000

あきらめてたけど予想以上にセンタリングできた。
ゲインはできず、17分。

今日のフリーフライトはウメちゃんと私のみ。
入山簿にはパラとハング合わせて9名のみ。
ハング体験タンデムはにぎわってて4名。

天気はいいのに寂しい平日だった。

 

| | コメント (0)
|

2011年11月 3日 (木)

ステキな金縛り

『ステキな金縛り』

Kanashibari_01

10/29封切り。

封切り初日に三谷幸喜の前作「ザ・マジックアワー」をTV放映する、という戦略に乗せられて家族で観に行った。TOHOシネマ梅田のいちばんでかい劇場がいっぱい。封切り前にフジテレビのいろんな番組でかなり露出してたし宣伝効果ばっちりな感じ。ちなみに私はシネマイレージのポイントが貯まってて無料で観れた♪

映画の感想としては、さすが三谷幸喜、といったところ。
深津絵里も見事としかいいようがない。
最後はしっかり泣かせてもらった。

中井貴一もよかった。
Photo_3

 
今日は朝から1本、夕方から1本、超久しぶりに1日に2本も劇場で映画を観た。
文化の日だしね。

 

| | コメント (0)
|

パピヨン

『パピヨン』 1973年

午前十時の映画祭、24回目。

スティーブ・マックィーン主演の脱獄もの。
と言っても、「大脱走」とはまったく趣が違う。

よくこんな映画を作ったなあ、というのが感想。
実話を元にしたベストセラー小説の映画化とのこと。

すごかった。
おもしろかった、という感想は出てこない。
すごかった。

Photo

この囚人服にはびっくり、くいだおれ太郎かいな。
Photo_2
横にいるのは、共演のダスティン・ホフマン

 

| | コメント (0)
|

2011年11月 1日 (火)

日本人の誇り

Photo 『日本人の誇り』 藤原正彦

  文春新書 2011年4月刊

よく売れている。帯にあるように、250万部以上を記録しているベストセラー「国家の品格」の藤原氏の著作。

日本の近現代史を書いた本であり、そこから、日本人よ誇りを持て、という主張をしている。

近現代史はやっぱりとっつきにくく、万人受けするものではないと思われるが、多くの人に読んでもらいたいとは思った。

以下、抜書き。

 
○・・・国家が謝罪するなどということは、私の知る限り日本だけです。主権国家というものは、戦争で降伏し賠償金を払っても、謝罪という心情表明はしないものです。それは自国の立場を弱くし、自国への誇りを傷つけるからです。・・・/第二次大戦やそれ以前の歴史を外交に持ち出す国は私の知る限りこの三国(中国、韓国、北朝鮮)以外、世界中のどこにもありません。半世紀以上も前のことを持ち出しても普通は手を広げ肩をすくめられるだけで、どんな効果ももたらさないからです。だからインド、ミャンマー、シンガボールなどはイギリスに「歴史認識」を迫りませんし、ベトナムはフランスに「歴史認識」を問いません。独ソにとことん虐げられたポーランドだって同じです。世界中でそれを口にするのは、1982年以降の中国、韓国、北朝鮮だけなのです。日本が謝罪と譲歩で応える世界唯一の国だからです。1990年以降はほとんど毎年、政府が謝罪し続けています。それにより関係は改善するどころかむしろ悪化しています。/近隣諸国条項とは平たく言うと「中国、韓国、北朝鮮を刺激しかねない叙述はいけない」という政治的なものです。子供の学ぶ歴史教科書において、歴史的客観性より「事を荒立てない」を優先するという滑稽な代物なのです。・・・その後30年近くもこの条項が存続しているという事実は、国民の多くがこれに違和感を持っていないことを意味するからです。だから問題は深刻なのです。

 
○自国を卑下するという世界でも稀な傾向は・・・統計的にもあらわれています。世界数十カ国の大学や研究機関が参加する「世界価値観調査」によりますと、18歳以上の男女をサンプルとした2000年のデータですが、日本人は「自国を誇りに思う」の項目で世界最低に近いのです。「もし戦争が起こったら国のために戦うか」では「ハイ」が15%と図抜けて世界最低、ちなみに韓国は74%、中国は90%です。恥ずかしい国を救うために生命を投げ出すことなどありえないのです。

 
○アメリカの言い分は「ポツダム宣言を承諾せず徹底抗戦を続ける日本に降伏を促し、犠牲者が米兵だけで100万、両国合わせて1000万にも上るだろう本土上陸作戦を避けるために仕方なかった」というものです。1000万を救うために20万を殺したという理屈です。/私がこれまで原爆について話したことのある何人かのアメリカ人もみな類似のことを言っていました。2009年にアメリカのある大学の行なった世論調査では61%のアメリカ人が「原爆投下は正しかった」と答えたそうです。65年が経ってもこうなのです。/驚きです。

 
○・・・南京大虐殺は原爆投下を正当化したいというアメリカの絶望的動機が創作し、利益のためなら何でも主張するという中国の慣習が存続させている、悪質かつ卑劣な作り話であり、・・・

 
○20年以上にわたり毎年10%以上も軍事費を増加させるという中国の異常な軍備拡大に抗議するどころか、すでに6兆円をこすとも言われる巨額のODAを与え、さらに援助し続けるのも、自らの対中防衛力を高める努力もしないでハラハラしているだけなのも、中国の不当な為替操作を非難しないのも、「南京で大虐殺をしましたよね」の声が耳にこだまするからです。中国の対日外交における最大の切札になっているのです。

 
○・・・、スターリンは日本軍と国民政府軍の本格戦争をさせるため、中国共産党を操って、日本軍人や日本人居留民を虐殺するなどありとあらゆる挑発を行なうよう仕向けていました。中国共産党は当時、単にコミンテルン支部に過ぎませんでしたから、スターリンに入知恵された毛沢東は、漁夫の利を得ようと必死でした。反共の蒋介石だけでなく日本でさえ、スターリンの野望を明確に把握していませんでした。日中戦争とは、正規軍による大会戦はほとんどなく、絶え間ないゲリラ的挑発に乗りもぐら叩きをしながら奥地へ奥地へと引きずりこまれて行くような、何の目的もない無意味で、惨めで、徹底的に愚かな戦争でした。・・・/無論、中国の主権を奪い日本領とする、などという意図はありませんでした。そのうえ、上海で本格的な日中戦争を始めたのは中国でした。それ以前の日本人への数え切れないテロ行為は、主に中国共産党が日本を戦争に引きずりこむために行った挑発でした。

 
○実はソ連だけでなく米英も日中戦争に深く関っていたのです。米英は日中戦争の始まった頃から、公然と蒋介石を支援していました。初期はドイツ、それ以降はソ連が武器援助、米英がそれ以外の物資の援助、独ソ戦開始の1941年以降はほぼ全面的にアメリカが援助しました。米英ソの大規模な援助がなければ、日中戦争などは当初日本軍が考えていた通り、1937年末に首都南京が陥落した時点で国民政府軍と休戦になっていた可能性が高いと思われます。/100万近い日本軍を中国大陸に貼り付けさせ、日中両国に膨大な犠牲を出させ疲弊させたのは、日本の意志ではなく中国の意志でもなく、米英ソの意志だったのです。

 
○ハル・ノートは、東京裁判での日本側弁護人が、・・・、「こんな最後通牒を出されたらモナコやルクセンブルクでも武器をとって立つ」と言ったほどの高圧的かつ屈辱的なものでした。/ドイツの勢力拡大を憂えるルーズベルト大統領は、モスクワ陥落という所まで追い詰められているソ連、および気息奄々のイギリスを救うため、ヨーロッパへの派兵を強く望んでいました。・・・/しかしながら、議会はもちろんアメリカ国民の8割以上は参戦に反対であり、ルーズベルト自身、前年の大統領選挙で「アメリカの若者の血を一滴たりとも海外で流させない」と公約して当選していました。この世論の厭戦気分を一掃し公約を破棄するには、日本に「最初の一発」を撃たせ、国民を憤激のるつぼにおとし入れるしかない。ルーズベルトは智恵をしぼりにしぼり、日本が手を出さざるを得ないように着々と手を打ったのでした。・・・/なお、ハル・ノートを起草したハリー・ホワイト財務次官補は、戦後になって解読されたヴェノナ文書によると明白なソ連のスパイでした。ハリー・ホワイトは終戦の3年後、共産主義者として告発され非米活動委員会に召喚された後、自殺しました。ホワイトなどソ連工作員達は、ソ連の生存はアメリカの参戦に依存し、アメリカ参戦は日本軍の「最初の一発」に依存すると捉え、日米交渉決裂のため必死の工作を行なっていたのです。ハル・ノートは決裂させるための切札でした。

 
○・・・帝国主義の荒波の中で、日本人はそれぞれの時代の最強国ロシアそしてアメリカに、独立自尊を賭け身を挺して挑むという民族の高貴な決意を示しました。無謀にもロシアとアメリカに挑んだことは、別の視座から見ると、日本の救いです。日本の基本姿勢が他の列強とはまったく違い、弱肉強食、すなわち弱い者いじめによる国益追求、という恥ずべきものでなく、あくまで独立自尊にあった、ということの証左にもなっているからです。/そして日本人は、これら大敵との戦いの各所で、民族の精華とも言うべき自己犠牲、惻隠、堅忍不抜、勇猛果敢などの精神を十二分に発揮したのです。

 
○・・・金銭的豊かさをあくまで追求し、他人より自分ということで激しい自己主張をする欧米人は、国際秩序とか平和より自国を尊重し、自国の富だけを求めて自由に競争するという考えになびきやすいのです。まさに帝国主義です。リーマンショックに始まり、その後のギリシア危機、ユーロ危機など世界経済の混乱を引き起こしている新自由主義は、貪欲資本主義とも言えるものでこれまた欧米のものです。/万人が自由に、自分の利益が最大になるように死に物ぐるいに競争し、どんな規制も加えないですべてを市場にまかす。どんなに格差が生まれ社会が不平等になろうと、それは個人の能力に差があるのだから当然のことだ、というのは、日本のものではありません。

 
○・・・家や近隣や仲間の有難さが失われ人々との繋がりが希薄になったこの社会で、苦労して産み育てた子供は本当に幸せになれるのだろうか。なれそうもないのなら出産や子育てにエネルギーを使うより、自らの幸福を追い求めよう。自分を支えてくれた社会へ恩返しするより自己実現、となるのです。「個の尊重」「個を大切に」を子供の頃から吹きこまれているからすぐにそうなります。/だから少子化は出産費用の援助や「子ども手当」で解決する問題ではありません。馬車馬の尻を鞭で叩くような、勝者と敗者を鮮明にする成果主義にもとづく競争社会でなく、人々の濃密なつながりを大事にしたうるおいのある社会を取り戻さない限り、解決しないのです。

 
評価:8点

 

| | コメント (0)
|

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »