« ラ シーム | トップページ | 足尾へ »

2015年10月27日 (火)

小泉今日子書評集

Photo『小泉今日子書評集』 小泉今日子

 中央公論新社 2015年10月25日刊

2005年~2014年の「読売新聞」書評欄にキョンキョンが書いた97冊分の書評集。

帯にある文章をご紹介。
「その本を読みたくなるような書評を目指して十年間、たくさんの本に出会った。読み返すとその時々の悩みや不安や関心を露呈してしまっているようで少し恥ずかしい。でも、生きることは恥ずかしいことなのだ。私は今日も元気に生きている。」

書評ではあるが、それを書いた時の想いやなんかが書き込まれていてとてもおもしろい。書評集というより、本を題材としたエッセイ集のよう。とても読みやすいし、文章うまいわ。

選ばれた本は、女子向け漫画があったり、短編集があったりで、なかなか自分の好みと合う本はなかったけど、読みたくなるような書評ではあった。


以下、抜書き。#は感想。

○大人になって、寂しいと感じるのは人に叱られなくなることかもしれない。出来が悪い子供だった私は、親や先生にうんざりするほど叱られていた。でも、そのお陰でいろんなことに気付かされたように思う。叱られながら守られていたのだと今になって感謝する。今でも時々誰かに叱られたいと思う。そんな時、私は本を読む。こんな風にこっそり何かに気付かせてくれる一冊にちゃんと出会えるからだ。

#年をとるにつれて叱られなくなるが、仕事をしてると、叱られなくとも指摘されることはよくある。謙虚に受け入れていかないとね。


○真夜中に学校のプールに忍び込んで泳いだことがあります。水が真っ黒なコールタールのように感じて怖いので絶対に真似しないでください。

#私も経験があるが、確かに夜中の暗いプールは水が黒かった。コールタールのように、とは思いもしなかったけど。その辺りのセンスがいいね。


○小さな自分の世界の外側には考えもしないほどの大きな世界があると知った時、あんなに苦しかった私の悩みなんてほんのちっぽけなものなのだと知った。自分の存在はこの大きな世界の中のほんの一部なのだと認めた時、人は少し救われた気分になれるのかもしれない。

#見解が異なる。自分はなんとちっぽけなんだと思い知らされて、呆然、愕然として凹む。


書評とは何の関係もない抜粋となった。エッセイとして読んでたし。

評価:10点

 

|
|

« ラ シーム | トップページ | 足尾へ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ラ シーム | トップページ | 足尾へ »