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2011年12月26日 (月)

采配

Photo 『采配』 落合博満

 ダイヤモンド社 2011年11月刊

オレ流、満載。

内容とは関係ないが、いたるところ太字化されていたり、言葉の一節や一文のみが1ページに大文字化して表記されていたり、とても読みにくい。そういう小細工は編集者の押しつけ以外のなにものでもないと思う。

以下、抜書き。

 
○・・・「俺は一生懸命やったのに」と憤慨しても道は開けない。上司や監督に「嫌われているんじゃないか」。そう考え始めた時は、自身を見る目が曇り始めたサインだと気づいてほしい。

 
○どうしても使う側と使われる側に考え方の違いがある以上、頑張っているつもりでも評価されなかったり、上司との人間関係に悩まされることはあるはずだ。その際に「ここに留まるべきか、別の道を探すべきか」を自分で判断しなければならない。そのためには、普段から目の前の仕事にベストを尽くすことが条件だ。/・・・/自分には何ができるのか正しく認識し、できないことはできるように努力し、できるようになったら質を高めていく。こうやって段階を踏みながら仕事に取り組めば、次第にその仕事は自分に合っているのか、あるいは別の分野で頑張っていくべきなのか、客観的な視点でも判断できるようになる。

 
○40代でも現役を続けられる選手が増えた理由はどこにあるのか。/スポーツ医学やコンディショニングが目覚ましく進歩したのも一因になるだろうが、最も大きな理由は、下(若手)からの突き上げが弱くなっていることではないか。

 
○人生はどこでチャンスが訪れたり、自分を生かせる仕事と巡り合えるかわからない。そう考えれば、仕事で思い通りの実績を上げられなかったり、希望の職種ではなかなか採用してくれる企業がなかったり、志望校に合格できず浪人している人たちも、決して「負け組」ではなく、勝利を目指す道の途中にいる人だと考えられる。/ただ、そこで自分が苦しい立場にあることを社会や他人の責任と考えているようでは、せっかく道は勝利につながっているのに、行き先を見誤ってしまうことになりかねない。/また、世間一般で言われている名門大学を卒業し、一流企業でバリバリ仕事をしているビジネスマンも、勝利を目指す道を歩んでいると言っていいだろう。それでも、仕事の内容に不満を抱いたり、将来は出世できるのかと不安になったりしている人もいるはずだ。しかし、自分には合わないと思える仕事が貴重な経験になることもある。肩書きの上では出世をしていなくても、組織にとってなくてはならない存在になることはいくらでもできる。/・・・/大切なのは現時点の自分が「勝ち組」なのか「負け組」なのかと自覚することではなく、ただひたすら勝利を目指していくこと。そのプロセスが人生というものなのだろう。

 
○「できることをしっかりやる」のが成果を上げる鉄則だろう。その一方で、「できることをしっかりやることこそが難しい」のも事実だが、部下が「あの人の言う通りにやれば、できる確率は高くなる」と上司の方法論を受け入れるようになれば、組織の歯車は目指す方向にしっかりと回っていくはずだ。

 
○どんな仕事でも、連戦連勝、つまり勝ち続けられることは至難の業だ。いい結果が続いている時に指揮官がイケイケになってしまったら、ほんの小さな負けにも必要以上に動揺し、焦りが次の負けを生み出してしまう。だからこそ、いい結果が続いている時でもその理由を分析し、結果が出なくなってきた時の準備をしておきたい。

 
○勝負の世界においては、一番と二番には、天国と地獄にたとえられるほどの差がある。/だが、最近スポーツ大会の閉会式を偶然テレビで見ると、会長だか大会委員長がこう言っているのを耳にした。「準優勝チームも、最後の最後までよく戦いました。最後は紙一重の差で負けてしまったけれど、準優勝おめでとう」/準優勝チームに「健闘を称える」と言うならわかるが、「おめでとう」はないだろう。

 
○自分がいいと思うものを模倣し、反復練習で自分の形にしていくのが技術というものではないか。・・・私の記憶を辿っても、プロ入り後にチームメイトや対戦相手の選手を手本にしたのは一度や二度ではない。模倣とはまさに、一流選手になるための第一歩なのだ。/・・・/家電品にしても雑誌にしても、どこかの会社が出した商品が評判になれば、他社は何のためらいもなく同じような商品を世に出していく。そこに競争が生まれ、老舗の売り上げを二番煎じが上回り、いつしか二番煎じがスタンダードになった例などいくつもある。大切なのは誰が最初に行なったかではなく、誰がその方法で成功を収めたかだ。

 
○通算500本塁打を初めて達成したのは誰かといえば、それは1971年の野村さんなのだ。この時点では、本塁打という記録の荒野を先陣切って駆け抜けていたのは野村さんであり、王さんは野村さんの背中を追う立場だった。プロ野球にもそういう時代があったのである。/野村さんが日本初の500本塁打という偉大な記録を打ち立て、それを追った王さんが野村さんを抜き去り、記録を600、700、800と伸ばした。「初」の歴史を紐解けば、その価値をさらに深く認識することができるのではないか。/・・・/今後、岩瀬が通算セーブ数をどこまで伸ばすかわからない。だが、仮に300台でユニフォームを脱いだとすれば、次代の投手はその記録を追い、抜き去っても400を目指すことができる。そうやってプロ野球は発展していく。同じように、どんな世界でも、かつての「初」を次代が抜き去り、新たな「初」が生まれていく。「我が社初の」、「我が業界初の」、「我が校初の」が、その世界を発展させていくという意味で、「初」の価値を再認識すべきなのだ。

#初200㎞は私だったが、初100マイルはトミハラさん、では初100㎞は?今の若い人は知ってるのだろうか?初100㎞はゴーダさん。さて、初300㎞は誰か?

 
○どんな世界でも円滑な人間関係を築くことは大切だ。しかし、「上司や先輩が自分のことをどう思っているか」を気にしすぎ、自分は期待されているという手応えがないと仕事に身が入らないのではどうしようもない。物質的な環境がよくないと感じたら、上司に相談したり、改善の提案をすることは必要だが、人間関係の上での環境に関しては「自分に合うか合わないか」などという物差しで考えず、「目の前にある仕事にしっかり取り組もう」と割り切るべきだと思う。/人間味あふれる人と評判の監督が率いるチームでも、「このチームにいてよかった」と心底感じているのはレギュラークラス、すなわち監督に重用されている選手だけだ。/残念ながら、控えに甘んじ、いつまでも年棒の上がらない選手が「監督を慕っている」という話は聞いたことがない。同じように、100人の社員が100人とも「ここはいいな」と感じている職場などあり得ないのではないか。/組織の中には、いい思いをしている人とそうでない人が必ず混在している。ならば、職場に「居心地のよさ」など求めず、コツコツと自分の仕事に打ち込んでチャンスをつかむことに注力したほうがいい。運やチャンスをつかめる人ほど、このことをよくわかっている。

 
○やりがいのある仕事に巡り合えないと思っていても、だから不幸というわけではない。反対に会社で順調に出世しているからといって、それで人生がすべて満たされるわけでもない。ましてや、人生の素晴らしさは、誰と比べて幸せだから、というものではない。/大切なのは、何の仕事に就き、今どういう境遇にあろうとも、その物語を織り成しているのは自分だけだという自負を持って、ご自身の人生を前向きに采配していくことではないだろうか。/・・・/一度きりの人生に悔いのない采配を振るべきではないか。

 
○あの時、別の道に進むべきだったか。自分の人生はこれでよかったのか。/齢を重ねれば重ねるほど、あるいは人生がうまくいっていないと感じた時ほど、そうやって自分の人生を振り返るものだろう。だが、自分が歩んできた道は、すでに歴史になっているのだ。ならば、「これでいいんだ」と踏ん切りをつけることが、その先に進んでいくための原動力、次への一歩になるのではないか。私はそう考えている。

 
評価:8点

 

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