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2015年11月17日 (火)

実践経営哲学

Photo_2『実践経営哲学』 松下幸之助

 PHP文庫 単行本は1978年刊

研修で紹介のあった本。名著だな。
字が大きくて字数が少ないのですぐに読める。

松下幸之助という人はほんとに偉い人だと思う。


少しご紹介。#は私のコメント。

○物事がうまくいったときは”これは運がよかったのだ”と考え、うまくいかなかったときは”その原因は自分にある”と考えるようにしてきた。つまり、成功は運のせいだが、失敗は自分のせいだということである。/物事がうまくいったときに、それを自分の力でやったのだと考えると、そこにおごりや油断が生じて、つぎに失敗を招きやすい。実際、成功といっても、それは結果での話であって、その過程には小さな失敗というものがいろいろある。それらは一歩過てば大きな失敗に結びつきかねないものであるが、おごりや油断があると、そういうものが見えなくなってしまう。けれども、”これは運がよかったから成功したのだ”と考えれば、そうした小さな失敗についても、一つひとつ反省することになってくる。/反対に、うまくいかなかったときに、それを運のせいにして”運が悪かった”ということになれば、その失敗の経験が生きてこない。自分のやり方に過ちがあったと考えれば、そこにいろいろ反省もできて、同じ過ちはくり返さなくなり、文字どおり「失敗は成功の母」ということになってくる。/そして、そのように”失敗の原因はわれにあり”という考えに徹するならば、そうした原因を事前になくしていこうという配慮ができるようにもなる。だから、それだけ失敗も少なくなって、どういう状況下にあっても経営が順調にいくという姿になってくるわけである。

#経営に限らず、いろんなことに通じる。


○個人的な人情としては、人に注意したり、叱ったりするのは、あまりしたくない、できれば避けたいことである。しかし、企業は社会に貢献していくことを使命とする公器であり、そこにおける仕事もまた公事である。私のものではない。だから、その公の立場から見て、見すごせない、許せないということに対しては、言うべきを言い、叱るべきを叱らなくてはならない。決して私の感情によってそれをするのでなく、使命感に立っての注意であり、叱責である。そういう厳しいものによって、叱られた人もはじめて目覚め、成長していくのである。/何も言われない、叱られないというのは部下にとっても一面結構なようだし、経営上、上司にとっても楽であるが、そうした安易な姿では決して人は育たないことを銘記しなくてはならない。

#叱られるのは嫌だけどね。


評価:9点

 

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