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2015年10月19日 (月)

職業としての小説家

Photo_2『職業としての小説家』 村上春樹

 スイッチ・パブリッシング 2015年9月刊

自伝的エッセイ。

注目されたのは、紀伊国屋書店が初版の9割を出版社から買い取ったこと。狙いはネット書店への対抗。紀伊国屋から他社書店へも供給し、書店への集客を目論んだらしいが、、

いざ本屋へ行っても置いてなかった。2軒回って、2軒ともなかった。それらの本屋は紀伊国屋から仕入れなかったんだろう。そしてアマゾンでポチッた。

逆効果じゃね~か。
すぐに入手できんかったし。。

既存のシステムを打破しようとするのはいいと思うが、やるなら客に迷惑掛からんようにやってくれ。


小説の書き方として、書き直しを何度も何度もする、ということにへぇ~と思った。そんなにじっくり時間を掛けて書かれてるのなら、1回読んだだけではよくわからなくても当然だな、と思った。長編小説は時間がたっぷりあるときなんかにじっくり再読したい。

 
以下、抜書き。#は感想。

○あくまで目安に過ぎないのですが、習慣的に積極的に文芸書を手に取る層は、総人口のおおよそ5パーセントくらいではないかと僕は推測しています。読者人口の核とも言うべき5パーセントです。現在、書物離れ、活字離れということがよく言われているし、それはある程度そのとおりだと思うんだけど、その5パーセント前後の人々は、たとえ「本を読むな」と上から強制されるようなことがあっても、おそらくなんらかのかたちで本を読み続けるのではないかと想像します。・・・/本を読む習慣がいったん身についてしまうと―そういう習慣は多くの場合若い時期に身につくのですが―それほどあっさりと読書を放棄することはできません。手近にYouTubeがあろうが、3Dビデオゲームがあろうが、暇があれば(あるいは暇がなくても)進んで本を手に取る。そしてそういう人たちが20人に1人でもこの世界に存在する限り、書物や小説の未来について僕が真剣に案じることはありません。

#私もその1人。そうか20人に1人か。。


○ジェームズ・ジョイスは「イマジネーションとは記憶のことだ」と実に簡潔に言い切っています。そしてそのとおりだろうと僕も思います。ジェームズ・ジョイスは実に正しい。イマジネーションというのはまさに、脈略を欠いた断片的な記憶のコンビネーションのことなのです。あるいは語義的に矛盾した表現に聞こえるかもしれませんが、「有効に組み合わされた脈略のない記憶」は、それ自体の直観を持ち、予見性を持つようになります。そしてそれこそが正しい物語の動力となるべきものです。

#なるほど、他でも通用するかな。


○なぜ学校の勉強を熱心にしなかったかというと、いたって簡単な話で、まずだいいちにつまらなかったからです。あまり興味が持てなかった。というか、学校の勉強なんかより楽しいことが世の中にはたくさんありました。たとえば本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を見に行ったり、海に泳ぎに行ったり、野球をしたり、猫と遊んだり、それからもっと大きくなると、友だちと徹夜麻雀をしたり、女の子とデートをしたり・・・というようなことです。それに比べれば、学校の勉強というのはかなりつまらなかった。考えてみれば、まあ当たり前のことですね。

○学校に通っている間、よく両親から、あるいは先生から「学校にいる間にとにかくしっかり勉強をしておきなさい。若いうちにもっと身を入れて学んでおけばよかったと、大人になってから必ず後悔するから」と忠告されましたが、僕は学校を出たあと、そんな風に思ったことはただの一度もありません。むしろ「学校にいる間にもっとのびのびと好きなことをしておけばよかった。あんなつまらない暗記勉強をさせられて、人生を無駄にした」と後悔しているくらいです。

#正しいかも。受験生を子どもに持つ親が言うのも何だが。。


評価:7点

 

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