2001夜物語
星野之宣のSF名作がCGアニメで復活とのこと。
公式サイトは →こちら
SF名作とは、『2001夜物語(全3巻)』 双葉社 1985~6年刊
これはほんとに名作。20年以上前の作品だけど。
評価:10点
星野之宣のSF名作がCGアニメで復活とのこと。
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SF名作とは、『2001夜物語(全3巻)』 双葉社 1985~6年刊
これはほんとに名作。20年以上前の作品だけど。
評価:10点
『三国志(一~十三)』 北方謙三 時代小説文庫
表紙の色がすべて違っていて並べたらきれいかなあと。
映画「レッドクリフ Ⅰ・Ⅱ」をまだ観ていなくて、映画の前にもう1回読んでおきたいなあということで北方版に着手した。最もオーソドックスな吉川英治版(文庫で全8巻)は20年ほど前、大学生のときに夢中で読んだ。その後、数年してからこれも有名な横山光輝版(漫画)を読んだ。古い人は全60巻ものを知っているだろうが、それが文庫化されて全30巻。当時、月々2巻づつ刊行されたので揃えることができた。
再読したいといっても同じものを読むのもいまいちなので、今回はなかなか評価の高い北方版を読んだ。ハードボイルドちっくでめっちゃおもろかった。
以下、全13巻を10文字で要約してみた。
(1)孫堅死す
(2)趙雲参陣
(3)呂布散る
(4)孫策死す
(5)袁紹倒れる
(6)孔明登場そして長坂橋
(7)レッドクリフ!
(8)周瑜病没
(9)関羽敗死
(10)曹操往生、張飛毒殺
(11)劉備死す
(12)泣いて馬謖を斬る
(13)孔明過労死
さあ、「レッドクリフ」観ないと。
評価:10点
小林よしのり編 幻冬舎新書 09年7月刊
いよいよあと10日。
総選挙の前に読んでおいた。小林よしのりものは初。かなり右寄りな内容でちょっとびっくりした。私は昔から野党第一党を支持してきてどちらかといえば左寄りなのでかなりギャップを感じたが、知らなかったこともたくさんありまあまあ勉強になった。民主党も心配になってきた。週刊誌の記事を読んでるようで、どこまで信じていいのかわからないが。。
以下、抜書き。
「構造改革」「痛みに堪えて米百俵」と小泉純一郎が絶叫し、新自由主義的な弱肉強食の経済政策に突入すれば、マスコミは一斉にこれに反対する議員を抵抗勢力と叩き、会社組織を売買するM&Aを当然の流れだとして、ホリエモン的な株式資本主義を礼賛した。/・・・/その結果として、「中間層の消滅」「格差拡大」「金融崩壊」「大不況」「派遣切り」という絶大な効果が現出すれば、今度は雇用をなんとかしろ、老後が不安だ、生活第一にしろとマスコミ大衆は悲鳴を上げる。構造改革の負の効果を肌身で知ってやっと小泉の正体がわかったのか?/ところが未だにマスコミが行なう政治家の人気投票では、小泉が首位になったりするのだから、大衆ほど信じられないものはない。虚無感に襲われるほどだ。それほどまでに世論というものはあてにならない。
・・・現実には中国は835基もの核弾頭ミサイルを持ち、その多くを日本に向けている。その上で尖閣諸島を狙っているのであり、日中中間線のガス田開発は一方的に進めているのであり、政治家の靖国参拝や教科書の内容にまで干渉してくるのであり、潜水艦は石垣島のすぐそば、日本の海域を無断で通過するのであり、空母を作って太平洋を制覇する野望を逞しくしている。/こんな相手にただ「友好」だの「平和」だのを説いて、何になるというのだろうか?/国家と国家は国境をめぐり、海域をめぐり、衝突する。互いに自国のエゴを主張して、武力で威嚇しながらでも国益を追求するものである。/ところが日本では、福田康夫のように理念も目的もない政治家が首相になって、「人の嫌がることはしない」などという小学生並みのことを言って、中・韓に媚びへつらう外交をする有り様だ。
・・・阪神・淡路大震災もありました。なぜ6500人もの国民が命を落とさなければならなかったかといえば、村山内閣が機能不全だったからですよ。「朝が早かった」とか「初めての出来事なので」などとバカ丸出しの弁解をしていましたが、その背景には戦後政治を大きく規制した社会党的な体質があった。平時のことしか考えない彼らには、非常時への対応は平時に用意しておかなければ間に合わないという、政治家の常識が欠落していたんです。これは、自衛隊敵視とコインの表裏のようなもの。もっと迅速に自衛隊を派遣するなど、対応次第では5000人の命を救えたとも言われています。
・・・初めに陸自への派遣出動命令が下った時、首相の指示で人員は3000人に限られたというから呆れた話だ。/さらに在日米軍から空母インディペンデンスを拠点とした救援活動の申し入れがあったにもかかわらず拒否し、毛布3700枚のみを受け入れている。/その上、驚かされるのは大震災に対処するための初の緊急閣議が開かれたのが、何と28時間も経過した翌日だったことだ。ここまで遅延して、一体どこが「緊急」なのか。/こうした災害に対処する際、最も大切なのは初期にどこまで迅速に効果的な手を打てるかだ。このような体たらくではほとんど絶望的と言わざるをえない。/後に国会で対応のまずさを批判された村山氏は「なにぶん初めての経験でもございますし、早朝の出来事でもございましたから」と信じられないような釈明をおこなっている。能天気この上ない。恐るべき危機管理意識の欠如である。/こういった対応の欠陥を一々あげつらっていけばきりがない。しかしそうしたデタラメな対応に終始した村山氏のふるまいの中でも、とりわけ常軌を逸していたのが最後まで緊急災害対策本部を設けなかった一事だろう。/わが国の法制上、阪神・淡路大震災のような大規模災害に対し、国が迅速かつ効果的に対処しようとする場合、最も有効な組織がこの緊急災害対策本部だ。当然、国会でもその設置を求める声がくり返しあがった。ところが多くの国民の犠牲を眼前に見ながら、村山首相はついにそれを認めなかった。
・・・小泉純一郎の考え方は日本にとってすごく危険だと思う。・・・/日本の強さは、集団の強さであると同時に、末端の強さでもあるんですよ。政治でも経済でも、アメリカや中国のトップと日本のトップを比べたら、全然勝てない。しかし日本は末端のレベルがものすごく高いから、集団としては戦えるわけですね。そこを生かす体制を崩してしまったら、日本は弱くなるしかない。/構造改革は「日本的なるもの」を徹底的に打ち壊す運動でもあったわけですね。
・・・鳩山由紀夫が「日本列島は日本人だけのものではない」なんて言うのも、左翼だからではないと思います。単に、意味もわからずに言ってるだけ。真剣に論ずるような対象ではないですね。/鳩山由紀夫は何もわかってないね。あれは中学生の学級委員ぐらいの感覚。/いい大学を出てるのにねえ(笑)。
小泉氏は、自分の内閣にとって最後となる通常国会の会期延長をなぜか頑なに拒んだ。その限られた会期内に「これだけは絶対に通せ」と異常なまでの執着を見せ、衆議院の委員会で強行採決までさせたのは国民投票法案でも教育基本法改正法案でもなかった。小泉氏が最後の最後までこだわったのは、あの「後期高齢者医療制度」を含む医療制度改革法案だったのだ。/ここに小泉純一郎氏の政治家としての本質が露呈している。その本質とは「対米追随派の大蔵族」ということに他ならない。/小泉構造改革というと道路と郵政を思い浮かべる人が多いが、実は5年5ヶ月もの任期を通じて小泉氏が最も執念を燃やし、国民に最もひどい痛みを与えたのは医療分野での改革だったのだ。小泉氏の置き土産である医療制度改革は、その前年に強行した郵政民営化の延長線上にある課題であった。医療と郵政は所管官庁も異なり、無関係に見えるだろうが実はひとつの接点がある。キーワードは「保険」と「米国」である。郵政と医療は、どちらも米国の保険業界の外圧が関係していた。
・・・小泉純一郎という政治家は、「改革の旗手」でもなんでもない。我が国を巧妙に支配する二つの見えざる権力、すなわち米国と旧大蔵省にひたすら忠実な飼い犬だったということに尽きるのである。/国民の代表として小泉路線に異議を唱え、是正しようとした良心的な自民党議員は小泉官邸によって「抵抗勢力」「守旧派」「族議員」という誤ったレッテルを貼られ、それに便乗して「小泉劇場」で視聴率や購読部数を稼ぐことに狂奔したマスメディアの餌食にされ、徹底的にバッシングされ、多くの有為の人材が議席を奪われ、小泉氏への忠実さだけが取り柄のような小泉チルドレンが大量に当選した。これこそが4年前の郵政解散・総選挙で起きたことの本質にほかならない。
小泉氏の老獪さは、施行の時期を二年後、つまり自分が総理を辞めた後に設定したことにあらわれている。小泉内閣最後の通常国会で医療制度改革法案が可決されたとき、なぜかマスメディアはまったく注目せず、二年経って福田内閣のときに施行されるに至って急に騒ぎだした。そのときもこれが小泉氏の置き土産だという事実がほとんど強調されなかったため、小泉氏はいまだに相変わらず大衆人気を保ち、くだらない世論調査で「総理に相応しい政治家」のトップにランクされている。もはや悲劇を通り越して喜劇である。/我が国は高齢化が進むために、医療にかかるお金(国民医療費)が増え続けていくことは避けられない。その中で政府の負担だけを削減するということは、要するに国民の負担を重くしていくということにほかならないが、それは国民が「自己責任」で解決しろ、不安なら民間保険会社の医療保険をお買いなさい、保険料が払えない人はお荷物だから早く死になさい、というのが小泉構造改革の基本的な考え方なのだ。
永住外国人の地方参政権について、小沢一郎は賛成だと言っている。ある種の勢力と手を組む必要からそう言っているのかもしれないが、聞く処では「たいした実害はないだろう」との甘い考えを示しているそうである。過日、小沢は韓国大統領の李明博との会談で、「在日韓国人への参政権付与を行うのが遅れているのは遺憾に思っている」とまで踏みこんた発言をして、同案件の推進の方針を表明している。/これなども小沢が現実を見ないで、観念でものを言っている一例といえるだろう。参政権を認めれば、韓国人や中国人が過疎地の自治体に計画的に集団移住するなり、住民登録を移すなりして、小さな自治体の議会を選挙で合法的に占拠する可能性が十分に予想されている。対馬や沖縄のある種の島などは真先に狙われるだろう。侵略は国境の内側から始まるのである。「実害」がないどころではない。/移民問題でヨーロッパは悩みつづけているが、外国人への地方参政権の付与からトラブルが始まってやがて内乱に近い状態になったオランダのような例もあるのである。/国家主権、領土の保全が大切だという意識が小沢には稀薄なように見受けられる。彼は保守政治家ではないのである。/このレベルの現実認識で彼が主導する民主党が政権政党になり、日本の舵取りをするという場面を思い描くと、そら恐ろしい気がしてくる。
小渕さんがまさにその命を賭して実現した沖縄サミットをいわば「横取り」して乗りこんだ森は、クリントン大統領に「Who are you?」と話しかけた。「How are you?」と間違えたのである。ホスト国の首相から「あんた誰だ?」といきなり言われては合衆国大統領も困っただろう。こういう時はジョークとして受け流すのが外交的儀礼だ。クリントンは「私はヒラリーの夫です」と軽快に切り返したが、それに対して森は「Me too!」と答えたという。ヒラリーさんを通じて日米首脳が兄弟になってしまってはいけない。「お元気ですか?」「元気です。あなたは?」「私もです」という中学校一年生の教科書に載っている会話を暗記させられたもののサメの脳味噌ではちゃんと言うことができなかったわけだ。/こういうエピソードには事欠かない。「馬鹿みたいな人物」が首相になったことはあったが「正真正銘の馬鹿」が総理の座に座ったのはこの男がはじめてだろう。
「これが売国政治家ワースト10人だ!」
1位 河野洋平
2位 村山富一
3位 小泉純一郎
4位 小沢一郎
5位 中曽根康弘
6位 野中弘務
7位 竹中平蔵
8位 福田康夫
9位 森喜朗
9位 加藤紘一
評価:7点
ローワン・ジェイコブセン 文芸春秋 09年1月刊
科学読み物としてはそこそこ売れている。原題は「Fruitless Fall」、直訳すると「実りなき秋」。環境問題を扱った本として、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」はあまりにも有名。それを意識したタイトルであるがえらく意訳するもんだ。まあ、ハチのことを書いているし、結構インパクトある邦題だからこれはこれでいいかも。
北半球のミツバチが危ういらしいが、ハチのいろんな生態についてもとても興味深かった。
以下、抜書き。
・・・、ミツバチは摂氏15度以下では飛ぼうとしない。さらには、雨の日も飛ばない。朝も他の蜂に比べて比較的遅く、夕べも早々に引き上げる。リンゴ栽培の専門家である私の友人は、ミツバチは組合労働者だと言う。条件が折り合わないことがいくつかあると、その日の就業をやめてしまうから。
秋が殺風景な姿をさらすようになり、最後の花も姿を消すと、ミツバチのコロニーは幼虫を産み育てるのをやめ、巣の中央に身を寄せてかたまり、体を震わせ続ける。温かい中心部で守られているのは大切な女王だ。そして甘いものを食べ、体をくっつけ合って、厳しい日々を耐えしのぶ。発熱は、翅の筋肉を振動させることによって行う。そして凍死するようなことがないように、塊の内側と外側を常にローテーションし続ける。/この努力はしっかり実を結んでいる。外の気温がマイナス30度近くまで下がる北国の冬でも、ミツバチの塊の中心部は、蜂蜜パワーに駆動されて、アフリカ並みの摂氏35度前後を保つ。
・・・卵からかえったとたん、ミツバチ版の母乳である、たんぱく質豊富なゼリー(ローヤルゼリー)をふんだんに与えられる。これは、子育てに専従する育児蜂が花粉を消化して作る。三日月の形をした幼虫は迅速に成長する。その速さは、1日に2回、体重が倍になるほどで、6日目には、育房の隙間がほとんどなくなってしまう。
ミツバチは、餌と関連付けて学んだものなら、どんな匂いでも見つけ出す。・・・/地雷の探知は嫌な仕事だ。地雷に含まれる爆薬の匂いを嗅ぎつける仕事をよく押し付けられるのは犬だが、犬は訓練に時間がかかるし、広い地域をカバーすることもできないうえ、地雷に吹き飛ばされてしまうことも多い。だがミツバチは、順応性に優れた学習者で、餌に爆薬の副産物を少し混ぜるだけで、2日間のうちに学習を済ませてしまう。カバー範囲も犬よりずっと広く、決して爆死するようなことはない。/・・・実験では、ミツバチは97%の精度で地雷を発見し、見逃したのはただの1%だけだったという。これは、人間の地雷撤去作業員の精度と変わらない。
・・・雄蜂たちの群れは、・・・、ライバルを引き離し、素早い女王蜂を捕らえようと競う。ついに1匹が女王蜂に追いつく。一目ぼれだ。彼は飛びながら女王蜂の腹部を前脚で捕らえ、下腹部をすりよせて、男性器を彼女の中に差し込む。つかの間のあいだ、ふたりは愛に包まれて山の上を流れるように飛ぶ。だが、この関係はあっという間に冷めてしまう。/文字通り人生のクライマックスを迎えた瞬間に、雄蜂の下腹部に途方もない空圧が高まって爆発が起きるのだ。そして数百万の精子と切り取られた男性器を女王蜂の体に竜巻のような勢いで押し込んだあと、雄蜂は地面に落下して命を終える。・・・/けれども女王蜂は、まだ肩慣らしをしただけだ。他の雄蜂が追いかけてくると、もっとも早い数匹を選び、一度に一匹ずつ交尾して、体を離すたびに、雄蜂をデススパイラル飛行に追いやる。女王蜂がようやく交尾をやめるのは、数回の飛行で10匹から36匹におよぶ求婚者の貢物を手に入れたあとだ。/浮気者だと責めないでほしい。この飛行は、彼女が巣の外に出られる唯一のチャンスなのだから。・・・この数日間の朝の飛行が終われば、また巣に戻って、一生涯子供を産み続けなければならない。
蘭のほんとうにすごいところは、虫をだます手管が豊富なことだ。食べ物以外で虫をおびきよせるとしたら、他にどんな方法があるだろう?避難所の提供もそのひとつ。実際、蘭の中には、隠れ家を提供するものもある。香りもしかり。これは蘭にとっては得意中の得意だ。そして、もうひとつ、食べ物や飲み物に勝る究極の誘引策がある。/セックスだ。オフリス属の多くの蘭は、発情した雌の蜂やカリバチの擬態を芸術の域にまで高めている。このような蘭の下部の唇弁は、見かけも匂いも、そして感触さえも、柔毛で覆われた雌が誘惑している姿にそっくりだ。雄は急降下すると「雌」の上にまたがって、ことにはげむ。昆虫学者はこの行為を「擬似交接」と呼ぶ。パートナーに脈がないことを発見した蜂は、憤懣やるかたない思いで次々と蘭の花を訪れる。そして無駄な努力に疲れ果てた頃には、かなり効果的に蘭の集団を他家授粉してしまっている。
ハワイのカウアイ島。海上450メートルの断崖から一人の植物学者がぶらさがり、雄のブリグハミアの花から花粉を採取して、雌の花に移している。「先端にキャベツがついたボーリングのピン」のようなこの1.8メートルほどの多肉植物は、ハワイの絶壁にしか生えない。唯一の花粉媒介者だったスズメガが消えてしまったため、野生のブリグハミアはここ数十年間自力では繁殖が行えないままになっている。すでにラナイ島とマウイ島では絶滅し、カウアイ島に残る数も100本を切った。
メキシコ。バニラ農園の農民が、淡い緑色をしたバニラ蘭の柔らかい花弁を引き裂き、花粉を爪楊枝でかき出して柱頭に移している。受精した花柱は、成長してバニラの莢になる。1年に1度しか開花しないバニラの花には花粉を保護している蓋があるが、その蓋の開け方を知っているハリナシミツバチの「メリポナビー」は森林伐採のために消滅してしまった。ほかにこのトリックをマスターした授粉昆虫はいない。今日、世界中のバニラ蘭は、人間の手で受粉されている。
イチジクが頼りにしているのは、たった1種類の花粉媒介者、・・・イチジクコバチだ。イチジクコバチの人生のビッグイベントはすべてイチジクの中で生じる。・・・/イチジクの面白い特徴のひとつは、そのヘソにある。例の、太いほうの端にある楊枝であけたような穴だ。このヘソのなかには、・・・入り組んだ一連の壁がある。この迷宮の中を進めるほど小さくて意思が強い昆虫は、このごく小さなイチジクコバチしかいない。・・・/雌のイチジクコバチが地球上で唯一産卵する場所は、イチジクの実の内部だ。雌蜂はヘソを通ってイチジクの内部に入る。・・・無事内部に到着すると、雌花に卵を産みつける。・・・/産卵を終えると、イチジクコバチは死んでしまう。数週間後、イチジクの実が熟すにつれて、卵が羽化してくる。雄蜂が生まれるのは雌より一日早い。雄蜂はケラのように醜悪だ。雌より小さく、翅もなく、ほとんど目が見えず、体の半分近くにもおよぶ巨大なペニスと異常に大きくて頑丈な顎がある。この2つの体の特徴は、彼らが世に生を受けた目的をよく表している。羽化した瞬間から、雄蜂は交尾を始める。まだ羽化していない雌蜂を保護している殻に顎で穴をうがち、ペニスを差し込んで授精する。これが終わったら、最後の仕事が残っている。イチジクが熟すとヘソが閉じ、出入りは不可能になる。そこで、雄蜂は、・・・ヘソの周囲に結集し、直径6ミリほどの脱出トンネルを切り拓く。雄蜂には、イチジクの外の世界で暮らすすべも、そうしたいという気持ちもない。雄蜂があごを使ってトンネルを切り拓くのは、純粋に雌蜂への奉仕だ。トンネルが完成すると、雄蜂はイチジクの内部に戻って命を終える。雌蜂はトンネルの中を腹ばいになって進み、その過程で腹部を雄花の上で引きずって、自分でも気づかないうちに花粉を体につけるわけだ。雌蜂は自由な外の世界に這い出し、今度は自分の卵を産むために、まだ受精されていないイチジクを求めて飛び去ってゆく。
ハチミツは、地球上に存在するもっとも強力な抗菌物質のひとつで、細菌や真菌などの微生物を殺す力を持っているのだ。ハチミツが備えている武器はひとつではない。まず、ほかの糖類とおなじようにハチミツには吸湿性があるため、細菌群の上にハチミツを塗ると、ハチミツが細菌の水分を吸い取る。その結果、細菌は縮んで死んでしまう。ハチミツの脱水作用から逃れえた細菌も、ハチミツの酸にやられるか、あるいは水分を吸収するときに生成される過酸化水素にやられてしまう。・・・/・・・ご存知のように、抗生物質はもはや、必ずしも効果のある薬ではなくなってきている。西欧諸国の病院では、抗生物質が効かない感染症が猛威をふるって年間数万人も殺しているし、アフリカやその他の発展途上国でも流行病を引き起こしている。そんな中、ハチミツはこのような感染症の多くに効果を発揮するだけでなく、入手の難しい抗生物質などよりはるかに安く、手に入りやすい。だから、いまふたたび、創傷被覆剤としてハチミツを使う医師たちが増えてきている。
さて、では、アメリカやヨーロッパの状況はわかったけれど、日本のミツバチは大丈夫なのだろうか?日本にいるミツバチも大量失踪したり、大量死したりしていないのだろうか?・・・/・・・現在のところCCD(蜂群崩壊症候群)に苦しむ北半球のセイヨウミツバチのなかにあって日本のセイヨウミツバチはそれほど大きく影響をうけていないようにみえる。
ニホンミツバチはオオスズメバチに襲われると、巣から出て反撃するということをせず、巣門近くに働き蜂が集まる。巣のなかにオオスズメバチがはいるやいなや、いっせいに働き蜂が飛び掛かり、何十匹もの体で蜂の球をつくりそのなかにオオスズメバチを閉じ込めてしまうのだ。蜂球の働き蜂は飛翔筋による発熱で蜂球内の温度を一気に48度まで上昇させ、20~30分加熱してオオスズメバチを蒸し殺してしまうのである。
池田山カップ、今年は協賛がつかなかったけど、ミツバチ大丈夫かなあ。
評価:8点
4回シリーズ最終回。
以下00年2月に書いたもの。一部、赤字にしてみた。
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梅原 猛 編 朝日文庫99/12刊
読書採点(10点満点)
○ 総合 7点
ちょっと感想:
92年刊のものに一部加筆されたもので、著者名のところに編とあるように17名による脳死と臓器移植への反対論、慎重論の論文集です。内訳は、医学の立場から6名、法律の立場から5名、哲学・宗教の立場から5名です。この中には「脳死臨調」「答申」にて「「脳死」を「人の死」とすることに賛同しない立場で」と題した反対意見
を執筆した4名を含みます。
術後管理と長期予後の問題
移植後の拒絶反応は避けられないものであり、その拒絶反応を抑えるためには人体の持つ免疫力を抑えなければなりません。「長期にわたる強力な免疫抑制療法は、いわば人工的にAIDSと同じ状態を作り出すことであり、移植を受けた者は常に重い感染症の危険に晒される。感染を恐れて免疫抑制剤を減らせば、今度は拒絶反応が起こるわけで、移植者の生命の維持はこの両者の間の綱渡りにかかっていると言われている。」心臓移植で助かっても、その後かなりたいへんらしいです。
社会的合意の問題
「「あなたの知人が脳死になったら、お香典をもって行きますか、それともお見舞いをもって行きますか。」医学的にどうあれ、法律的にどうあれ、患者の家族の気持ちを思いやったら、香典をもって行くべきではない。香典をもって行く側も不思議に思わず、受け取る側も不思議に思わなくなったとき、脳死を人の死とする習俗が成立したと言えるのであろう。ただし、このような設問を世論調査で使うのは、避けるべきである、誘導的であるかもしれない。」極端な質問ですが、わかりやすくてちょっとおもしろいと感じました。
日本人の死生観は多様であり、現代ではそうした人々の選択をきちんと保証することが求められているため、脳死と臓器移植に関しては現行でOKでしょう、という見方の人が多かったように感じました。
いろいろ本を読んでレポートもいろいろ書いてきましたが、けっきょくのところ、「現に呼吸が維持され血液が循環して全身組織の代謝が行われているならば、それは生きている人間であって死体ではない。」ということではないでしょうか。
やっぱり私のドナーカードでは、脳死からの臓器移植はNOです。
本論から少しズレますが、梅原猛のデカルト批判の部分はおもしろかったです。デカルトといえば「我思う、故に我あり」の人です。哲学に興味のある方は梅原氏の部分だけでも読んでみて下さい。
4回シリーズ第3回。
以下99年12月に書いたもの。
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水谷弘 草思社 99/8刊
読書採点(10点満点)
○ 総合 9点
ちょっと感想:
イギリスでは、脳死を個体死として認める法律は制定されておらず、医師会や学会と社会の合意で脳死患者からの臓器移植を行っている。これはフランス、オランダも同様。フランスでは交通事故で救急病院へ運ばれてきた人が、生存中に「私は死亡した場合に臓器の提供はしたくない」という拒絶意思を明確にしていないと、脳死になった場合、その救急センターで即刻、あらゆる臓器を摘出することが認められている。ドイツとイタリアでも最近同じことが決められた。イタリアの場合、99/3「拒否なければ同意とみなす」法律が成立した。
これらの国でも反対の意思表明は認められているのだから、社会的に全面的強制という意味ではない。一見、こうした社会は合理的すぎて冷たいと考える人もあるだろうが、それだけ移植臓器の必要性を認め、他人への奉仕を当然と考えているわけで、見方によっては日本よりずっと温かいともいえる。
わが国で臓器移植が進むには、まず医療現場が信頼されるものでなければならない、と著者は書いているが、ここで医療不信という問題については、反対派の活動、としてまとめられているが、現状はどうなっているのか、については書かれておらず、わからない。ただ医療不信の要因の一つとして、医師の多忙さが引き起こす医療ミスを挙げており、医師の多忙さについては頁がさかれている。ちなみに著者は現場の医師である。68歳、竹内氏(脳死判定基準を作成した研究班のリーダー)のもとで一時期従事していた経歴あり。
・脳死問題の日本的特徴
医学的問題としての脳死の判定に対する反対には2つの種類がある。一つは、脳死を死としないもので、いわば科学領域外の生命に対する理解の差にもとづく。もう一つは、医学的厳密性に対する疑惑や反対であり、慎重論というべきもの。日本だけに目立つ慎重論である。
医学的に徹底的に厳密であれというのは、先端医療などは手がけるな、脳死患者からの臓器移植などはするな、といっていることに等しい。こうした論が出るのも医療不信が根強く、脳死問題がもつれた日本の特徴である。しかも一方では、患者はつねに進んだ医療に多大の期待をかける。
医学的厳密性に対する疑惑や反対、として立花隆の「脳死」があてはまり、それにも触れている。
立花隆の主張=脳死の判断基準はきわめて厳密なものでなければならない。誤診率が0.001%くらいならしかたがないけれど、0.01%もあったら問題だ。(このへんに関係することを「脳死とは何か」の感想の中に書いてます。)
これを採り上げ、現実の外科医にとってそれが死を賭けた統計であっても、0.01%などという数字はとても実感を伴うものではない。実際上の問題としては現在の基準で十分と思える、としている。
現場の意見だとは思うが、先端医療などは手がけるな、脳死患者からの臓器移植などはするな、といっていることに等しい、と医師自ら言ってしまっていいのか?0.01%などという数字はとても実感を伴うものではない、ということでいいのか?1万人に1人くらいなら誤って殺してしまってもやむを得ない、と医者が言ってしまってもいいのか?と私は思う。そんなところにこそ医療不信があるんじゃないのか?と思ってしまうが、それがいわゆる反対派と現場の医師との感覚のズレなんでしょうね。
・日本の臓器移植法の問題点
この法は、あくまで臓器提供の意思のある人に限って脳死は死であると関連づけたものである。臓器提供をする人には脳死は死であり、提供しない人には脳死はとくに論じない。いいかえれば、脳死になれば、それを死んだと考える人にとっては死んだわけで、死んだと考えたくない人には臓器提供も拒否できる。その意味で優先されるのは患者の自己決定権である。たとえば、臓器を提供しない人が脳死になり、もはや回復はしないことを家族も了解し、呼吸器をはずしたとき、この脳死は死ではないので殺人罪になる可能性もある。脳死になった人が死であるのか、ないのかは、本人の書面による意思と家族が決めることになる。この死の解釈を自己決定権にゆだねるという法は、個人の意思の尊重であり、現代風ともとられるが、現在、世界的に通用している考え方ではない。
今の法では、本人が書面で脳死を死と認めていても、親族が拒否できる。これは考えようによれば自己決定権の侵害である。個人の意思より家族の感情を優先したわけである。しかしながら本人の「提供に関する意思は、尊重されなければならない」という規定は、医療関係者とともに、遺族にも向けられたものと考えるべきであろう。これらの問題点は2000年の見直しで再検討されなければならない(臓器移植法は2000年に見直しがなされることになっている)。
・著者の結論としては
日本では自由と依存が大きく、個人と社会が結びつかず、家族や集団の比重が重く、個人の自己の主体性が比較的弱い。日本は、脳死と臓器移植については極めつけの後進国である。この国で成立できるぎりぎりの法案をつくり、議会は通ったが、臓器提供は少ない。移植医の立場から見れば、制約の多い法案であったが、移植を可能にするにはほかに選択の道がなかった。しかし、脳死判定施設は増えたし、移植ネットワークも経験とともによくなっていくであろう。移植治療自体がこの国で一例でも多く行われて、良い面が報道され、それを参考にして各人がこの問題に対する態度を決めればよい。
・補足
第一例目がドキュメントタッチで書かれていて、わかりやすかった。ちなみにこのときまで世界では、心臓移植は4万例、肝臓移植は6万例行われている。日本では、外国で移植を受けた人が心臓で44人、肝臓で180人。この第一例の時点で移植手術の待機患者として登録されていた患者の数は心臓19、肝臓32、肺5。
しかし今のところ、私のドナーカードでは、脳死からの臓器移植はNOです。
4回シリーズ第2回。
以下99年10月に書いたもの。一部、赤字にしてみた。
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『脳死とは何か~基本的な理解を深めるために~』
竹内一夫 ブルーバックス 87/5刊
読書採点(10点満点)
○ 総合 4点
ちょっと感想:
以前、立花隆の「脳死」3部作について紹介しましたが、その中で批判の対象となっていた脳死判定基準を作成した研究班の当時リーダーだった杏林大学の竹内教授の一般向け書籍です。書かれた87/5という時期は判定基準が発表されたのが85/12ですのでそれから1年半経過した時点です。批判している本を先に読んでいたためおかしいところがちゃんと目についてだまされることなく読めました。ということは逆に素人が脳死についての知識をもとめる最初にこの本を読んだのなら、誤解が生じることになると思います。
本文中に、この判定基準は、あくまで、脳幹を含めたすべての脳の機能が失われた脳死状態を判定するための基準であって、脳死を個体死として認めるという、「新しい死の概念」を提唱しているのではない。とありましたが、これはこれでいいと思います。問題なのはその脳死の定義であります。この本では、脳死の定義は「いったん脳死状態に陥ったら、絶対に蘇生しない」ことである、と言い切ってますが、これが立花隆の指摘する点なのであります。そのポイント・オブ・ノーリターンでいいのか?ということです。その点を過ぎても大脳の活動が残存していることがたまにあり、それは意識が残存しているかもしれないことを示しているのです。意識が残っているかもしれなくても、蘇生はしないから個体死とみなしてよい、つまり臓器を摘出してもかまわない、としてしまっていいのかどうか、という問題ですね。さらにこの本では、いかなる方法を使っても、脳の循環を臨床的に正確に測ることができない現状では、やはり「脳の機能の不可逆的な喪失状態」をもって脳死とするのが妥当であろう、としていますが、脳の循環は測定可能であるのだからそれを判定基準に加えるべきだとしているのが立花隆の意見なのです。立花隆の「脳死」は86/10刊(3作目の「脳死臨調批判」は92/9刊)であり、この本の「おわりに」は92/12に改訂されているのでここにくいちがいがあります。竹内教授は当然、立花隆の「脳死」シリーズ刊行の後でこの「おわりに」を書いているのですから、「脳の循環が臨床的に正確に測ることができない現状」という記述はおかしいとおもいます。ただこれは立花隆のレポートを全面的に信頼している立場からの意見ですが。
最後にイギリスの基準を紹介します。これは珍しい立場ですが、「脳幹死」をもって脳死としています。イギリスの基準の考えは、遅かれ早かれ失われる大脳の活動は無視してよい、ということです。これもまた1つの考え方ではありますが、これを国をあげて取り決めているということはすごいなーと思います。
立花隆の「脳死」さえ読めば、これは読む必要のない本でした。
私は「脳死は人の死か?」反対派。
ドナーカードも所持し、脳死からの移植はNOと記入している。
10年前、脳死について何冊か本を読んだのでそのときに書いた読書レポートをここに載せる。当時ノトヤンたちとやっていた本の会MLに投稿したメールをほとんどそのまま掲載。4回シリーズ。以下は10年前に書いたものであるが、今でも強調したいところは赤字にしてみた。
以下、99年5月に書いたもの
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『脳死』 86/10刊
『脳死再論』 88/12刊
『脳死臨調批判』 92/09刊
立花隆 中公文庫
読書採点(10点満点)
○ 総合 9点
○ 自分の趣味に合う度 10点
○ 他の人へのおすすめ度 10点
ちょっと感想:
みなさん、ドナーカードはお持ちでしょうか?気楽に、脳死したら臓器移植OKなんてことにしてませんでしょうか?私もこの本を読むまでは、使えるところは何でも使ってくれ、という考えを持っていたのですが、考えを改めることにしました。心停止からの移植はOKでも、脳死と判定されてからの移植はNOとすることにします。その理由を本の内容の紹介とともに以下に書いてみようと思います。
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経緯とともに紹介
74/ 「脳死判定基準」 脳波学会 脳死委員会
85/12「脳死判定基準」 厚生省 脳死に関する研究班 →脳波学会基準の見直し
『脳死』はこの判定基準に対する批判
脳死と植物状態とは違うということをご存知ですか?
脳死とは何か。本文540頁に対して脳死の解説に500頁を費やしている
88/1「脳死および臓器移植についての最終報告」 日本医師会 生命倫理懇談会
→脳死を個体死と認め、脳死状態からの臓器移植を容認、脳死の判定基準として厚生省基準を基本的に認めた
88/1 日本医師会はこの報告書を原文通り承認して日本医師会の公式見解とした
『脳死再論』はこの報告に対する批判および『脳死』に対する医師側の反論に対する反論
厚生省基準は脳死判定基準というよりは蘇生限界点判定基準である、としてそれを脳死の判定基準として認めたことを強く批判。蘇生限界点とはその状態を通過すると生き返ることが経験的になかった、とされるポイント・オブ・ノーリターンであり、その時点でもって死とみなしてよいはずがない、という主張がなされている。つまりもう助からない=死ではないという意見である。
92/1「脳死及び臓器移植に関する重要事項について(答申)」臨時脳死及び臓器移植調査会(=脳死臨調)
→脳死を人の死と認め、脳死からの臓器移植を可とした。脳死の判定基準として厚生省基準でよしとした。臓器移植については、臓器提供者本人の意志が最大限に尊重されるべき、インフォームド・コンセントの原則が守られるべきとした。
『脳死臨調批判』はこの答申に対する批判等
「脳死再論」と基本的に同じ、批判の対象が生倫懇から臨調にかわっただけ。(私見:つまり結果的には臨調も生倫懇と同じことを繰り返しただけ。変な話である。おそらくそれと同様のことが臓器移植法案の審議の時も繰り返されたのだろう。)ちなみに世界で一番厳しいのは旧ソ連の判定基準らしい。
97/10 臓器移植法 施行
99/2 臓器移植法に則った脳死からの臓器移植 第一例目
99/5 第二例目
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この本を読むまで脳死に対して無関心だったため、『脳死臨調批判』以降今年の臓器移植までの経緯がわからなくその間に何があったのか知りませんが(おそらくこの間に生倫懇や臨調と同じようないい加減さで法案が可決され法が施行されるにいたったのでしょう)、最近の臓器移植に関する新聞記事から察するに脳死判定基準は(立花隆の執拗な批判にも関わらず)85年以来ほとんど変わっていないようです。
この本を読んでもっともショッキングだったのは、現在の判定基準では、意識があるかもしれない状態で脳死と診断されてしまうかもしれない、ということです。そのとき脳死からの臓器移植OKというドナーカードを所持していれば、もし意識が残っていてもその状態でメスを入れられ心臓等の臓器を取り出されてしまうということになるのです。そんなバカなと、思うところですが、この本を読む限りにおいてはその可能性があるらしいのです。臓器移植NOであるなら脳死と診断された時点で積極的治療が中止される(人工呼吸器を取り外す等)のでそのまま死んでいくだけなので問題はないのです。元々脳死状態というのは自発呼吸ができないため人工呼吸器でもってむりやり生かし続けている状態なのです。したがって私自身としてはそんな状態にはなりたいとは思いません。自然と死んでいきたいところです。しかし、自分の意思とは関係なく人工呼吸器につながれた脳死状態になるかもしれません。そうなってしまった場合、現在の判定基準では非常に不安が残るのでドナーカードできっちり意思表示をしておこうと思ったわけです。ちなみに立花隆はこの5月に脳死からの臓器移植もOKとドナーカードに記したらしく、あくまで批判していたこともあってかそんなことが新聞記事にもなってました。自分自身についてはそれでもいいんだというスタンスのようです。私はやっぱりいやですけど。
私ごときの文章では誤解が生まれると思われるので、疑問に思われた方は読んでみて下さい。
脳死からの臓器移植に関してもっぱら話題になっているのは報道のあり方のようですが、本質的な問題は脳死判定そのものにあると思います。そういう問題は法が成立した時点で世を騒がせたのち一段落したのでしょうか?なにぶん私の持つ情報は92~97のことが抜けてますのでよくわかりません。
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内容とは別に感じたこととして、あくまでも論理的であることにおそれいりました。論理を進めるとはこういうふうにしなければいけない、ということが学べた気がします。仕事がらレポートというものを常々書かねばなりませんが、この本をレポートとして見ると、大いに参考になると思います。特にうしろ2作は批判がメインでありますが、どこが、なぜ、誤っているのか、ということが見事に舌鋒鋭く書かれています。批判される側がかわいそうになるくらいおもいっきりやっつけています。文章がおかしい、何をいっているのかわからない、なんてつっこまれている例もありました。批判するということはこういうふうにしなければならない、という点でも学べます。立花隆のジャーナリズム精神を垣間みたような気がしました。
これまで読んできた村上春樹の作品でベスト5を選ぶとしたら、
1.世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
2.ノルウェイの森
3.1Q84
4.アンダーグラウンド
5.羊をめぐる冒険
それぞれ1回しか読んだことがなく、昔の作品はそのときの年齢で読んでるから、今再読したら印象は違うだろう。そういうことを踏まえての現時点でのベスト5はこんな感じ。
新作が出るとハードカバーを厭わず買ってしまう作家の1人、村上春樹。
新作の発売は5/29(金)、つまり明日。
普通は1日前に店頭に並ぶ。ということはその1日前には書店には入荷してるのでは、と思って昨日の帰宅時に2軒ほど覗いたがなかった。どうやら東京では昨日から購入できたらしいが、それ以外は今日、店頭に並んだ。
予約殺到で発売前から増刷決定とのこと。1巻2巻合わせて初版48万部。
長編は7年ぶりやしね。
残業を切り上げて閉店5分前に駆け込んで、とりあえず1巻のみ購入。
じっくり読もうっと。
小学館 08年1月刊
著者の肩書は、ジェフユナイテッド市原・千葉 ジュニア担当コーチ。
タイトルと内容にちょっとズレがあるように感じた。子どもを伸ばすというより、子どもをつぶさないためにコーチや親はこんなことをしてはいけません、というように読めてしまった。自分の子どもにサッカーをやらせている親にとって、耳が痛いことオンパレードだった。
以下、抜書き。#は感想。
千葉大学教育学部教授の話。「練習というのは、できないことをやるのが練習だ」「練習でできることばかりやっているのであれば、それは練習じゃない」
#子どもとは関係なく自分でも意識しておきたいこと。
・・・世話を焼かれて育つため、どんなことでも大人に確認しないと動けない子がいま増えているような気がします。/「コーチ、トイレ行ってもいいですか?」/子どもが私に了解をとりにきます。「行ってもいいですかっていうのは、コーチに決めてほしいってことでしょ。じゃあ、行っちゃダメ」と答えます。子どもは「えーっ、もれちゃうよ」と言いながら「だから、行ってもいいですか?」とまたコーチに決定を委ねる。そうすると、周りの子たちがだんだん「トイレに行く!って言えば、いいじゃないか」と言い出します。単純なことなのですが、そんなことさえ確認しないといけないような社会になっています。
#これは親がしつけないといけないと思う。自戒。
海外で子育てをした日本人の方によると「欧米の親は、子どもがみんなと違うことやりたいと言われると安心する。でも、日本の親は、みんなと違うことやりたいと言われると不安になる。みんなと同じように動いていると安心する」よく言えば、従順で調和を好む。悪く言えば、他人任せで主張しない。
#決して欧米が正しいというわけではないと思うが、自分の主張はするべきだと思う。言い出さなければ何も始まらない。言葉にしなければ何も伝えることができない。
評価:7点
平凡社新書 08年10月刊
うちの奥さんが、とある事情で後期高齢者医療制度についてまとめないといけなくなって選んだ教科書がこれ。それを借りて読んだが、読了するまで時間かかりまくった。その理由は悪文だから。
こんなに読みにくい本は久しぶり。
こういうことを専門に勉強する人にとっての教科書としてはいいかもしれないが、新書という形で一般人に読ませるには悪文。詳しすぎる。社会保障と社会保険の定義からして知らん人間に専門用語の羅列は苦痛だった。どこまでも正確さを追求するあまりの( )書きの多さにも辟易させられた。読みにくいことこの上ない。人のふり見てわがふり直そう。
よくわからん内容だったが、この制度がとてもダメな制度であり、厚労省という役所がとてもダメな役所だということはよくわかった。
1ヶ所のみ抜書きしておこう。
後期高齢者医療制度は、わずかな年金で生活している高齢者から介護保険料と合わせて高額の保険料を天引きし、保険料滞納者には正規の保険証を返還させたうえで、資格証明書を交付して医療を制約し、さらに差別的な診療報酬を適用して、高齢者の医療を制限する制度だ。それは、高齢者の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条1項)を侵害するのみならず、生きる希望までを失わせる憲法違反の制度といえ、廃止しかないと考える。
評価:2点
PHP研究所 09年3月刊
大河ドラマ「天地人」原作者のエッセイ。原作「天地人」はおもしろくなかった。なのでこの作者は2度と読まんだろうと思っていたが、タイトルに惹かれて買ってしまった。私も謙信びいきなので。
以下、抜書き。#は感想。
施薬院全宗は天台宗の総本山、比叡山延暦寺の僧侶であった。が、織田信長の比叡山焼き討ちで寺を焼け出されるや、42歳にして心機一転、医学の勉強をはじめた。/もともと薬の知識があった全宗は、最新の医術をわずか2年にしてマスターし、やがて、信長のあとをついで天下人になった秀吉の筆頭侍医にまでのぼりつめる。/と書くと、たんなる医者の成功物語のようだが、彼の特異なところは、医者でありながら政治に深くかかわっていた点である。かかわっていたどころか、全宗は秀吉の政策参謀のひとりであった。
#42歳にして心機一転、というところに反応してしまった。
剣豪の里という雰囲気を色濃く残す柳生谷だが、柳生家がおさめていた時代の建物といえば、芳徳寺以外、ほとんど残っていないというのが実情である。・・・/そうしたなかで、唯一、柳生家の往時の姿をしのぶことができるのが、家老の小山田屋敷である。/江戸時代後期、柳生家の家老をつとめた小山田主鈴は財政手腕にたけ、足軽から二百石取りの上席家老にまで出世した。みごとな石垣がつらなる屋敷は、白壁の長屋や母屋などが残り、柳生家藩政時代の姿を十分にうかがい知ることができる。/ここはかつて、山岡荘八氏が買い取り、別荘にしていたそうである。手入れがすみずみまで行き届いているのはそのためで、いまは資料館となり、柳生家関係の刀剣類、甲冑、陣笠、柳生藩士使用の折りたたみ式弓、書状などのほか、柳生一族の盛衰を描いた山岡荘八の「春の坂道」の自筆原稿が展示されている。
#今度行ってみよう。今度読んでみよう「春の坂道」。
火坂氏、ちょっとイメージ回復。
評価:7点
『学研まんが 日本の歴史 第8巻 天下統一 安土・桃山時代』
『学研まんが 日本の歴史 第9巻 江戸幕府をひらく 江戸時代・前期』
学習研究社 1982年刊
先日、家族で大阪城天守閣に登った時、親父は「おおっ」とか言いながら合戦図屏風なんかを見ていたが、家族とその喜びを共有できずさびしかった。長男坊は4月から6年生になって歴史を習うことになるし、大河ドラマが戦国時代だし、ということで歴史でいちばんおもしろいと思われる第8巻と第9巻を買い与えた。
まんが日本の歴史というのは各出版社から出ているが、学研のものはなかなか本屋に並んでおらずネットで購入、1冊760円、安い。なぜ学研かというと、自分が子供の頃、学研の学習科学を毎月買ってもらっておりその付録としてまんが日本の歴史(上下)が付いてきてそれを読んで歴史に興味を持った。そのときの絵と同じ絵だったので、今回学研を選んだ。
これを機に歴史に興味を持ってくれればいいが。希望があれば全17巻買ってもいいけど。
もっと詳しい「中公文庫マンガ日本の歴史全55巻」はすでに持ってるし、戦国時代の歴史小説もいっぱい持ってるし、息子2人のうち1人くらいは読んでくれるかなあ。
『40 翼ふたたび』 石田衣良
講談社文庫 単行本は06年刊
裏表紙の紹介文の出だし=人生の半分が終わってしまった。それも、いいほうの半分が。
40歳の主人公と、その他の主要登場人物も40代ばかり。いろいろ共感できて楽しく読めた。話は楽観的で概ねハッピーエンドなのでリアリティに乏しく、それがために評価が分かれているようだが、私は今のところそんなに切羽詰まってはいないので楽しめた。人生厳しい人たちの評価は厳しいみたい。
以下、ちょっと抜書き。
四十代ってむずかしいよ。くすぶっていて、湿っていて、なんだか泥みたいだと思わない?だってさ、なかなか火がつかないし、動いてくれないし、みんな世のなかわかった顔をして、その割には臆病だし。
解説からも抜書き。
自分が十九、二十歳の頃、四十歳というのはとてつもなく大人で、まだまだ不安定な自分と比べて、揺るぎなく、自信に満ちているように映ったものだった。それがどうだろう、実際に自分がその年になってみると、揺るぎないどころか、揺れっぱなしだ。自信に満ち溢れるどころか、自信を持つことの難しさが、若い頃よりもさらに身に沁みる。/さらに言うなら、若い頃の苦悩の根っこが、「まだ先が見えないことに対する曰く言い難い不安」だとするならば、四十を超えた身が抱える苦悩は、「先が見えてしまうことへの不安」である。もう人生の半ばまで来てしまったのだ、というやるせない喪失感、もうやり直せないのだ、という焦燥感。「自分は何者でもない」という不安から、「自分はこれだけの者でしかない」という諦念にシフトせざるを得ない悲しみ、とでも言うべきか。・・・
アラフォー世代におすすめ。
評価:9点
『チェ・ゲバラ伝』 三好徹
原書房 01年刊
ちょっと前に映画が相次いで2本公開され(今も一部では公開中)、本屋ではチェ・ゲバラコーナーができていたりして、1冊読んでみた。
チェ・ゲバラについてはまったく予備知識なく、キューバ革命に関係あることくらいしか知らなかったので勉強になった。中南米の地図なんてこれまであんまり見たことなかったが、今回なんとなく国の位置関係がわかったりした。
うちの奥さんが映画「チェ 39歳 別れの手紙」を観た感想として、淡々と描かれていた、淡々と追い詰められていた、と言っていたが、この本も同じような感じ。チェ・ゲバラの人生が淡々と綴られていて特に感動することもなかったが、それはそれで「~伝」という感じでよかった。
私は映画を観ていないので2本とも観たくなった。
以下、メモ的抜書き。
ラテン・アメリカにはおきまりの歴史、つまりスペイン人が侵入してき、植民地化し、やがては本国から独立し、さらにその内部では血の抗争がくりかえされ、暴力によるクーデターの連続という歴史が、・・・
ラテン・アメリカの共産党の幹部のなかには、収奪されている民衆のために戦っているものは、むしろ少なく、権力が欲しいために共産主義者になっている人間の方が多いかもしれない。いいかえれば、時の権力者と対立しているために生命の危険を感じ、そして保身のために組織で守ってくれる共産党に身を投じているにすぎず、本質的には権力が欲しいだけのものが少なくないのだ。
かれは医師からゲリラ戦士になり、ゲリラ戦士から革命家へと昇華して行ったが、いついかなる時でも、読書だけは怠らなかった。日記をつけることと本を読むこととは、かれの終世一貫した習慣であった。
現在でも、キューバは日本から農、工業の機械その他を買いたがっているが、日本はアメリカに義理立てして、キューバの欲しているものはほとんど何も売っていない。イギリスもフランスもカナダもどしどし売っているのに、日本は冷淡そのものである。
ラテン・アメリカ気質の何たるかを説明するのはきわめて難しいが、それを承知でいえば、誇りと貪欲、そして時間に対する感覚の欠如がその一つにあげられるだろう。かの地においては、何かが予定どおりに運ばれることは奇蹟といってよく、ほとんどあり得ないのだ。
チェの日記は、盟友カストロがその「必要な序文」のなかでふれているように、きわめて丹念なものであった。かれは、余分な感情をまじえて書くことはしなかった。記載するに足ると思ったことだけを、抑えた筆致で書いている。
われわれ人類は多くの革命家をもったが、かれを除くすべての革命家は、いったん革命が成就すると、二度と兵士になって銃をとることはしなかった。むしろ、その多くは自己の権力を守るために汲々とした。独りチェのみが、すべてを投げうって、一介の兵士に戻り、新たな戦いに身を投じた。この稀有の生き方をみるだけで、多くの言葉は不要であるだろう。
評価:8点
『納棺夫日記』 青木新門
文春文庫 96年刊
映画「おくりびと」の原作。厳密には原作ではない。
モックンはこれを読んで映画化を目論んだが、最後まで原作者から拒否されたため。
アカデミー賞外国語映画賞で一躍脚光を浴びたが、昨年度の日本アカデミー賞その他国内の映画各賞を総なめ。キネマ旬報ベストワンを取ったというのも渋い。
本書の構成として、「納棺夫日記」と「納棺夫日記を著して」の2編から成り、後者はエッセイのようなもの。本編の「納棺夫日記」は3章から成り、第1章第2章は文字通り納棺夫の日常や思索等が書かれているが、第3章は宗教の、しかも浄土真宗の話であり、ちょっと専門的でとっつきにくい。この1年以内に2人も親を浄土真宗でおくった私ですらきっちり理解はできなかった。いい本だとは思うが、きっと映画の方が受け入れやすいんではなかろうか、と思われる。まだ映画は観てないけど。
以下、本の内容には関係なく、抜書き。
言葉で衝撃や怒りを覚えるということは、自分が最も気にしていることを突かれたということである。人は日頃気にしていることを、あからさまに非難された場合、血が逆上するほどの怒りを覚えることがある。
自殺ほど社会に迷惑をかける死に方はない。それは、自殺という行為が共同社会からの疎外された者の孤独な解決方法に起因しているからであろう。/・・・美しいというより悲しい。
・・・今日の医療機関は、死について考える余地さえ与えない。/周りを取り巻いているのは、生命維持装置であり、延命思想の医師団であり、生に執着する親族たちである。/死に直面した患者にとって、冷たい機器の中で一人ぽっちで死と対峙するようにセットされる。しかし、結局は死について思うことも、誰かにアドバイスを受けることもなく、死を迎えることとなる。/誰かに相談しようと思っても、返ってくる言葉は「がんばって」のくり返しである。/朝から晩まで、猛烈会社の営業部のように「がんばって」とくり返される。親族が来て「がんばって」と言い、見舞い客が来て「がんばって」と言い、その間に看護婦が時々覗いては「がんばって」となる。
会葬者も、遺体に合掌したり、遺影に手を合わせたり、祭壇や霊柩車に合掌したり、火葬場の煙突の煙にまでに合掌したりしている。/ところが、肝心のご本尊にはあまり手を合わせていない。/僧侶の唱えるお経は、何を言っているのか分からないし、死者がどこへ行ったか分からないから、思いつくまま手当り次第手を合わせている。
人は、自分と同じ体験をし、自分より少し前へ進んだ人が最も頼りとなる。/・・・/仏は前に進み過ぎている。親鸞には、少し前を行くよき人(法然)がいた。/末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい、説法も言葉もいらない。/きれいな青空のような瞳をした、すきとおった風のような人が、側にいるだけでいい。
人間の行為の中で、宗教を振りかざして戦争をするほど愚かな悲しいことはない。真理は一つであるはずだ。
評価:8点

『夏草の賦(上・下)』 司馬遼太郎 文春文庫
長曾我部元親の話。
信長、秀吉の時代、土佐から身を興し四国を平定した武将。少し前に読んだ「尻啖え孫市」がおもしろかったので、戦国時代の中編ものを読んでみた。「尻啖え~」ほどはおもしろくないなあ、人物の魅力によるんだろうなあ、と思いながら読んでいたが、最後の章にきて一気に目が覚めるようにおもしろかった。まあ人物の魅力は雑賀孫市の方が上だけど。最後は黒澤映画「乱」のラストシーンが思い出された。
ちょっと雑学的に抜書き。
一領具足とは、屯田兵のことである。平素は田を耕し、農耕に出るときには具足櫃を田のあぜに置き、槍をつきたて、槍のさきに兵糧をゆわえておく。城から陣ぶれ(動員)の貝がきこえわたってくると、クワ・スキをほうり出し、その場から出陣してゆく。具足は一領、馬は替え馬なしの一頭で戦場を走りまわるためにその呼称ができた。のちに土佐馬の獰猛さと一領具足の猛勇さが土佐人の象徴のようにいわれるようになり、後世、この階層が郷士になり、幕末この階層から土佐藩の勤王奔走の志士のほとんどが出たことを思えば、元親のこのときの発想は日本史的な事件であったといっていい。/そのもともとのおこりは、大百姓を侍に組み入れて長曾我部軍団の人数を倍にして、それをもって安芸氏と興亡を決する決戦をしたいがためのものであった。
元親は、権謀者である。/権謀者にとって全世界の人間は利用されるために存在している。それが悪徳である、という思想は、東洋にはない。むしろ人を利用するにしても私心をわすれ、誠心誠意利用すれば薄情な善人よりも多く人を感動させる、という思想は東洋にある。
評価:9点
『人間の覚悟』
五木寛之
新潮新書 08年11月刊
今、売れている。
納得できる記述もあるにはあるが、ちょっと鬱に振れ過ぎてないか?
以下、抜書き。#は感想。
日本でもこれまでは対前年比何パーセント成長などといっては、経済は将来にわたって成長するべきだという「いけいけドンドン」の考え方がまかり通ってきました。しかし、これから先は前年比が下がり、売り上げも落ちることを覚悟したうえで、なんとか良質の需要と利潤を確保していく形が自然だろうと思います。/つまり発展の経済学、躁の経済から、後退しながら維持していく鬱の経済への思想が必要になってくる。
#そうかもしれないが企業としてはあくまでも発展を目指さないといけない。給料も上がってもらわないと困るし。
ある西洋の思想家は、「人はなぜ、あらかじめ失われると分かっているものしか愛さないのだろう」となげきましたが、たしかにその通りです。人間はそれが永遠に目の前にあると分かれば、あまり愛着をおぼえない勝手なところがあるのです。
#そんなものか?そうとは限らん気がするが。。
・・・在日の友人から聞いた話でこんな話がありました。彼がまだ子供のころのことですが、ランプの下で夜なべ仕事をしていた母親が、ふと手を止めてこんな話をしてくれたのだそうです。/―お前もいずれは大人になっていくだろうが、大人になるということはいいことばかりじゃないんだよ。大変なことがいっぱいあるんだ。ある時不意にこれという理由もなく、思い当たる原因もないのに、何ともいえない無気力感、憂鬱な気持ちの中にストンと落ち込んで、どうにも抜け出せなくなることもある。/それがしばらくつづくと、ついには血のつながった家族、きょうだい、肉親も赤の他人みたいに感じられて、母親さえも敵のようで、幼なじみの友だちや仕事仲間は全員がライバルのように思われてくる。そして子どもの時から将来の夢だったこともつまらなくなり、しまいには自分なんかこの世にいなくてもいい、クズだと思うようになってしまう。/人生ではじめてそういう状態に出遭うと、だれもが驚きあわてて、自分は精神がおかしくなったのではないかと不安に怯える。気のつよい人間は、負けるな頑張れと自分を叱咤激励し、プラス思考で乗りこえようとする。要領のいい人間は、楽しいことをしてやりすごそうと姑息な工夫をするだろう。でも、結局は何をやってもだめなのだ。/人はすべて「恨(ハン)」というものを心の中に宿している。なんともいえない気持ちを感じるそのときは、「恨」が目を覚まして、大人になったあんたのところへ訪れてきた瞬間なんだ。「恨」はやがて去っていく。/だけど「恨」が活動している間はどうしようもない。だからそういう時には、無理に肩をそびやかせて強引に「恨」をやっつけようなんて考えず、肩をすくめて、背中を丸めてしゃがみ込み、「あーぁ」と体全体から大きなため息を三度、四度、五度六度でも繰り返してつくがいい。/そうやって全身でため息をついていると、不思議と一瞬、束の間だけれど「恨」の重さがふっと軽くなった気がする時があるだろう。そしたら、とりあえず立ち上がって歩いていけばいいんだよ。/・・・人が何とも言えず落ち込んだ気持ちの中にいるときは、「頑張れ」という激励ではなく、大きなため息をつくことによって励まされるのだという思想。/これはとても示唆に富む考え方です。「恨」というのは民族の文化であり、つらい人生を生きていく深い智恵なのかもしれません。
#「頑張れ」とため息の使い分けでしょう。ため息ばかりではしんどい。
人の憂いや不安の背景には、言葉にできない悲しさ、生きていること自体が切ないという情動があります。仏教では生老病死を人間の四苦としますが、一番上に来るのが生であり、生まれてきたこと、生きていくこと自体が憂鬱なのはどうしようもないことなのです。
#暗いなぁ。。
つき放したような言い方ですが、信じる、とは裏切られても後悔しないということです。何かを信じたなら、裏切られることがあっても絶対に後悔もせず、責めもしない、それも覚悟なのです。ですから、今のような時代には、信じるということほど大事なことはないのかもしれません。
#ある意味、真実だと思われる。そういう気持ちを持ち続けるのは困難ではあるだろうけど。
他にもいろいろと紹介したい記述はあるが、どうも辛気くさいのでやめにする。
評価:7点
『ゴールデンスランバー』
伊坂幸太郎
新潮社 07年11月刊
「このミステリーがすごい!2009年度版」第1位
山本周五郎賞受賞
本屋大賞受賞
他4冠
このミス1位を記念して巻かれた金色の帯に書かれているコピーは「精緻極まる伏線、忘れがたい会話、構築度の高い物語世界――、伊坂幸太郎のエッセンスを濃密にちりばめた、現時点での集大成」。カバーの折り返しには「本書は「伊坂幸太郎的に娯楽小説に徹したらどうなるか」という発想から生まれた、直球勝負のエンターテインメント大作。・・・」と書かれている。
伊坂幸太郎を手に取るのは4作目。最初に手にした「重力ピエロ」の印象が忘れられない。その後に読んだ2作の印象は薄かったが、このミス1位、現時点での集大成、というのにとても魅かれてハードカバーを買った。
期待するのはあんまり良くないが、これは期待に応えてくれておもしろかった。
感想としては、まさしく帯のコピー通り。昨年末から読み始めて年末年始休暇の9連休にまったく触れなかったので、読むのを再開してから何度も前に戻って読み返すことになった。伏線だらけなので。
物語の時間が前後するのはあまり好きではないが、その構築力は素晴らしい。
評価:10点
ちなみに「GOLDEN SLUMBERS」というビートルズナンバーも作品中で有効に使われている。
名盤中の名盤「ABBEY ROAD」に入っている。
『決断力』 羽生善治
角川oneテーマ21 05年11月刊
3連勝して永世7冠に王手をかけた後4連敗。
永世竜王はおあずけに。やるな渡辺初代永世竜王。
さて、本の内容。
いつものように抜書き、#は感想。
相手を弱いと思えば、不利になっても、いつか相手は間違えるだろうとの希望を持って粘る気になれるし、有利になれば、やっぱり相手は下手だと、伸び伸び指せる。/かつて、大山康晴先生は18期、中原誠先生は15期と、名人として棋界に君臨した。プロ棋士の間では、技術的にも、実力においてもほとんど差はない。こんなにも勝敗が偏るのは仲間の信用が大きな要因になるからだ。極端にいえば、格が上の、勝つべき者が勝つからだ。/将棋だけに限らない。ビジネスや、広く人間関係においても、気持ちの差は大きいのではないだろうか。同じ物事を進めるにも、Aがやるとスムーズにいくのに、Bがやるとうまくいかないことがある。AとBの仲間の格付けや、信用の後押しの違いが大きいはずだ。そのためにも、日頃から実力を磨き、周りからの信用を勝ち取ることは、物事を推し進めるために大切なことだと考えている。
#気持で負けてはいけない。練習においても強くあらなければならない。ということやな。
直感力は、それまでにいろいろ経験し、培ってきたことが脳の無意識の領域に詰まっており、それが浮かび上がってくるものだ。まったく偶然に、何もないところからパッと思い浮かぶものではない。たくさんの対局をし、「いい結果だった」「悪い結果だった」などの経験の積み重ねの中で、「こういうケースの場合はこう対応したほうがいい」という無意識の流れに沿って浮かび上がってくるものだと思っている。
#何事もしかり。経験は重要。その経験を活かすことができるかどうかは人によるが、経験しなければ話にならない。ハンググライディングが速く上手くなりたいなら、いろんなエリアでいろんな条件で飛ぶこと、というのが私の持論だが、いろんなエリアで、というところを経験値の低いフライヤーにはもっとトライしてもらいたい。
私は、集中力の基盤になるのは根気であり、その根気を支えるためには体力が必要だと思っている。対局中は体はほとんど使わないが、勝負を急いでしまうと、いい結果は得られない。体力がないと苛立ちに負けて、考える力はまだ残っているのに、結論を急ぎたがり、最後まで集中して頑張り切れない。つまり、疲れてきても根気よく考えられることが、将棋を指すうえでの体力なのである。
#同感。根気は重要。まあ1時間を切るような早漏タスクには必要ないかも。
今は、周りに流されやすい時代だ。情報の量がふえ過ぎ、それへの依存度がどうしても高くなってしまう。高くなると、イメージを思い浮かべたり、ものを創るといった力が弱まってしまいがちだ。そんな中で、自分なりのスタイルや信念を持つことが、非常に大事になってきているのではないだろうか。それがないと根無し草と同じ、流されるだけになる。自分なりの信念やスタイルを持つことは、物事を推し進め、深めていくためのキーなのだ。
#何かを調べようとするときに、情報に振り回されないように留意することは重要で、情報の取捨選択のためにあらかじめ自分なりの基準を設ける等の準備をした上で検索をかけて一つ一つ見ていかないとすぐに頭がパンクする。最近はネットで検索かけても、宣伝関係のものが引っ掛かってくるのが多過ぎると思う。検索力はけっこう重要かも。
一人で考えると、誰でもひとりよがりとか自分の考えに固執してしまう部分がある。何人かの人と共同で検討すると、理解の度合いが二倍というよりも、二乗、三乗と早く進んでいくのは確かだ。だからといって、それに全面的に頼ってしまうと、自分の力として勝負の場では生かせないだろう。/基本は、自分の力で一から考え、自分で結論を出す。それが必要不可欠であり、前に進む力もそこからしか生まれないと、私は考えている。
#他機をダミーにする。先を走って先に上げる。そのバランスが難しいところでありおもしろいところである。だが、あくまでも究極の理想はトップでスタートを切ってトップでゴールすること。今の力ではちょっと遠い。ただ、雲底に付けながらスタートを遅らせるようなことは理想に反するし、やらないようにしている。男らしくない。
以前、私は、才能は一瞬のきらめきだと思っていた。しかし今は、十年とか二十年、三十年を同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。/・・・/やっても、やっても結果が出ないからと諦めてしまうと、そこからの進歩は絶対にない。周りのトップ棋士たちを見ても、目に見えて進歩はしていないが、少しでも前に進む意欲を持ち続けている人は、たとえ人より時間がかかっても、いい結果を残しているのである。/・・・/どの世界においても若い人たちが嫌になる気持ちは理解はできる。周りの全員が同じことをやろうとしたら、努力が報われる確率は低くなってしまう。今の時代の大変なところだ。何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続してやるのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。/・・・/ペースを落としてでも続けることだ。無理やり詰め込んだり、「絶対にやらなきゃ」というのではなく、一回、一回の集中力や速度、費やす時間などを落としても、毎日、少しずつ続けることが大切だ。無理をして途中でやめてしまうくらいなら、「牛歩の歩み」にギアチェンジしたほうがいいと思っている。
#英語の勉強なんてすぐやめてしまう。耳が痛い。
実力と結果で成り立っているのがプロの制度である。プロらしさとは何か?と問われれば、私は、明らかにアマチュアとは違う特別なものを持っており、その力を、瞬間的ではなく持続できることだと思っている。私が大事にしているのは、年間を通しての成績である。
#もちろん一戦一戦、全力投球ではあるだろうけど。
評価:8点
幻冬舎 08年11月刊
雑誌「プレジデント」に連載していたのをまとめたもの。
10人の日本人について書かれている。
以下、抜書き。#は感想。
■織田信長
・・・信長が一番手こずった相手、南無阿弥陀仏を唱えて果敢に抵抗し続けた本願寺派の一向宗徒の信じるところ・・・。中世という乱世に虐げられ続けていた彼等民衆は現世での業苦から逃れるために、念仏を唱えれば必ず来世では救われ幸せになれると説く教えに帰依し、その来世志向のエネルギーが執拗な戦いを続けさせていた。/それはこの現代、中近東のイスラム圏で頻発している自爆テロのテロリストの心情、聖戦に命を賭けて死ねば必ず天国に導かれてそこで美女数千人にかしずかれて暮らせると信じる来世願望に本質的に酷似している。
#本願寺派=浄土真宗であり、すぐ横に置いている仏壇も浄土真宗仕様。こんな来世願望は私にはないのだが。。日本で一番多いのは浄土真宗らしい。はたしてどれくらいの人がその宗派の本当の意味を知っているのか?イスラム圏での聖戦で思い出すのは手塚治虫の「アドルフに告ぐ」。おすすめのマンガ。
■大久保利通
#今年の大河ドラマでも登場したが、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」が思い出される。おすすめの小説。ただし少々読みにくいし、文庫で全10巻もある。
■広瀬武夫
#肩書きに軍神とある。日露戦争で英雄になったらしい。初めて名を聞く人であったが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が思い出された。おすすめの小説。これは文庫で全8巻。
この人について、以下のように書かれている。
国家というものの意味合いは時代によって随分違おうが、しかしなお、広瀬武夫のように自らとその国をかくまで重ね合わせて生きることの出来た者の至福さを、その美しさを、私はつくづく羨ましいと思う。
#なんとタカ派なコメント。やっぱり国会議員には向かん。知事とはいいポジションを選んだものだ。国会議員としてこんな発言してたら非難する人も出てくるだろう。
■岡本太郎
・・・それまでさしたる評価を受けていなかったこの日本の太古の文化の表示である縄文文化の出土品について、それが民族の感性を表象するいかに素晴らしく特質的な芸術様式であるかをこの国で最初に証してみせたのは、考古学者でも美学者でもなく画家の岡本太郎だった。/・・・彼が縄文土器について美術雑誌『みづゑ』に発表した論文は日本の美術界にセンセイションを巻き起こした。それまでは弥生土器に比べて稚拙で野卑でしかないと思われていた縄文土器を、古代ヨーロッパのケルト文化の所産との類似性を指摘して、『激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋廻する隆線紋、これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである』と記している。/・・・そして縄文様式の発見は彼自身にも大きな影響を与えたのだった。/宇宙人に似た縄文土器の模様や人形は、明らかにその後戦後初めての万博でのモニュメント、『太陽の塔』のフォルムに蘇生させられているではないか。
#太陽の塔は素晴らしい。これを作った岡本太郎もすごいが、万博のモニュメントを岡本太郎に発注した人もすごい。つい最近、朝日新聞に写真が載っていた。↓
浦沢直樹の「20世紀少年」でピックアップされたのもうれしい。おすすめのマンガ。
請われてサロン・ド・シュール・アンデパンダンに出品した彼の作品を見てピカソは、「ああ実にいい。実に独特だし、色がいい」と絶賛し、太郎が、「みんな均衡だとか調和ばかりで絵を描いているけど、見る者を圧倒するのが本物の芸術だ。悪趣味をかざして生温い趣味性をぶち壊すべきなんだ」といったら、ピカソは、「その通りだ。俺もそれをやっているんだ」と答えたそうな。
#この天才たちは常人の理解を超えている。岡本太郎著「自分の中に毒を持て」、おもしろかったはず(10年くらい前に読んだけど、読書ログの中で欠落している)。
評価:8点

『尻啖え孫市(上・下)』 司馬遼太郎 角川文庫 初版は昭和44年刊行
講談社文庫にあったものが、この10月に角川文庫から新装版として発刊され本屋に平積みされていたので手に取った。予備知識なしで読んだが思わぬ拾い物だった。
時代は戦国、信長の時代。主人公は和歌山の雑賀孫市。
舞台は主に和歌山と大阪。地名になじみの深い場所が多く出てきてうれしい感じ。
解説にも書かれている、「司馬遼太郎の小説には"余談"が多い。作者自身は"無駄ばなし"とも言うが、その余談がおもしろい。」と。まさしくそう思う。
その余談を紹介。#は感想。
浄土真宗は、ふつうの仏教とはちがい、その本質においてキリスト教と似ている。阿弥陀如来を絶対神(ゴッド)とすれば、いわば一神教であり、その教えは、「救われる」という考えがモトになっている。いわゆる仏教というものは、自分で自分の力によってサトリをひらいてはじめてホトケになれるのであって、「絶対救われる」という考えかたはない。浄土真宗では、絶対に救われるのである、悪人も善人も。
親鸞は、野に立つ一思想家にすぎず、みずから「弟子はもたぬ」といったひとで、いわば教団をつくることを否定していた。/ところが、その子孫が教団を作った。それが戦国期になって世界的な大教団にふくれあがってしまった。/教団を統率するとなると、ケレンが要るのである。/まして全国の門徒を率い、それを喜々として討死せしめるには、多少のまやかしが必要であった。戦国の本願寺門徒たちは、宗祖親鸞の教義によってよろこんで死についたのではなく、むしろ、この教団的なまやかしによってかれらは勇敢になった。/「進むは極楽、退くは地獄」などと、戦国の教団は門徒に教えた。人間を侮辱した悪虐というほかない。こういう人の悪さは、宗祖親鸞にはむろんなかったし、親鸞からみれば、「異安心」である。/が、本来、教団というものは人の悪いものだ。古来、どの宗教どの宗派にもこの点はかわりはない。
#そう思う。今年から家に仏壇を置いて「南無阿弥陀仏」と毎日唱えているが、宗教心はないなあ。。
この時代は男色の流行時代で、上杉謙信など神仏に誓って女色を断ち男色専一に生きたひとだし、織田信長も有名な森蘭丸などの寵童があり、徳川家康のような平衡感覚のゆたかな(つまり平凡な)ひとでさえ例外でなかった。彦根井伊家の家祖である兵部大輔直政は童名を万千世といい、15歳で家康に仕え、夜の伽にも出た。ただこの時代の寵童は、いまのゲイ・ボーイのようなものでなく、上杉謙信の寵童あがりの直江山城守は、戦国人のなかでももっとも男臭い武将であったし、森蘭丸は武勇に猛く、井伊直政は、後年つねに徳川軍の先鋒をうけたまわるほどの武将であった。
#戦国武将は好きだがこの手の話はちょっと、、来年の大河ドラマの主人公も寵童あがりだったのか。。
謙信と、甲斐の武田信玄とは、おそらく世界史上で論じても、これほどの戦さの名人は5人とはいないであろう。
#すげえ、高評価。
さらに解説から紹介。「1963年7月から翌年にかけて、「週刊読売」に連載されたもので、同時期に「竜馬がゆく」や「燃えよ剣」「国盗り物語」などの連載が進められている。」
もっとも脂ののっている時期か。「竜馬が~」も「燃えよ~」も「国盗り~」も全部10点。
そしてこれも、
評価:10点
余談だが、竜門から雑賀城アウトアンドリターンを狙おう。(片男波の近所ね)
『イン・ザ・プール』 単行本は02年5月刊
『空中ブランコ』 単行本は04年4月刊 奥田英朗 文春文庫
伊良部シリーズ。
続きものではない。どちらも短編集。東野圭吾のガリレオシリーズのようなもの。ただしガリレオのようなスマートさはなく、コメディ。「空中ブランコ」は直木賞受賞作。この作家の話はおもしろい。筒井康隆に近いものがある。あそこまで突き抜けてはいないけど。第3弾もハードカバーでは既刊のようだがもう読まん。ノリはわかったから。
エンターテインメントしておもしろかったから点数は高い。
インザプール 評価:8点
空中ブランコ 評価:9点
『とてつもない日本』 麻生太郎
新潮新書 07年6月刊
昨年出版された本で、総理大臣になる前、外務大臣のときに書かれた。タイトルがいまいちだなあと思う。前々総理の「美しい国へ」も変なタイトルだった。内容は安倍晋三よりはかなりましだと思う。「美しい・・」はかなりひどかった、と個人的には思っている。
定額給付金、かなり世間をにぎわせているが、お金くれるのは正直ありがたい。他にもっと大事なことがあるやろう、とは思うけど。。
その他に最近メディアにつつかれているのは、漢字が読めないこと。「踏襲」「頻繁」「未曾有」、、漫画ばっかり読んでるから漢字読めんのやろ、と思われないように、原稿書く奴が振り仮名ふっといてあげないと、、かりにも一国の首相なんやから。。
以下、抜書き。#は感想。
反日感情が高まって、中国の重慶のサッカー場ですごい騒ぎになったのとほぼ同じ時期に、谷村新司さんは上海で十万人を集めて野外コンサートをやった。エンディングで歌ったのが「昴」。観客の90パーセントが、スタンディング・オベーションをしながら、日本語で歌ったという。騒ぎを起こしたのも中国人ならば、「我は行く~」と大合唱したのも中国人である。/当時、日本のマスコミは重慶ばかり報道していたけれども、こちらの話も扱ってくれないと公平さを欠くのではないだろうか。冷静に世界を眺めてみると、実は日本文化というのがとてつもない力を持っているということが分かる。
#確かにメディアは公平さを欠いていると思う。なんとかならんもんか。。
『ライオン・キング』の「元ネタ」が手塚治虫の『ジャングル大帝』なのは有名な話である。映画『マトリックス』の製作者も日本のマンガの大ファンだそうだ。/・・・/サッカーのワールドカップで活躍したフランスのジダンやイタリアのトッティがインタビューで、「あなたは何をきっかけにサッカーを始めましたか?」と聞かれて、二人とも同じことを言っている。/「きっかけは『キャプテン翼』だ」/彼らは、日本のアニメを見て、サッカーをやるようになったというのである。
#さすがマンガ好き。こういう話をこういう本に書くことも麻生ならでは。
靖国神社は、・・・本来の神社ではない。したがってその設立趣旨、経緯から、靖国は神社本庁に属したことがない。伊勢神宮以下、全国に約八万を数える神社を束ねるのが神社本庁だが、靖国神社はこれに属していないのだ。
#靖国は宗教法人だとは恥ずかしながら知らなかった。宗教法人であるなら、政治家が参拝するたびに問題になるのは当たり前。政教分離の原則というものがあるのだから。
この本を読んで私の中ではちょっと評価が上がったが、世間的には定額給付金にまつわるごたごたで評価下げてるし、口が悪いようだから口から身を滅ぼすような気がするなあ。
評価:8点
『宇宙を語るⅠ―宇宙飛行士との対話』
『宇宙を語るⅡ―人類と宇宙の未来』
立花隆 中公文庫 単行本は95年10月刊
ⅠⅡともに対談。
Ⅰ(全員、宇宙飛行士)
毛利衛
向井千秋
菊池涼子(飛ばず、秋山豊寛の補欠)
野口聡一
Ⅱ
アーサー・C・クラーク :「2001年宇宙の旅」のSF作家
松井孝典 :東京大学大学院新領域創成科学研究科教授
河合隼雄 :心理学者
司馬遼太郎 :大作家
ⅠⅡともに、特におもしろい対談はなかった。
以下、1ヶ所だけ抜書き。
科学技術庁に、宇宙開発を担当する部署が三課あるんですが、全部合わせてたったの20名ちょっとしかいない。そんなので一国の宇宙行政をやってるんですからね。/・・・/科学技術庁という名前の官庁があるから、日本の科学技術を全体的に見ている立派な行政機関があるとみんな思ってるけど、あれは全然そんなものじゃない。もともと原発を日本に導入するために、その担当官庁としてつくったものなんです。だから内実は、ほとんどが原発関係なんです。科学のわかる人が科学技術の将来を見とおしてやってる科学行政なんて、日本には存在しない。
#これは1990年に行なわれた対談の一部。ちなみに科学技術庁は2001年に廃止され、文部省と統合し文部科学省が発足。科学技術政策については内閣府に引き継がれたらしい。現在、宇宙行政を何人でやっているかは知らないが、今やJAXAという立派な機関も存在する。本日、JAXAの山崎直子さん搭乗決定、初のママさん宇宙飛行士、というニュースがあった。
評価:7点 (高校生ぐらいで読めばもっと評価は高かったかも。。)
ついでに過去に読んだ関連本も軽くご紹介
「宇宙からの帰還」
海外の宇宙飛行士へのインタビュー。
評価:9点
「宇宙よ(上・下)」
TBS記者として宇宙へ行った秋山豊寛との対談。
評価:8点
『<勝負脳>の鍛え方』 林 成之
講談社現代新書 06年10月刊
帯にこう書かれている。
北島康介絶賛!スポーツにビジネスに勉強に、勝てない脳を劇的に変える!
ほんまかいな。ということで読んでみた。
以下、抜書き。#は感想。
人間が命がけで集中すると、自分の立場を忘れ、人格まで変えて目的を達成しようとするのだと思います。このような状態にいながら緊張するということは、まだ自分の立場や評価を考えていて、集中しきれていないのだともいえるでしょう。緊張するのは、集中していないからなのです!
#よく緊張してしまうが、集中していないからというのは、目から鱗だ。
人間が行動を起こして目的を達成するためには、次の三つの作業が必要となります。
①目的と目標を明確にする。
②目標達成の具体的な方法を明らかにする。
③目的を達成するまで、その実行を中止しない。
こんな簡単なことならいわれなくてもわかっている、と思われるかもしれません。しかし私たちは日常、こんな簡単なことさえできない生き方をしているのです。
・・・
とくに重要なのは、目的と目標をしっかり区別して考えることです。そうすることで、自分が最終的に望んでいる目的とは何なのか、そこに到達するために必要な目標とは何なのかが、より明確になってくるはずです。この目的と目標の区別が明確でないと、それらを達成するための具体策が的確なものにならない、ということが起きます。
#まさしく仕事といっしょや。この目的と目標の区別はけっこう難しい。今だにごっちゃになることがある。
最初から百パーセント集中せよ
試合開始の直後こそ、・・・大切な勝負どきなのです。そこで集中できず、あとから徐々にペースを上げていこうなどという考え方は、平凡なレベルの相手には通用しても、一流の相手には通用しません。・・・試合が始まったときにはすでに百パーセント集中できている状態になれるようふだんから練習していなければ、強い勝負脳はできないのです。
#足尾での初日、まさしく集中が不十分だった。まさかぶっ飛ぶとは思わんかった。
自分より弱いと思っていた相手がこんなに強かった、自分は間違っていた、もうだめだ、と思った瞬間、心と連動する・・・神経群がダメージを受け、脳が著しく疲労すると同時に運動機能が極端に低下する・・・。・・・運動能力にもっとも影響を与える臓器は脳であり、試合中にその疲労が限界に達することは致命的です。
#駆け引きを必要とする場面ではかなり有効と思う。両者の立場での対応を用意しておく必要がある。
話し相手がいない競技中でも、・・・脳の疲労をとるよい方法があるのです。・・・/答えはシドニーオリンピック女子マラソンで優勝した高橋尚子選手の、ゴール直後のコメントにあります。/「楽しい42キロでした。まわりの景色を楽しんで、友だちの顔を思い浮かべて楽しい会話をしながら走っていました」/競技中でも、好きな友だちを思い浮かべながら、架空の楽しい会話をすることで脳の疲労をとることができるのです。
#妄想もOKか?
いったん高まったテンションを勝負の最中に「少し静める」ことは、闘争心が消え、集中力が低下し、勝負に対する執着心も低下することなのです。強すぎず弱すぎず適度に心を高める、などという方法では試合に勝てません。勝負の最中に交感神経の機能を高めることは、絶対に必要なのです。/リラックスの意味を取り違えてはなりません。試合中に「リラックスしろ」とわけのわからない指示を出すのは、脳や体に「勝たなくていいよ」といっているようなものなのです。
#この考え方はいい。こういう姿勢は忘れていた気がする。
2006年のサッカー・ワールドカップに出場したブラジル代表チームの話です。/この大会でブラジル代表は「史上最強チーム」との評判をほしいままにし、メディアも優勝して当然と書きたてるなかで大会に臨みました。しかし、結果は準決勝で敗退と、決勝にも進めず多くの期待を裏切ってしまったのでした。このブラジル代表チームに大会期間中、ずっと密着取材していたあるジャーナリストはこういったそうです。/「彼らは、まったくいつもの彼らではなかった。練習中、常に絶えなかった笑い声も冗談も消え、重圧のためにサッカーを楽しむ気持ちを忘れてしまったように見えた」/どの国よりもサッカーを楽しむことを大切にしているブラジル代表チームにして、絶対に優勝というプレッシャーがかかるとこうなってしまうのです。
#いかに楽しんでるか、大事やね。たまに忘れる。
いっぱい抜書きしたけど、期待したほどではなかった。
評価:7点
『トヨタの上司は現場で何を伝えているのか』
若松義人 PHP新書 07年3月刊
うちの本部長が何かの会議で推薦してた本。
内容は生産現場向きなので、私の仕事にはそれほど参考にならなかった。
以下、抜書き。#は感想。
・・・「目的と手段の混同」はしばしば見られる。・・・「なんのためか」を忘れてはいけない。常に「目的はなにか」を頭に入れてほしい。/・・・/「目的を見失うなんてバカなことを自分がするわけないよ」と思う人がいるかもしれない。だが、「この手段・手法しかない」と思い込むと、人は目的をいともたやすく見失なうものなのだ。
#見失なう。ふと気が付くとすでに見失なってる。俯瞰する目を常に持ちたい。
他人の失敗を見て笑う人は多いが、失敗の原因や歴史を真剣に研究し、学び、改善して活かす人は少ない。みずからの失敗はもちろんのこと、他人の失敗を活かすことが大切だ。
#同感。他人のフライトレポートを読むのは好きだが、アクシデントレポートももっと読みたい。都合の悪いことはなかなか人前には出したくないものだが、そういうものこそ他人にとって価値があると思う。事故を減らすためにもそういうものはもっと出てきた方がいい、出した方がいい。
花形とはいえない部門、日の当たらない部署、厄介な仕事があるかもしれない。そこでは、人は腐ったり、投げやりな態度をとりがちだ。しかし、そこでどう振る舞うか、どんな仕事ぶりを見せるかを、周囲は必ず見ている。/奥田碩氏も「左遷」といわれたフィリピン駐在時代の仕事ぶりが認められたことが、その後の昇進につながったといわれている。人はどこかで見ている、見られているものなのだ。/トヨタグループのある企業の経営者は、若い社員に、よくこんな経験談をするという。「サラリーマンをやっていると、決していいときばかりではないが、そんなときも決してあきらめてはいけない。人は必ずどこかで見ているものだし、苦しいときに努力している人間は必ず報われるから」/大野耐一氏も、厳しい環境に弱音を吐きそうになる若手に、よくこうハッパをかけていた。「最後までがんばるか、途中で音を上げるかで人間の値打ちが決まってくる」/苦しいときに、どう生きるかで品格が決まり、ビジネス人生も決まってくる。「一人でも認めてくれる人がいるならがんばれる」としっかりと心に止めておきたい。
#はい。
年末に郵便局に年賀状の区分けアルバイトに行った。雪の降る寒い朝、郵便局の人がたくさんの使い捨てカイロを抱えて来た。そしてこう言った。「配達に出る人は寒いのでカイロを配ります。ただし渡すのは職員だけです」。/驚いた。寒いのは誰も同じだ。むしろバイクで配達する職員より、不慣れな道を自転車で行くアルバイトのほうが大変かもしれない。それなのに「職員だけ」と区別するのはどういう神経か。/同時に、こんなことをしていたら、職員、準職員、ゆうメイトといったさまざまな雇用形態の人がいる職場で一体感なんか保てるはずがない、と寂しい気持ちがした。
#いまどきどこの職場でも派遣社員さんがいることだと思う。知らず知らず差別するようなことがないよう気を付けたい。
かつて米国ケンタッキー工場に責任者として赴任した張氏は、トヨタ生産方式の定着に苦労し、大野耐一氏にたびたび手紙を書いている。そのつど、返事は、こう励ますものだったという。/「無理をせず、粘り強く」/理解と納得を得るには時間がかかる。コミュニケーションは回数が欠かせない。一つのことをやり遂げるためには、こうした粘り強さが決め手になる。
#ん。
評価:7点
『覚悟のすすめ』 金本知憲
角川oneテーマ21 08年9月刊
そこそこ売れてるらしい。
ほんとならもっと売れたやろうに。。
しかしなぜシーズン中に発刊?
特におもしろくはない。
抜書きも1か所のみ↓
これまでしてきた努力はこれまでの成果として現れたのであって、これからの成果はこれからの努力によって築いていかなければならない
まだまだ努力するつもりのようだし努力してもらいたいが、やっぱり年齢的に。。
ペナントで逆転を喫したのは巨人との四番の差だろう。クライマックスシリーズ第1ステージで敗退したのも中日との四番の差だろう。やっぱり大砲が必要やろ。
真弓新監督の仕事の中に、連続フルイニング出場記録にストップをかける仕事が含まれるやろうなあ。
悪口を書いているようだが、タイガースの中で一番好きな選手はアニキだ。
評価:6点
『風塵抄』 司馬遼太郎 中公文庫
単行本は91年刊
産経新聞に月1回掲載されていた随想を本にしたもの。なので1つ1つが短い。短すぎて個人的には好みではない。読みかけで放ったらかしてたものを引っぱり出してきて読了した。
あとがきに、以下のように書いている。
一冊の本になってみれば、一章ずつの枚数が少ないこともあって、書いていることがしばしば象徴化してしまい、読みにくいものになっていることに気づいた。
謙遜で書かれているのだろうが、実際読みにくかった。
以下、一つだけ抜書き。
四十の関所
・・・/三十代までは使い走りでもできる。人のためにたばこを買いにゆくことができるし、タクシーが見つからねば雨の中を一キロも走って目あての時刻の電車に飛び乗ることもできる。まことに軽快で、小気味いい年代である。/四十男は、そうはいかない。/管理職にさせられたりして、ちょっと重々しくなる。/人や仕事を管理する能力など、本来稀有なもので、まず徳がなければならない。徳など、若いころから自分を無にして他者や仕事に奉仕できるように自分を訓練してきた人にしてはじめてできるもので、年功序列がその徳をつくるものではない。/私の経験では、組織のなかのしごとというのは、変な会社の場合、組織の秩序維持のためにある。ひとびとはつねに無用の放電をしていて、よほど徳のある上司を得ないかぎり創造への意欲など充電されずに減ってゆくものである。/・・・/私は、初対面の四十代の人には、心から、大変ですな、と思ってしまう。/・・・/人は四十代で人格ができあがるようである。よき四十代の人が、六十、七十になった場合、ただ存在しているだけでひとびとの心をあかるくするにちがいないし、老齢化社会についての問題の一部も解決するかもしれない。/四十代で鬼相を呈しはじめる人もある。むやみに権力好きになったり、また自己の利益にとらわれて他が見えなくなっている人がいる。・・・/以上のように見てくると、四十の関所というのは、容易ならざるものらしい。
いくら司馬遼太郎のファンとはいえ、つまらなかったものを他人に推薦するわけにはいかない。つまらない本を読む時間ほどもったいない時間はない。低い点数もしっかり書いていきたい。
評価:3点
『西の魔女が死んだ』 梨木香歩
新潮文庫 単行本は94年刊
帯に、最後の3ページ、涙があふれて止まりません、と書いてある。が、そんなことはない。泣き虫の私はそれを期待していたが、肩すかしをくった。
お話は少女もの、ええ歳のおっさんが読むような本ではなかった。舞台が自然にあふれた場所で、それはいい感じだった。
評価:6点
『近江散歩、奈良散歩―街道をゆく24』
司馬遼太郎 朝日文庫
ブログを書き始めて司馬遼太郎の本を書くのは初めてと思う。以前に近江散歩だけ読んで放ったらかしにしてたのを思い出したように奈良散歩を読んだ。
ちなみに私の最も好きな作家は司馬遼太郎。残念ながらすでに故人になってしまったので、新作が出てこないのが残念。読み残してる作品はもったいないので少しずつ読もうと思っている。
この街道をゆくシリーズもけっこう未読があって今後の楽しみ。
久しぶりに抜書き、#は感想。
日本語には、させて頂きます、というふしぎな語法がある。/この語法は上方から出た。ちかごろは東京弁にも入りこんで、標準語を混乱(?)させている。「それでは帰らせて頂きます」。「あすとりに来させて頂きます」。「そういうわけで、御社に受験させて頂きました」。「はい、おかげ様で、元気に暮させて頂いております」。/この語法は、浄土真宗(真宗・門徒・本願寺)の教義上から出たもので、他宗には、思想としても、言いまわしとしても無い。真宗においては、すべて阿弥陀如来―他力―によって生かしていただいている。三度の食事も、阿弥陀如来のお陰でおいしくいただき、家族もろとも息災に過ごさせていただき、ときにはお寺で本山からの説教師の説教を聞かせていただき、途中、用があって帰らせていただき、夜は九時に寝かせていただく。この語法は、絶対他力を想定してしか成立しない。それによって「お陰」が成立し、「お陰」という観念があればこそ、「地下鉄で虎ノ門までゆかせて頂きました」などと言う。相手の銭で乗ったわけではない。自分の足と銭で地下鉄に乗ったのに、「頂きました」などというのは、他力への信仰が存在するためである。もっともいまは語法だけになっている。
#近江にも奈良にも関係ないが、こういう雑学的なところがちょこちょこ出てくるのもまたいい。
現存する塔のなかでもっともすばらしいのは、「凍れる音楽」などといわれる薬師寺の東塔(建立は730年とされる)だが、・・・
#すぐに思い浮かべれる人はどれくらいいるんだろう。今度は薬師寺に行こう。
死者に戒名をつけるなどという奇習がはじまったのはほんの近世になってからである。インド仏教にも中国仏教にもそんな形式も思想もない。江戸期になって一般化したが、おそらく寺院経営のためのもので、仏教とは無縁のものといっていい。戒名がさほどの歴史性もなく、仏教の教義にも関係がないというのは、わが国最古の過去帳をもつ修二会がそれを証明している。
#させて頂きますも、薬師寺も、戒名も、すべて近江も奈良も関係なかった。。
でも、この本を読んで阿修羅を見るために興福寺に行きたくなって実際に行ったのは事実。
評価:8点
『ハリー・ポッターと死の秘宝 上・下』
J.K.ローリング 静山社 08年/7月刊
遂に最終巻、おもしろかった。
残念なのは、一番の感動ポイントが、訳者のあとがきを読んでから本編の該当部を読み直して気付いたこと。ここの工夫がなんとかならんかったものか。。
これまでの伏線から、この人物に関しては何かあるだろうと思っていた。
全7巻、4巻目からは上下2冊ずつの大河ドラマ。
おそらく今後古典となるだろう名作だと思う。だからこそ買って読んでいた。
ちなみにこのシリーズの映画は観たことがない。
おもしろいかどうか知らんが、原作を超えることはありえないだろうから今後も観る気はない。
評価:10点(シリーズ通して)
『漆の実のみのる国(上・下)』 藤沢周平 文春文庫 単行本は1997年刊
「密謀」を読んだ後なので、藤沢周平つながり上杉つながりでこれを読んだ。
「密謀」からはかなり時代が下り、貧困にあえぐ米沢藩を立て直そうとする上杉鷹山の話。上杉鷹山は有名だがまだ読んだことがなかったので読んでみたが、この作品は藤沢周平の遺作で結局最後まで書ききれずに亡くなったようで、最後は突然終わっている。ひたすら貧乏で貧乏でしょうがないという内容で改革によって貧乏がましになったのかどうかわからんまま終わってしまっている。微に入り細を穿つ説明調の記述が多くちょっと読むのはしんどいし、最終的にハッピーエンドでもなく、ちょっと中途半端。上杉鷹山ものとしては別の本の方がいいかも。
評価:6点
女子世界選&固定翼世界選が始まった。
イタサンがいいスタートダッシュをかけたようだ。楽しみ。
女子世界選のメンバーで同じクラブのアキ。
ブログのタイトルが「めっきらもっきら」。
なんのこっちゃと思ってたら絵本のタイトルからとったらしい。
有名な絵本のようでうちの奥さんも知っていた。
『めっきらもっきらどおんどん』 1990年刊
18年前の作品だからアキにとっては子供の頃の絵本、私にとっては、、もう大人やなあ。。
いまだに売れているようで、本屋に普通に置いていた。立ち読みしたその日にうちの奥さんも図書館で借りてきてくれていた。うちの奥さん「あの~、めっきらもっきら・・」、図書館のお姉さん「どおんどん、ですね。」と反応が速かったらしい。よく借りられているのだろう。言葉のリズム感がいい。
子どもの頃に読んだ本は影響力が大きいようで、人によって好きな絵本は様々と思われる。
私のいちおしの絵本はこれ↓
『かたあしだちょうのエルフ』 1978年刊
発刊年と自分の年齢が合わん。これは一度廃刊になって復刊されたと思われる。
幼稚園で読んでもらってとても気に入って親に買ってもらった絵本。なので1972年頃にはすでにあったはず。
そして大人になって自分の子どもにも買い与えた。子どもの反応がいまいちなのがちょっと残念。読み聞かしている親2人が感動してポロポロしているというのに。。
がんばれ、めっきらもっきらアキ。がんばれ日本チーム。
『密謀(上・下)』 藤沢周平 新潮文庫 単行本は1982年刊
「天地人」があまりおもしろくなかったので、直江兼続を主人公としたこれを15年振りに再読。以前に読んだことは全く覚えておらず、めちゃめちゃおもしろかった。直江&景勝コンビの話と忍者の話が2本同時に走ってて別に忍者の話はなくてもいいが、それを補って余りある本筋。
来年の大河ドラマの原作は「天地人」だが、断然こちらがお薦め。
評価:10点
「天地人」は7点を付けていたが、相対的に6点に減点しておこう。
『天地人(上・下)』 火坂雅志 NHK出版 06年9月刊
2009年NHK大河ドラマ原作。
今年の大河の篤姫は視聴率が調子いい。
来年も妻夫木主演で好調を持続できるか?
文庫を待ってたが、どうも大河が始まるまでに文庫化はなさそうなので思いきってハードカバーを購入。1800円×2冊、はっきり言って価値はなかった。
主人公は直江兼続、上杉景勝の家来。上杉景勝は上杉謙信死後の当主。謙信死後の相続争い、御館の乱から関ヶ原後の米沢移封までが描かれている。
久し振りに歴史小説を読んだが、なぜか入り込めない。読みやすくはあるが、入り込めない。歴史小説が肌に合わなくなったか?それともこの作品の出来が悪いのか?おそらく後者。ネットで探ってみると評判がよろしくない。来年の大河は脚本が重要では?
直江兼続の最大の見せ場は関ヶ原直前の直江状。それもあんまり盛り上がらず、淡々と過ぎていった感じ。こんなはずではない。直江兼続を書いた小説としては藤沢周平の「密謀」がある。20年ほど前に読んだのですっかり忘れているが、もっとおもしろかったはず。1回読んだ本を読み直すことはほとんどないが、今回は読み直してみよう。
評価:7点→6点 (「密謀」との相対的評価により減点)
『無間人形 新宿鮫Ⅳ』 大沢在昌 光文社文庫
(単行本は94年刊)
シリーズ第四作。
これで直木賞を獲ったらしい。
相変わらずエンターテインメントとしておもしろい。
現在8作まで出ており、この第八作は評価が高いが、5~7はいまいちみたい。こればっかり読んでても他の本が読めないので、このシリーズはこれでちょっと休憩。
評価:9点
『カンブリア宮殿 村上龍×経済人2』 日本経済新聞出版社 08年2月刊
TV番組を本にしたもの。「・・・1」は以前書いた。
この本に収録されたのは以下の24人。
田中邦彦―くらコーポレーション社長
伊勢彦信―イセグループ会長
安部修仁―吉野家ホールディングス社長
大林ヒロ史―日本レストランシステム会長
篠原欣子―テンプスタッフ社長
中村義一―三鷹光器会長
堀場雅夫―堀場製作所最高顧問
佐々木道夫―キーエンス社長
村上憲郎―グーグル米本社副社長兼日本法人社長
石原恒和―株式会社ポケモン社長
出井伸之―元ソニー最高顧問
池森賢二―ファンケル名誉会長
川鍋一朗―日本交通社長
飯塚克美―バイ・デザイン社長
小仲正久―日本香堂会長
鈴木敬一―築地魚市場社長
工藤恭孝―ジュンク堂書店社長
高木剛―連合会長
木瀬照雄―TOTO社長
加藤カズ康―キリンホールディングス社長
高須武男―バンダイナムコホールディングス社長
新浪剛史―ローソン社長・CEO
小林豊―小林製薬社長
以下、いつものように抜書き。#は私のコメント。
○安部氏(吉野家)
・・・みんな、自分の適性というのは自分の好き嫌いだと思っているじゃないですか。ところが、好き嫌いと才能とは別なんです。だから自分の今やっていることを全力でやっていると、たとえ嫌いだったことでも、他のやつよりできることはいっぱいある。目の前のことに全力を発揮し続けている限り、必ず周りの人はそれなりの評価はしてくれると思うんですよ。/・・・/自分に向くものはもっと他にあるはずだと思って決められないでいる人というのは、今を一生懸命生きてないんじゃないかと思うんですよ。そういうものはいきなりゲットできないし、何かを全力でやっているうちに、派生的に道が見えてくる。でも全力でやってないと、次の世界につながっていかないんです。だからどんなに小さなことでも、その役割を全うすると次の世界が見えてくると思うんです。
#正論。報われないと思われる時ほど、やるべきことをやってガマンか。。
・・・周りを協力させることと、周りの協力が得られるということは、決定的に違います。自然に協力者が現れてサポートしてくれることというのは確かにある。で、そのためには、誰よりも努力することがまずあります。ただエゴイスティックな自分を理解してもらう努力というのは、して当たり前と思うんです。そうではない努力、見えない努力をしているやつには必ず協力者が現れる。それが周りの協力が得られるということじゃないかと思うんですよ。それが大事なことじゃないかという気がします。
#いろいろ利害がからんだ場合も、協力する、しない、というのはあるけど。。
○中村氏(三鷹光器)との対談後の村上龍の談話
・・・一つのことに長期にわたって科学的努力を傾注すると必ず何事かをなし得ることができる、・・・しかし誰もが「一つのこと」に出会えるわけではない・・・/圧倒的な競争力を持つ技術や、事業としての成功は、何か特別な才能があり特別なことをやった人だけが獲得できるとたいていの人がそう考えている。繰り返すが、それはまったく違う。決定的に重要なのは、科学的な努力を長期にわたって傾注する何かと出会えるかどうかという一点なのだ。ほとんどの人はそういう対象に出会うことなく、あるいは出会っても気づかずに通り過ぎてしまうので、成功した人と自分の違いを認めたがらない。
#「一つのこと」に出会いたいものだ。
○佐々木氏(キーエンス)との対談後の村上龍の談話
30代で年収が1300万、営業利益が50%超という超優良企業のキーエンスだが、わたしは「人は石垣、人は城」という有名な歌詞を思い出した。・・・「人は石垣、人は城」という歌詞は、シンプルで、しかも石垣とか城とか盤石なイメージの言葉が並んでいるので、「一丸となって」会社を支えるという風に、誤解されやすい。「気持ちを一つにして」とか、ひどい場合には「滅私奉公」的な意味合いで語られがちだ。/だが、企業価値を決める優秀な人材というのは「自分を殺して全体に奉仕する人間」ではない。企業ビジョンを正確に理解し、自ら考えに考え抜いて問題解決に当たることのできる人のことを言う。
#正論。しかし、年収すげえ。。
○村上氏(グーグル)
グーグルは日本を含めて全世界を4つの地域に分けています。・・・/4つの地域というのは、まず北米はカナダとアメリカの2カ国。ヨーロッパはヨーロッパから中近東アフリカまでカバーしています。もうひとつ、アジアンパシフィックラテンアメリカという広大な地域をカバーしています。それに対して日本は、グーグルの中では唯一ひとつの国で地域を構成している。これはグーグルが日本という地域を非常に重要視し、特別な扱いを必要とする地域だと認識している証拠でもあります。
#グーグルからそういうふうに見られているということ自体がなんかすげえ。
あることをやっている人は、それについて一番よく知っているはずです。ですから、その人に私が「どうしましょう」と言われても、私も困るんですよ。せめてA案、B案、C案ぐらいは持ってきて、悩む時もあるでしょうから、私は「ところで君は、A案、B案、C案のどれだと思うか」と聞いて、「まあA案だと思います」って言ったら、「やっている君がA案だと言うんだから、A案だよ」と言うという感じです。
#いい上司だ。とりあえず否定するような人もいるからなあ。
いわゆる終身雇用というのが崩壊しつつあるわけです。特に外資の場合、それは保障できないということを明確に申し上げています。では会社に何ができるかというと、仕事を通じて、一生就職できる能力、一生雇用される能力というのをつける手伝いはします、ということです。それはお約束します。それを社員の立場からいうと、この会社でお給金だけもらうのではなくて、会社を踏み台にして次のステップへ進む、自分自身を自己啓発していく。そう仕事なり会社なりを考えたほうがいいんじゃないですか、ということです。
#確かに。優秀な人は会社を踏み台にしていると思う。
○池森氏(ファンケル)
最近、大学で講義をすることが多くなったのですが、「どんなに学問を積んでも、心が伴わなければまったく意味のないものになってしまうんですよ」という話をします。
#積んだわけではないが、心が伴っていなかったし、できることなら大学での勉強はやり直したい。。
池森氏との対談後の村上龍の談話
・・・興味を示すものと出会ったら「まずやってみる」ということだ。できるかできないかではなく、やるかやらないかだというのは才能に関する私の持論で、考えてみれば当然のことだが、「実際にやった人」しか成功しない。できるかできないかをずっと考え、リスクとコストに逡巡する人は、失敗もしないが、絶対に成功できない。そして、人生を振り返るときに「あのとき実行していたらどうなっていただろうと」繰り返し自問し、最悪の場合は後悔に苛まれる。後悔をともなう人生は、失敗した人生より恐ろしい。
#仕事においては、リスクとコストに逡巡することは多い。自分のことではなく上の方の判断のこと。しかし上の仕事としてはリスクマネジメントは大事である。
#自分の人生を振り返って、後悔は山のようにある。1本のフライトを振り返ってみても後悔だらけだ。。
○川鍋氏(日本交通)
・・・とにかくやるってことしか無いと思うんですよね。今、何かをやると、俺も同じこと考えてたんだ、と言う人がいるわけですよ。でも、やった人と考えただけの人の間には、20ぐらいの扉があって、それを1個やるために、1個扉を開け始めると、また次の扉があって。要するにやる事っていうのはいかに大変か。ただ、やった人にしかそれはわからない。やればやるほど、なんだ結構やるっていうのは意外とアバウトにできるのね、っていうのがわかってくる。/・・・次のチャンスが来た時にはぜひ、まあいいや、やっちゃえ、というふうに思っていただきたい。目の前のチャンスはまだ僕には早いとか、今はタイミングじゃないと思った瞬間に、どんどん逃げていっちゃう。そう思います。
#確かに、目の前のチャンスはすぐに通り過ぎるものだと思う。
○高須氏(バンダイナムコ)との対談後の村上龍の談話
どんな組織も人間関係が限定されて閉鎖的になると、川の水が澱むように緊張がなくなり能力を発揮できなくなる。だから統合・合併で新しい環境にさらされると、人は緊張し、外部に向かってアイデアを出したり真摯なコミュニケイトを図らざるを得なくなる。・・・/高須氏は「人間には大きな可能性がある」と考えている。だがその可能性が実質的に実を結ぶためには、人材が外部とのコミュニケーションによって鍛えられる必要がある。仲間内での仕事には批評性が少ないからだ。
#仲間内でも批評性があったり、人間関係が限定されていても緊張があったり、ということもあると思う。が、外部との接触の方がはるかに高いレベルが必要とされるだろうし、鍛えられるんだろうなあ。
○小林氏(小林製薬)
技術は必ず後からついてくると思っております。「技術ありきじゃないよ、まずニーズありきだよ」と言っています。
#確かに、シーズありきは技術者にとっては楽なんだが、大ヒットにはつながらないと思う。
対談中の村上龍の発言
・・・昔、ゴルフのマスターズの取材に行ったんです。出場しているのはすごいゴルファーばかりなのですが、プレッシャーのかかるラウンドが終わると、みんな暗くなるまでパターの練習をしているんです。非常にうまい人たちがこつこつと練習している。結局、プレッシャーの多いラウンドが終わったあとに、暗くまるまでパターの練習をしても飽きない、集中を続けられるというのが才能だと思ったんです。・・・
#暗くまるまで飛びたい。。もっと練習したい。。全然飛び足りんよなぁ。。。
評価:9点
『ティファニーで朝食を』 トルーマン・カポーティ 村上春樹訳
新潮社 08年2月刊
超有名だが読んだことがなかった。村上春樹訳として刊行されたので読んでみた。翻訳物はあんまり読まないが、村上春樹訳のものは春樹テイストになるのでキライではない。でもこれはそんなに春樹色が強くなく、話も特におもしろいとは思わなかった。
「ティファニーで朝食を」は中編で、この本にはそれ以外に短編が3つ収められている。短編にいたっては、文学好きでもない限り読む必要もないだろう。
実は映画もまだ観ていない。オードリー・ヘプバーンはきれいでかわいいとは思うが、それほど好きな女優というわけではない。さすがに「ローマの休日」はいい映画だとは思うけど。原作も読んだことだし、機会があれば映画も観てみよう。
評価:4点
読書レポートとは関係ないが、オードリー・ヘプバーンの映画で好きなのは「暗くなるまで待って」。サスペンスもの、おすすめ。
『屍蘭 新宿鮫Ⅲ』 大沢在昌 光文社文庫
(単行本は93年刊)
シリーズ第三作。
さすがにシリーズものも3つめとなると新鮮味が乏しくなる。
前作と趣は変えてはいても、それがシリーズものの宿命だろう。
次の第四作は直木賞受賞作。
ちょっとだけ期待していいかな。
おもしろかったんだけど、いやなテーマを扱ってたこともあり、
評価:8点
『スラムダンク(全31巻)』 井上雄彦 集英社
10年以上前に終わった名作。
遅ればせながら、ようやく読み終えた。
まだ読んでない人は読まないといけない。
ちゃんと10年前に読んどくんだった。
熱いだけではなくユーモアのセンスもベリィグッド。
何を今さら、って感じだが、
評価:10点
『毒猿 新宿鮫Ⅱ』 大沢在昌 光文社文庫
(単行本は91年刊)
シリーズ第二作。
前にも書いたが、「新宿鮫Ⅰ」はこのミス20年ランキング5位、このミス読者が選ぶ20年ランキング1位。
それに対してこの第二作、このミスランキング10位。新宿鮫ファンサイトでの人気ランキングではなんと1位。
評判に違わず、おもしろかった~
解説にも書かれていたが、映画「エイリアン」に対する「エイリアン2」、「ターミネーター」に対する「ターミネーター2」といったノリ。
シリーズ4作目で直木賞を受賞したらしいので、とりあえずそこまでは読んでみようっと。
ただ、このⅡはあまりに劇画調に振れたなあということで、
評価:9点
『20世紀少年』 浦沢直樹 小学館
全22巻+『21世紀少年(上・下)』
やっと読了した。
2006年5月に21巻を読んで以来、2年近く空けて残り3冊を読んだ。まあ最終巻が刊行されたのは07年10月なのでなかなか読む機会がなかったんだが。
今度、実写による映画化ということで、すでに豪華キャストも発表されてるし、楽しみ~
やっぱり浦沢直樹はおもしろい。
巷ではいろいろ意見が分かれるようだが、
評価:10点
『新宿鮫』 大沢在昌 光文社文庫
(単行本は90年刊)
3日前から紹介している、このミス20年間ベスト・オブ・ベストでは5位、読者が選ぶランキングでは1位。
おもしろかった~
私の読書時間は通勤(帰り)の電車の中。
降りる駅に着いた時、あ~続きがまだ読みたいと思わされたのは久し振り。
ハードボイルド刑事小説。
第一印象は池上遼一の漫画のようだったが、主人公はそれほど完璧な男ではない。そこがまた良い。
シリーズもので現在文庫はⅧまで、単行本はⅨまで。新宿鮫Ⅱは20年間ランキングでも10位に入っている。とりあえずⅡは読んでみようっと。
評価:10点
昨日紹介したランキング、もう1つある。
「このミス」の読者が選ぶランキング。
こちらも20年間のベスト・オブ・ベストが同時に発表された。
1 新宿鮫 大沢在昌 91年1位
2 火車 宮部みゆき 93年2位
3 ホワイトアウト 真保裕一 96年1位
4 白夜行 東野圭吾 00年2位
5 模倣犯 宮部みゆき 02年1位
6 マークスの山 高村薫 94年1位
7 レディ・ジョーカー 高村薫 99年1位
8 亡国のイージス 福井晴敏 00年3位
9 黒い家 貴志祐介 98年2位
10 半落ち 横山秀夫 03年1位
こっちのランキングの方が一般的だ。全作品3位以内だし。
こっちは1位以外はすべて既読。ちなみに読書ログではすべて9点か10点。
1位を読んでないのですぐに読まなくては。
『火車』 宮部みゆき 新潮文庫 (単行本は1992年刊)
「このミステリーがすごい!」が20周年を記念して、2月に過去20年のベスト・オブ・ベストを発表した。
その1位がこれ。
以下、解説から抜粋。
ローン地獄に落ちる人など、自分とは無縁だと思っている人でも、「火車」を読めば、きっと、そうした人を身近に感じるだろう。そして、現代の日本にパックリと口をあけている、その地獄の淵の深さに戦慄するに違いない。・・・/深い淵に落ちないために、この作品を読んでほしいという思いは、いよいよ強い。
おもしろかった。92年刊だからちょっと古くなったという印象は否めない。
おもしろかったけど、20年間の1位というほどでも。。
評価:10点
ちなみに、ベスト・オブ・ベストは以下のとおり。
1 火車 宮部みゆき 93年2位
2 生ける屍の死 山口雅也 90年6位
3 私が殺した少女 原尞 90年1位
4 魍魎の匣 京極夏彦 96年4位
5 新宿鮫 大沢在昌 91年1位
6 ダック・コール 稲見一良 92年3位
7 空飛ぶ馬 北村薫 90年2位
8 双頭の悪魔 有栖川有栖 93年8位
9 レディ・ジョーカー 高村薫 99年1位
10 白夜行 東野圭吾 00年2位
10 毒猿 大沢在昌 92年2位
あまり一般的でないような気がする。
しかもそれぞれ過去に1位を取った作品ばかりが並ぶかと思いきや、3作品しかない。
よーわからんランキングだ。
読んだことあるのは、高村薫と東野圭吾だけ。
まあぼちぼち読んでいこう。
『虫眼とアニ眼』 養老孟司 宮崎駿
新潮文庫 08年2月刊 (単行本は02年刊)
養老孟司は好きじゃない。「バカの壁」なんて何にも印象に残っていない。ちなみに過去の読書ログを見ると6点付けてた。もっと低い印象だったが。。
宮崎駿は好き。空飛ぶ人でこの人を嫌いな人はいないんじゃないだろうか。
ということで、宮崎駿にひかれて読んだ。
「もののけ姫」後の対談と「千と千尋の神隠し」後の対談。
以下、いつものように抜書き。#は私の感想。
蝶は飛ぶときに、好き勝手に飛んでいるわけではなくて、「蝶道」と呼ばれる道に従ってヒラヒラ飛んでいるんですね。以前はぼくの家の前にその蝶道があったんです。ところが家の裏に建て増しをしたら、その蝶道が消えてしまった。つまり蝶という生き物は、かなりデリケートに周囲の環境を把握していると思ったんです。その後ベトナムに昆虫採集に行って一番驚いたのは、今度はその蝶道がハッキリ見えるんです。つまりあまりに蝶が多いものだから、その蝶道に沿って白い線になっている。
#さすが虫眼。虫は好きなのでこういう話はついチェックしてしまう。
もうそろそろ考え方を変えてですね、永年勤続じゃなくて仕事の間に休みを長くとるようにしたらどうでしょうね。週休二日は働く上ではかえってつらいんです。二日なら木曜と日曜を休みにしたほうがいい。その上で、10年たったら半年は休むとか、30年たったら1年休むとか、そういうのが常識の世の中にならないかなって思うんです。60歳から突然趣味を始めるなんて無理ですよ。せいぜい植物や野仏の写真撮って歩くとかね、まあツマラナイとは言いませんよ、本心はそう思っていても(笑)。そうだとしてももっと前から始めなきゃ。
#休みのとり方に関してはほんとに何とかならんかと思う。よく休んでる奴が何を言うかと思われるだろうが、もっとフレキシブルになってほしい。うちの会社ではこの春闘で夏休みの13~16が固定になってしまった。時代に逆行してるやろ、しかも組合からの提案、、理解できんわ。。
パヒューマーという職業的に匂いをかぎ分ける人たちがいるんですけれど、その人に赤ん坊がいて、田舎に帰ったとき、寝ている赤ん坊のすぐそばをでっかいムカデが歩いていた。そうしたら、その瞬間にパッと自分の体臭が臭った。/自分の体臭が瞬時に変わったのがわかったと。/・・・自分の恐怖でゲジゲジがパッと動きを止めたと言うんですね。向こうにもなんかヤバイということが届いた。
#匂いはけっこう奥深いと思う。閾値以下の濃度でも無意識下では検知してるとか、研究したら面白そう。
―「千と千尋の神隠し」は10歳の子どもの視点で語られていますね。
たまたま、目の前に10歳ぐらいの子どもたちがいて、ぼくはこの子たちのために映画を作っていないなって思ったから、作ろうと思ったんですね。/・・・/この子たちのためにアニメーションをと思っても、その前に、気の毒だなあ、苦労しそうだなあって思わざるをえない。でも、やはりその子たちが生まれてきたことを「間違っていました」とは言えないでしょう。/・・・/生まれてきてよかったねって言おう、言えなければ映画は作らない。自分が踏みとどまるのはその一点でした。そこで映画を作るしかないと。
#うちの長男坊も10歳、もう1回見たくなってきた。
知的所有権などというものは、特殊な時代の、特殊な世界の産物である。独創性とか、個性とかいうが、真の独創なら、他人はそれを理解できない。他人に理解できるなら、それはべつに独創ではない。いずれだれかが考えるはずのこと、それをたかだか最初に思いついたというだけのことだからである。個性もまた同じ。まったく個性的ということは、他人の理解を超越することである。
#いかにも哲学者って感じ。こういう物言いが好きじゃない。
評価:7点
『オンリー・イエスタディ』 石原慎太郎 幻冬舎 08年1月刊
著者の昔の知り合いについて書かれたもの。18章からなり、1章に1人だったり、数人だったり。けっこう個人的な作品。
若い時分えらく遊んでた様が村上龍と少しダブった。えらく違う人物だが。
以下、抜書き。#は感想。
・・・理解力だけではなしに理解したものの咀嚼力、さらに咀嚼した知識を踏まえてのことのハンドリングはそれぞれ位相の異なる能力だろうが、さらにその上に新しい思いつきの出来ることが、いわゆる「出来る人間」の絶対必要条件なのだ。/そしてその絶対必要条件を培ってくれるものは、その人間の感性に他ならない。感性は天与のものと考えられがちだが必ずしもそうではない。努めて試みれば、自ら開発可能なものなのだ。/それは何でもいい自分が熱中できる趣味を持つことだ。ペットを飼う、何かスポーツを手掛ける、将棋をさす、俳句をひねる、とにかく何でもいい、他人の真似ではなしに自分で選んで好ましいと思ったことを手掛けることだ。/はたが何といおうと自分が本気で熱中出来る趣味を持ち、それに耽溺することで、さまざまな工夫が強いられ、工夫の努力と楽しみの内に脳が開発され、それが発想力だけではなしに、脳のある酵素の刺激が多角的に及び、今までに備わっていなかった情念が開発付与される。/大脳生理の原則として、何であろうと自ら工夫を凝らすという作業こそが人間に幅を与え、頭の回転を速いだけではなしに多角的なものにしていくのだ。
#何か最後はちょっとあやしい。
過ぎた物事について「もし」というのは禁句だろうが、この日本をずたずたにしてしまった財政の破綻は、歴代の橋本、宮沢、三塚といった多くの無能な大蔵大臣が政治家としてその責を負うべきだが、誰を眺めても財政の勘どころを全くつかんでいなかったあの連中の代わりに、渡辺美智雄がもしももう少し長く大蔵大臣を務めていたなら、日本の財政の惨状はここまでには至らなかったのではないかと私は思っている。
#石原慎太郎はえらくミッチーをかっているようだ。
おもしろかったけど、あまりに個人的回顧録のような感じなので、
評価:7点
『人生への恋文 往復随筆』 石原慎太郎 瀬戸内寂聴
文春文庫 1月新刊 (単行本は03年10月刊)
石原の書いた随筆に瀬戸内が随筆で答えるというのを1セットにして21セットから構成される。本文中に瀬戸内が書いていたが「あなたとわたしの楽しい一か月に一度の活字デート」。
石原慎太郎はよく読んでいるが、瀬戸内寂聴は初。相変わらず尖っている石原慎太郎に対して、その先端を丸く包み込むような瀬戸内寂聴。なかなかよかった。
以下、抜書き。#は感想。
わたしも数え八十になった今もまだ肉体も感性も枯れてなんかいないと自負しています。日本人はよく年をとったら枯れるのが美徳のように言いますが、とんでもないまちがいです。特に芸術家は死ぬまで枯れたり出来ません。枯淡の味なんて真平御免です。/枯れた芸術家なんていうのは、要するに耄碌したということで、ものなどつくるのはやめるべきです。
#元気な婆さんだ。
・・・個性の発露である自分の感性、情念の赴くままに生きるということの大切さではないかと思います。芸術というものはそれでなくては成り立ちはしないが、芸術家に限らず他の誰だろうと、それぞれの個性という人間の尊厳の表象をもう少し大切にして生きたらと思います。誰しもがそう心掛けたらこの世の中はもっと生き生きとしてダイナミックなものになると思いますが。/しかしまあ他人はどうでもいい、肝心のこの自分がいかに自分を通しきるかということです。
#確かに、この人(石原)はかなり自分を通している。
人生の転機というのは、生涯に繰り返し訪れるもののようです。その転機は決して誘ってくるものでもなく、願って訪れるものでもないようです。突然、雷のように落ちてくることもあれば、霧のように足音もなく、いつのまにかひしひしと自分を取り巻いていて、ある日ふと、その濃さに気づいた時、それを転機として捉えるのではないでしょうか。常に心が緊張し、神経を研ぎすましていなければ、いくら転機がサインをよこしてくれても、それに気づかないで見逃してしまうことがあるのでしょう。
#こういうことはいろんな本に書かれていて別に珍しいことではないが、改めて心しておこうと抜粋した。
昔は日本海岸でしか口にすることの出来なかった甘エビなどという美味は、いかに足の早い、つまり腐りやすい食品だろうと今では国土を横断するハイウェイの完備と、冷凍庫の発達で収穫から一夜にして東京まで運びこまれ、ちょっとした料理店ならどこででも口にすることが出来ます。/しかし東京の築地の河岸の市場にいってご覧なさい。朝地方からやってきた何十台という大型の冷凍トラックが河岸の前の道路にひしめいて止まり、市場が開くのを待っている。どの車もエンジンを切れば冷凍が止まり、運んできたせっかくの物が傷むからアイドリングしたまま時を待つ。その車たちが排出する膨大な量の排気ガスの汚染は東京中に拡散されていく。といった文明の便宜性、それが保障する快適性のもたらす悪しき循環の事例は無数に近くあります。/それをいったいどう調整したらいいのか、もう実は誰にもわからない。私たちはもう昔に戻ることは出来ない。ならばどこに向かって、何を目指して進んだらいいのか、実は誰にもわかっていないし誰もわかろうとはしない。/環境問題については、しょせん誰もが場当たり、その場しのぎの状況主義でしかありはしません。アメリカのような先進国が、地球の温暖化防止のために地球全体のCO2の排出を軽減しようという京都での議定書に参加しないのは端的な例であって、しかしそれがどの国どの人にとっても共通のスタンスでしかありはしない。
#悲しいかな、その通り。。
評価:8点
『カルロス・ゴーン 経営を語る』
カルロス・ゴーン+フィリップ・エリス 日本経済新聞社 03年9月刊
昨年末レポートした立花隆「ぼくの血となり肉となった500冊そして血にも肉にもならなかった100冊」の中で紹介されてて、ここでも紹介し、読みたい本リストに追加していた本。
そのときに書いた部分(抜書き)をそのまま再掲。
カルロス・ゴーン、フィリップ・リエス『カルロス・ゴーン 経営を語る』(日本経済新聞社 1600円)を読んだら、ゴーンは人間としてとても興味深い人だということがわかった。(略)その家族的バック・グラウンド(ブラジルとレバノン)と教育的バック・グラウンド(フランスの最高のエリート教育)がどれだけ多くのものをゴーンに与えたかが語られるくだりで、日本人の全く知らない世界が語られ、これが非常に面白い。またビジネス社会(ミシュラン)に入ってからの初期OJTが、その人を作りあげるために、どれほど大切かもよくわかる。(略)これは経営学の本というより、人間学、社会学の本で、そういう本として面白いし、実に考えさせられるところが多い。
帯にある文言↓
「経営者がやるべきことの中で最も重要なことは従業員のやる気を起こさせることだ。彼らのやる気こそが価値創造の源泉となる。」
まさにそのとおりだと思う。
03年9月刊だが、1999年10月に発表したリバイバルプランが1年前倒しで達成されたのが2002年なのでその後に書かれたもの。書かれたといっても、1年がかりで行なわれたインタビューをもとに作られたもの。
99年当時は、日産が売り出していた43車種のうち、わずか4車種しか黒字を計上していなかったらしい。
以下、抜書き。#は私の感想。
普通、再建計画というのは、工場の閉鎖などの“過去の清算”と、新しい事業の展開など“未来のための準備”という二つの目的からできあがっている。・・・だが、衰退している会社では、再建計画を立てる時に、この“未来のための準備”という側面が軽視されていることが多い。・・・過去の計画で行なわれたことは、事務所の清掃は月に一度に減らすとか、事務用品は個人で買うようにするといったばかばかしいやり方で、従業員の士気をくじくだけのものであった。まるで日産の再建が鉛筆と消しゴムの費用にかかっているかのように・・・。
#ほんとにこういうことはかんべんしてもらいたい。
ミシュランに入った時、私は一介の技術者に過ぎず、それもブラジル生まれで、フランス国籍も持っていなかったのです。それが今日、日産の社長を務めています。今の私があるのは理工科学校を出たからでも、一流の技術者だからでもありません。それは私が周囲の人々の力を集めて、なにがしかの事柄を実現してきたからです。その際、私の助けになったのは、学校で学んだことではなく、“人々にやる気を起こさせる”ために私がしたさまざまな工夫でした。
#やる気をなくさせる、ような体験はこれまで多くしてきた。反面教師としなければ。
期待したほどではなかったので、
評価:7点
(05年12月には文庫されていた。知らずにハードカバーを買ってもうた。。)
『天璋院篤姫(上・下)』 宮尾登美子 講談社文庫
今年の大河ドラマ「篤姫」原作。
個人的には初宮尾登美子。宮尾登美子といえば「鬼竜院花子の生涯」。「鬼竜院~」といえば夏目雅子。「なめたらいかんぜよ~!」、、、話がそれた。
時代は幕末なのでおもしろいはずだが、舞台は大奥なので、う~ん。
大奥ものとか、嫁姑ものとかは好みではない。
大河ドラマの方は今のところおもしろい。登場人物等設定が原作と違っている。文庫本2冊を1年間に渡って映像化するのだから原作に忠実にというわけにはいかないのだろうが、かなり違っている。まあそうでもしないとこの原作では盛り上がらんわ。
しかし、去年のようなデタラメはいただけない。あの上杉謙信はやりすぎ。やりすぎというかむちゃくちゃ。戦国時代が大好きでしかも最も好きな戦国武将は上杉謙信である私にとって、あれはとても受け容れられない。正月にやっていたドラマ「天と地と」の謙信像の方がよっぽどよかった。合戦シーンはありえんくらいしょぼかったけど。殺陣に関しては今の仮面ライダーの方がよっぽどすばらしい。先週「~電王」の最終回を子供といっしょに見たけど、ほんとに闘ってるようだった。、、、話がそれた。
とりあえず宮崎あおいはかわいい。しばらくドラマ見続けるかな。
評価:7点
『壊れた脳 生存する知』 山田規畝子
講談社 04年2月刊
昨年末レポートした立花隆「ぼくの血となり肉となった500冊そして血にも肉にもならなかった100冊」の中で紹介されてて、ここでも紹介し、読みたい本リストに追加していた本。
そのときに書いた部分をそのまま再掲。
著者は、東京女子医大を卒業して10年ほど医師の経験を積んだあと、33歳で実家の整形外科病院長になった。しかし、翌年脳出血で倒れ、脳梗塞を併発。「高次脳機能障害」の後遺症に苦しみ、医者は再起不能と見て「余生はのんびりされたら」とすすめるが、リハビリにつとめ、2年半後には、リハビリ専門医として、医療現場に復帰した。/前回出血から3年目の01年に、再び脳出血。直径8センチの大血腫ができ、緊急手術で取り出したら750グラムもあった。植物状態になることはほとんど確実というところで、命はとりとめたが、左不全麻痺の後遺症に苦しみ、空間性認知障害、記憶障害、言語障害、注意障害など、多くの障害に苦しみつつ、再び老人保健施設の施設長として現場復帰した。/いまでも周囲の人に助けられつつ生きている身だが、こんな本を書いてしまうところまで脳が戻ったのだから大したものだ。/脳卒中(脳出血と脳梗塞)について書かれた本は数々あるが、ほとんどが、患者を外側から見て書かれた本だ。医者が4度も脳卒中になり、そのたびに復帰した患者として、脳卒中で起こる諸症状を急性、慢性含めて内側から詳細に記録した、世界的にも医学的にも稀有な本である。/この本によって、脳卒中患者の内側が本当に見えてくる。(略)著者がいうように「どんな脳でも必ず何かを学習する」のであり、どんなひどい脳内イベントからでも少しずつ立ち直ることができるということを今から肝に銘じておこうと思った。
参考になればと思って読んだ。
少しだけ抜書き。#は感想。
・・空間認識やものの位置関係がわかりにくくなっている人が道に迷わないためには、考えを言語化するといいそうだ。/「あそこで右に曲がったんだから、左に行けば、目的地に着けるはずだ」というように。/その理由は、目で充分に認知しきれない情報を、耳から入力することによって補えるからだと考えられているらしい。/それも確かにあるだろう。だが私の感覚では、それはいくつかの代償作用の一部分にしかすぎない気がする。言語化する、ぶつぶつ言ってみるということが、霧のかかった頭の整理に有効だというのは正しいと思う。だが道に迷わなくなる本当の理由は、耳から情報を入力する効果だけだろうか。/私個人の考えでは、言語化すると、その声に出したという行動と言葉がいっしょになって記憶に残るからではないかと思う。それも若干、長期記憶に近い、しっかりとした記憶である。・・・/私には、自分で言っていることを耳を澄まして聞いているという実感がない。どちらかというと、声はそのままどこかへ消えてしまう気がする。むしろ「言葉として声に出した」こと、口から出力した行動の記憶のほうが、強く作用しているのではないだろうか。
#これは健常人でも同じことが言える気がする。暗記ものをしているときはぶつぶつ言ったほうがいいと思う。まあ、とりあえず口に出して言わせるということを気にしてやってみよう。
・・・のどや口にも麻痺症状が見られ、食べ物を正しく飲み込むことができなくなった。/・・・食物が口の中というけっして清潔とはいえない、むしろバイ菌だらけのところを経由して本来無菌状態であるべき気管に入るので、肺炎を引き起こしかねない。実際、肺炎で命を落とす脳卒中患者は少なくない。
#まだ嚥下はできているので、今のところこの心配はない。が、今後気を付けて見ていこう。
とにかくこの作者のバイタリティには驚くばかり。
評価:7点
『男はなぜ急に女にフラれるのか?』 姫野友美
角川oneテーマ21 07年10月刊
「女はなぜ突然怒り出すのか?」の続編とのこと。
うちの奥さんが本屋で立ち読みしたところおもしろそうだったので買ったとのこと。
裏表紙にあるのは「本書のテーマ 男と女の違い」
帯にあるのは「女性を理解したい男性のための処方箋」
夫婦喧嘩の後、奥さんから差し出されたので読んだ。
まあ、書かれてるようなことはいろんな本で読んだことがあるので頭ではちょっとくらいはわかってるんだが。。
1つ抜き出しておこう。
ひとつ、男性読者にアドバイスをするなら、とにかく「女という生き物には不満をため込むバケツがあるんだ」ということをしっかり肝に銘じておくことだ。/そのバケツの存在に気づいているだけでも大きく違う。おそらく、「いま、アイツのバケツの中にはどれくらいたまっているんだろう」と推測するだけでも、日頃の女に対する姿勢が変わってくるはずだ。
評価:7点
『ぼくの血となり肉となった500冊そして血にも肉にもならなかった100冊』
立花隆 文藝春秋 07年01月刊
週刊文春に連載している「私の読書日記」をまとめたシリーズ第三弾。前半に書き下ろしを収載。
以下、抜書き。#は私の感想。大量に抜粋した。
書店にならぶ本は、その書店の店員の眼力をそのまま反映している。
#同感。本屋に行くのが好きだが、いい本屋だと限られた時間では店内を回りきれないことがある。
雑誌作りのプロセスが細かく分業化されていて、取材記者、編集者、最終執筆者、割り付け構成者の仕事が完全に分離されています。ライターというのは、書くことだけに徹する最終執筆者で、アンカーマンともいう。アンカーはまとめの専門家で、最初の企画段階、取材段階には嚙まない。企画と取材の指揮にあたるのは編集者で、取材はデータマンと呼ばれる取材専門記者が行なう。〆切日に取材記者が取材原稿を書きあげると、それを編集者が読んで、コンテを練る。取材原稿の束とコンテをアンカーに渡し、まとめの文章のムード、タッチなどを指示する。女性週刊誌の場合、まとめの文章のエモーショナルな調子が大事なんです。(略)読者を泣かせたり、怒らせたり、笑わせたり、感情移入のテクニックが必要になります。要するに、アンカーは、そういうテクニックを自由に使いこなす職業的な「文章のまとめ屋」のわけです。与えられた材料を、与えられたコンテクストに従ってならべ、指示された調子、ムードで書いていく、プロフェッショナルな「書き屋」です。職人仕事です。
#一人で取材して一人で記事を書いてるもんだとばかり思っていた。
アメリカはリンカーンのいうような、「人民の、人民による、人民のための政治」が行なわれている国というより、「大金持ちの、大金持ちによる、大金持ちのための政治」が行なわれてきた国であって、その大金持ちの中核にいるのが石油産業資本家です。石油と大金持ちというか、アメリカ金融資本と石油メジャー、そしてアメリカ政治の三位一体構造が見えてこないと、アメリカという帝国の真の姿が見えてきません。
#とりあえず、ブッシュはいらんよなあ。
『エーゲ 永遠回帰の海』は、ぼくが書いた沢山の本の中でも、内容的に三本指に入る本だと思うし、おそらく、これから数十年にわたって、読まれつづける本になると思っているのですが、なぜか思ったほどは売れません。理由のひとつは、内容の知的水準が高すぎたことにあるのかもしれませんが、(略)内容的には、思想哲学・古代史・宗教・考古学・美術史にかかわる本なんですが。
#こうまで言われると手が出ない。哲学関係の話はさっぱりわからんし、立花隆の本で、開く度に寝てしまって途中でうっちゃってるのもあるし。。
沢山の大学者を取材してわかったことは、本当の大学者ほど、何がわからないかをきちんといってくれるということです。あらゆる科学の世界において、実はわかっていることよりわからないことのほうがはるかに多いんです。小さい学者は、自分の研究で何がわかって、それがいかに意義ある発見かということばかり懸命に語る。中くらいの学者になると、その学問の世界全体の中で自分の研究・発見の大きさを客観的にちゃんと位置づけて語ることができるようになる。そして大学者になると、自分個人の研究だけでなく、その領域の研究全体がまだどれほど遅れていて、どんなにわからないことばかりなのかを、きちんと語ってくれます。大学者になると、研究の全体像が見えてくる一方で、知りたいことの全体像と方法論的に知りうることの全体像もまた見えてきますから、(略)
#全体を俯瞰することはいろんなことにおいて共通して重要でしょう。
太閤秀吉の刀狩り以来、人民武装の権利を廃絶した日本と、憲法の人民武装の条項は民主主義を守るためにも絶対守るべしとする人々が多数派を占めるアメリカ(だから銃器規正法を作ろうとしても絶対に通らない)とでは、ここがお互いにいちばんわからない価値観の断絶部分です。
#刀狩り以来とは気付かなかった。秀吉の存在意義は大きいということか。
日本はバブル回避の方策をとりえたかと問い、それはほとんど不可能だったというのが、(略)日本はアメリカから対米黒字削減のために内需拡大策をとることを強く求められていた。おまけに87年10月にアメリカ株式市場で起きた「ブラックマンデー大暴落」以後、日本の低金利が世界の金融市場を下支えしており、日本が金融を引き締め高金利政策に転じたら、日本発の世界恐慌が起こると考えられていた。同じ時期、似た立場に置かれていたドイツはいち早く金融引き締めに転じていた(おかげでバブルを発生させなかった)。日本にそれができなかったのは、日本経済(政治も)の対米従属度がそれだけ強かったということである。またドイツ連邦銀行が政治から独立していたのに、日銀は政治に従属していたからである。
#対米従属はいつまで続くことやら。。
竹下登『政治とは何か 竹下登回顧録』(講談社 1800円)をひもといて啞然とした。政策研究大学院大学の伊藤隆教授と御厨貴教授をインタビュアーにして、97年10月から99年3月まで、月1回2時間のインタビューをして作られた本だが、中身らしい中身がおよそ何もないのである。自身総理大臣を一年余にわたってつとめたのみならず、長期間にわたって、政界最高の実力者として、日本の政治に君臨してきた人なのだから、国家経綸の術について何か一言なりと学ぶところがあるはずと期待するかもしれないが、そういうものはゼロである。政治哲学のようなものは、何もない。日本という国家がいまどういう問題をかかえていて、これからどうすべきなのかといった、あるべき政治の展望を語るような要素も何もない。竹下を評して、よく「気配りの人」といわれてきたが、あるのは、自分がどういう気配りをしてきたかという話だけである。自分が短命内閣の短命大臣にしてしまった政治家に、何年かかってもその「損失補填」をしてやったというような話がつづくだけなのである。読んでいると、日本の政治に対する恐ろしいばかりの絶望感におそわれてくる。このような空虚そのものというべき政治家があれだけ長期間にわたって政界随一の実力者でありつづけられた日本の政治の構造そのものが誤っている。(略)やっぱりこの人は、政治家として人格識見ゼロということがよくわかる。小沢一郎の次の評言ですべてがつきている。「目配り。気配りがきき、金配りにもたけている。が、カリスマ性があるわけでも、政策能力があるわけでもない。気配りだけでこれだけ長い間権力にいる人はめずらしい。自分の思想・哲学がないからだれとでも合わせることができるのだろう」
#すばらしいコメントだ。
マヤ暦によれば、世界は2012年に滅びることになっている。
#2012年が近付いたら、マヤ文明盛り上がるかなあ。
カルロス・ゴーン、フィリップ・リエス『カルロス・ゴーン 経営を語る』(日本経済新聞社 1600円)を読んだら、ゴーンは人間としてとても興味深い人だということがわかった。(略)その家族的バック・グラウンド(ブラジルとレバノン)と教育的バック・グラウンド(フランスの最高のエリート教育)がどれだけ多くのものをゴーンに与えたかが語られるくだりで、日本人の全く知らない世界が語られ、これが非常に面白い。またビジネス社会(ミシュラン)に入ってからの初期OJTが、その人を作りあげるために、どれほど大切かもよくわかる。(略)これは経営学の本というより、人間学、社会学の本で、そういう本として面白いし、実に考えさせられるところが多い。
#読みたい本リストに追加。
山田規畝子『壊れた脳 生存する知』(講談社 1600円)。著者は、東京女子医大を卒業して10年ほど医師の経験を積んだあと、33歳で実家の整形外科病院長になった。しかし、翌年脳出血で倒れ、脳梗塞を併発。「高次脳機能障害」の後遺症に苦しみ、医者は再起不能と見て「余生はのんびりされたら」とすすめるが、リハビリにつとめ、2年半後には、リハビリ専門医として、医療現場に復帰した。/前回出血から3年目の01年に、再び脳出血。直径8センチの大血腫ができ、緊急手術で取り出したら750グラムもあった。植物状態になることはほとんど確実というところで、命はとりとめたが、左不全麻痺の後遺症に苦しみ、空間性認知障害、記憶障害、言語障害、注意障害など、多くの障害に苦しみつつ、再び老人保健施設の施設長として現場復帰した。/いまでも周囲の人に助けられつつ生きている身だが、こんな本を書いてしまうところまで脳が戻ったのだから大したものだ。/脳卒中(脳出血と脳梗塞)について書かれた本は数々あるが、ほとんどが、患者を外側から見て書かれた本だ。医者が4度も脳卒中になり、そのたびに復帰した患者として、脳卒中で起こる諸症状を急性、慢性含めて内側から詳細に記録した、世界的にも医学的にも稀有な本である。/この本によって、脳卒中患者の内側が本当に見えてくる。(略)著者がいうように「どんな脳でも必ず何かを学習する」のであり、どんなひどい脳内イベントからでも少しずつ立ち直ることができるということを今から肝に銘じておこうと思った。
#これも読みたい本リストに追加、優先で。
中曽根康弘『自省録』(新潮社 1400円)がよく売れているらしいが、内容はつまらない。/ほとんどが自分の政治生活の回想だが背伸びした自慢話が多いのにうんざりする。自分がいかに大物か見せたくて、レーガン、ゴルバチョフと対等のやりとりをしたとか、田中角栄と対等にやりあってきたなどと書けば書くほど、その裏がすけて見えて(全くの格落ち)、わびしくなる。2003年の衆院選で、「比例代表終身一位」の約束を小泉から反古にされたのがよほどくやしかったらしく、そのことをくどくど書くが、引退させられて当然と思う。(略)面白いのは、序章のくやしまぎれの小泉批判ぐらいだ。「毎日夕方、官邸でテレビの質問を受け、簡単にイエス・ノーをはっきり答えてすぐ引込んでしまうあの自信と気力で50%の支持が続いています」「物事を瞬間的にとらえて結論だけ言うことにかけては天才的です。しかし、それはしょせん『瞬間タッチ断言型』の瞬間芸にすぎません」(略)読み終わって腹が立つのは、中曽根こそあのバブルの時代を作った最大の責任者であるというのに、それに対する反省がゼロであることだ。
#今の政治家に比べて中曽根はまあ評価していたのだが勘違いだったようだ。
オリバー・ストーンの新作「アレキサンダー」、アメリカではさっぱり当たってないが、ヨーロッパでは当たっている。観客の質のちがいだろう。これはハリウッド的な派手派手しい歴史活劇ではなく(そういう場面もあるが)、むしろヨーロッパ好みのオリバー・ストーン流ドキュメンタリータッチの歴史ドラマなのである。/ハリウッドの歴史劇はドラマを盛り上げるために、史実なんか無視して、フィクションをどんどん取り入れてしまうのが普通だが、この映画はほとんどが史実にもとづいている。たいていの人がこれはフィクションにちがいないと思う場面でも、実はちゃんとした資料の裏づけがある。(略)では、この映画はすべて史実かというと、そうではない。(略)残忍な側面は、映画ではあまり描かれていないし、アレクサンダーが戦いに敗北したり、あるいは味方に裏切られるなどして地獄の苦しみを味わうところなどもほとんど描かれていない。
#観たい映画のリストに追加。
1947年にアメリカで作られた超音速実験機X-1号は、実は桜花を模して作られたものだったというのだ。ロケットエンジン搭載機X-1は人類史上はじめて音速の壁を突破した名飛行機だ。/桜花は、1200キロ爆弾に最小限の操縦装置を付けた特攻専用機で、自力飛行能力は最初からなかった。戦場まで、一式陸攻の爆弾倉につり下げられていて、ターゲットの近くで放り出される(このとき時速370キロ)。3本のロケットを装着していたが、1本12秒しかもたず、航続距離はほんの少しだった。まず1本に点火して時速800~900キロまで増速し、目標艦のすぐ近くまできて、残り2本に点火し、突入時1000キロに達していたと推定される。音速は1200キロだから、ほとんど音速である。(略)終戦時残存していた数十機の桜花は米軍がすべてアメリカに持ち帰り、徹底解析していた。それをマネたのだ。
#零式は有名だが、桜花は初めて聞いた。日本の技術力の高さをアピールするためにも、もっとメジャーになっていいと思う。
三浦雅士「ヒトラーをはじめゲッペルスとかあのへんをぜんぶ祀って、『俺たちはドイツ国民なんだから、お参りする。これは俺たちの勝手だろ?』ってやった場合、隣近所の連中がどう思うかですよ。小泉首相の論理は『もう謝ったじゃないか、金も払ったじゃないか。ヒトラーだって気の毒だ。罪を憎んで人を憎まず』という論理ですよ。それを言っていいのはユダヤ人であって、ドイツ人じゃない。(略)それと同じことを小泉純一郎はしているんですよ。『これは内側の問題だから、ヒトラーを祀ろうが、東条英機を祀ろうが、勝手じゃないか』というのは盗人猛々しい。だって、隣の家の不良の息子に自分の家の娘が犯されて殺されちゃったと。不良の息子が死刑になって数年後に、隣の家でそいつの等身大の像を作って拝みはじめて、『いやこれは今後こういうことが起こらないように祈っているんだ』とか何とか言っても、これはぞっとする。(略)東条英機のことを拝みたいなら自分の部屋で拝んでほしいよ。趣味の問題だからね。ヒトラーのことを好きだっていう人もいるわけだから、それはしょうがない。でも、それを国家的な事業にしてはいけない」/私は三浦の意見に賛成である。
#当然、賛成。
加藤紘一というと、2000年の「加藤の乱」の失敗以降、(略)もう政治的には過去の人かと思っていたが、『新しき日本のかたち』(ダイヤモンド社 1600円)を読んでみたら、終わった人どころか、この人の政治的識見も、政治的意欲も今なお健在だと思った。(略)長らく政治の中枢にいた人だけに、これまでの自民党政治の分析(政官関係)など特に面白い。たとえば、日本で本当に「国のあるべき論」を考えていたのは、大蔵省主計局の幹部であって、自民党の国会議員などというものは、「『政治家』ではなく、行政(官僚)から出される法案の『法律上げ屋』というのが実態に近かった」とまでいっている。自民党政治というのは、官僚という家庭教師に指導されて、そのふりつけ通りに上手に踊る政治家が出世する政治体制だったのである。(略)YKKの内側を語る章を読むと、小泉という政治家が、およそ政策を論ずるなどということとは無縁の政治家だということがよくわかる。「あまり政治家は勉強や、議論をしてはいけない」が口癖で、「人の話を一生懸命聞いたりすると、結論を迷う。そうするとメッセージが非常に曖昧になる。それよりも自分が一番初めに感じた直感で行動を進めていくのが正しいんだ」が、小泉のモットーだった。YKKが会っても、むずかしい政策的な議論はほとんど加藤・山崎のYK間で行なわれ、小泉はコップ酒を飲みながら、「時たまワンフレーズ的にズバッと意見を言う」だけだったと言う。/そういう中身がない政治家に国民的人気が集まり、選挙で異常なほどの勝利をおさめてしまった2005年体制がこれからどう転がっていくのか。いまの日本は全方位的に難問をかかえているというのに、これほど政治的識見がない総理大臣を頭にかかえて、日本はこれからどうなるのか。どうしようもない焦燥感にかられて、この書の筆をとったというが、私も同じ焦燥感を共有している。(2005年12月)
#加藤紘一は私が最も信を置いている政治家(私は反自民ではあるが)。加藤の乱は本当に残念だった。
西成活裕『渋滞学』(新潮選書 1200円)は、科学的読物として、最近出色の面白さである。(略)話は車や人の渋滞からアリの行列の渋滞、インターネットの渋滞、マネーフローの渋滞、血流の渋滞、タンパク質合成の渋滞などに広がっていく。/領域をこえた渋滞現象を解明していく中で、臨海密度、相転移、メタ安定状態、人間を自己駆動粒子とみなす考え方、粉粒体の物理、社会性昆虫のスオーム・インテリジェンス、多体衝突、パーコレーションなどなど、普通は個別科学の中でのみ用いられているさまざまの基礎概念が利用される。それらの基礎概念は、他の領域に持ち込んでも、驚くほど切れ味のよい思考の道具として機能する。世界の見え方が変わってくることうけ合い。
#食指が動く。もちろん読みたい本リストへ。
評価:9点
ちなみに「私の読書日記」シリーズ第一弾
「ほくはこんな本を読んできた」
評価:8点
第二弾
「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」
評価:7点
最近、採点が甘いかも。
『夢をかなえるゾウ』 水野敬也 飛鳥新社 07年08月刊
自己啓発書の類だが、コメディタッチ。お導き下さる方がこてこて関西弁。かなりおもしろおかしい。が、自己啓発書だけあってかなり痛い思いをさせられる。著者は31歳という若さだが、よく調べて書かれている。
では、抜書き。#は私の感想。
今まで、僕は何度も何度も、変わろうと決心してきた。目標を決めて毎日必ず実行しようと思ったり、仕事が終わって家に帰ってきてからも勉強しようとするのだけど、でもだめだった。「やってやる!」そう思ってテンションが上がってる時はいいけれど、結局何も続かなくて、三日坊主で終わってしまって、もしかしたら「やってやる!」って思った時よりも自分に対して自信を失っていて・・・そんなパターンばっかりだった。/変わりたいと思う。/でも、いつしか「変わりたい」という思いは、「どうせ変われない」という思いとワンセットでやってくるようになっていた。
#まさしく。。
「(略)リンカーンておるやろ。昔アメリカ大統領やっとった子やなあ。あの子めっちゃ本が好きでな、いっつも本読んどったんや。で、あの子の有名な演説くらい知っとるやろ。人民の・・・いうやつ」
「はい。『人民の、人民による、人民のための政治』ですね」
「そや、それ『ゲティスバーグ演説』いうんやけど、実は似たようなセリフが、ある牧師の演説集に載っとったんや。いっつも本読んどったリンカーンくんはたまたまそれを見つけてな、そのまま使うたわけや」
「マジすか」
「マジやねん。引用やねん。そういうの多いんやで。たとえば、福沢諭吉くんの学問のススメの『天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず』いう有名な台詞あるやろ」
「はい、はい、知ってます」
「あれな、アメリカ独立宣言からの引用なんやで」
#こんな感じで関西弁。
決めたことを続けるための環境を作る
#これはいい課題だと思う。
自分が一番得意なことを人に聞く
#研修なんかではこういうことはやらされる。そうでなければわざわざ聞くのは難しいが、普段から意識して他人の発言を聞いていると拾えることはある。
「人間ちゅうのは不思議な生き物でな。自分にとってはどうでもええ人には気い遣いよるくせに、一番お世話になった人や一番自分を好きでいてくれる人、つまり、自分にとって一番大事な人を一番ぞんざいに扱うんや。たとえば・・・親や」
(略)
「あと、別に親やなくてもええ。ふだんから自分のこと助けてくれる親友や先輩。そうい人からの愛情は受け慣れてしまっとるから、なあなあになってへんか?」
#なあなあになってる。。ここでの課題は、身近にいる一番大事な人を喜ばせる。
「(略)成功したいて心から思とるやつはな、何でもやってみんねん。少しでも可能性があることやったら何でも実行してみんねん。つまりやな、『バカバカしい』とか『意味がない』とか言うてやらずじまいなやつらは、結局そこまでして成功したくないっちゅうことやねん。『やらない』という行動を通して、成功したくない自分を表現してんねん。すると宇宙はなあ、『ああ、こいつは成功したないんやな』そう考えるんや。そういう奴から真っ先に成功から見捨てられてくねん。」
#耳が痛い。
「(略)自分の取引先や、上司も部下も、ある意味ではお客さんなんやで。そういう人から頼まれた仕事や、期待されてることを、ほんの少しでも超える結果出してみい。そしたら自分の評価も上がって、次からどんどん自分を使てもらえたり、尊敬されたりするもんやで」
#これも耳が痛い。。
「もし自分が変われるとしたら、行動して、経験した時や。そん時だけやで」
(略)
「自分は今、『座っとる』だけや。この意味、分かるか?確かに自分はこうやってワシの話を聞いとる。でもな、今、自分は何かを学んで、知識を吸収して、成長しとる思てるかもしらんけど、本当はな、成長した気になっとるだけなんや。ええか?知識を頭に入れるだけでは人間は絶対に変われへん。人間が変われるのは、『立って、何かをした時だけ』や」
#これがこの本のメインテーマか。
自分に厳しい人、限界を超えて頑張る人というのはその人に特別な意志の強さがあるのだと思ってた。でも、頑張ることが楽しいと感じることができるようになれば、誰だって夢や目標に向かって努力することができる(いや、その時にはその作業を「努力」とは感じていないのかもしれない)。成功している人だけが特別じゃない。僕らは誰だって、あの人たちのように夢を追うことができるんだ。
まじめなところだけ抜書きしたが、ふまじめなところがいっぱいあって面白かった。
評価:10点
映画「ローレライ」、TVで観た。
2年前に原作を読んでいたので映画を観てみたかった。
誰がパウラを?と思っていたら、今話題の香椎由宇。キレイやなあ。
それを2時間ちょっとは短すぎる。
原作の方がはるかにおもしろい。まあエンターテインメントと割り切って、
(原作の)評価:9点
ちなみに2年前の読書ログのメモに、「エンターテインメントとしては面白かったがちょっと長すぎ」と書いてた。でも2時間はあまりに短すぎ。
これも評価:9点。
同じく読書ログのメモより、「ディテールはリアルだがストーリーにはリアリティがない」「ローレライよりはおもしろかった」。これも映画化されているがまだ観ていない。TVでやらんかなあ。
話をローレライに戻すが、役所広司はすごい。
『父親の品格』 川北義則 ダイヤモンド社 07年09月刊
この著者、以前「40歳から伸びる人、40歳で止まる人」を読んで10点付けたこともあって、これも期待を持って読んだ。が、期待するのはあまりよくない。期待は外れるものだから。
とはいえ、学べるところ共感するところはあるわけで、以下抜書き。#は感想。
親子がいくら仲良しでも子供と友だちではない証拠に、男の子の場合、性に目覚めるようなある程度の年齢になったとき、父親とワイ談ができるか、である。機会があれば、父親が性の知識を教えることはあってもいいだろう。だが、それとワイ談は違う。そんな話は年齢も同じくらいの友だちとするものだ。
#これは気を付けるべきところ。親子でワイ談なんてするもんじゃないということだろう。そう思う。
子供は理屈で叱ってはダメだ。中学生くらいになると、理屈で返してくる。だが、「ダメなものはダメだ」と叱ることで、父親の存在感は示せるのだ。
#これは使わせてもらおう。
ケンカもむちゃくちゃなのは困る。だから、たとえば「武器を持たずに素手でやれ」「必ず一対一」「相手が『参った』といったらやめる」といった正しいケンいカの仕方を教え、その範囲でやらせればいい。それを教えるのが父親の役目でもある。/いじめによる自殺をする子は、みんないい子たちだと思う。「暴力はいけません」という教えをちゃんと守っているからだ。だが、この教えくらい理不尽なものはない。一刻も早くこの呪縛を解いてやらなければ、よい子たちがあまりにもかわいそうだ。
#ちょっと過激かもしれないが、ケンカは大事だと思う。
反抗期を経験しないと、神経症になってしまう子供もいるらしい。(略)要するに精神的に非常に不安定な状態になるのだ。なぜ、そんな症状が起きるかというと、ストレスが原因だという。/本来なら母親や父親に反抗したいのに、きっかけがつかめない。それで親に向かうはずの感情が自分に向かってしまうらしい。親子関係がうまくいっている家庭にそういう子が増えているのだ。
#私自身はケンカもしたし反抗期もあったから、自分の子供がケンカしたり反抗期があったりすると安心するだろうが、なかったとしたら心配だ。ケンカをけしかけるのもおかしいし。
子供との会話量を増やして、大人の言葉をポンポン使っていれば、自然に子供の国語力は高まっていく。教科の国語で習うのと違って実践的だから、長く記憶に残って教養の土台になる。
#共感。普通にしゃべるように心がけている。
「中学三年のとき、他校にケンカしに行って、途中で見つかり、学校に呼び出されました。これは怒られると覚悟したんですが、父親が『素手で行ったんか』というので『はい』『そうか。ケンカは一人で素手でやれ』で終わりました。そのとき、父親は一本筋が通っているんだと感じましたね」/この言葉は大相撲の関脇で鳴らした寺尾関の発言だ。
#ここまではよう言わんが、一本筋は通したい。
カリスマディーラーの元モルガン銀行東京支店長の藤巻健史氏は、子供の金銭教育について「私は息子たちに、慎重に守りの姿勢で・・・と教えてきた」と語っているが、それがいちばん正しいやり方だと思う。/藤巻氏は具体的に四つのことを教えたという。それは次のようなことだ。
①お金を借りたら必ず返せ
②お金を貸すときは返ってこないものと思え
③どんなに親しくても、債務の保証だけはするな
④実印と三文判とは法的効力に違いはないから印鑑を押すときはよく考えろ
#子供への教えであるが、大人もできてないと思う。
まあ、ありきたりのことがたくさん書かれていた。
どこをピックアップするかは人によってかなり違うと思う。
評価:7点

『チーム・バチスタの栄光(上・下)』 海堂 尊 宝島社文庫 11月新刊
単行本は06年2月刊。
映画化08年2月公開ということで、セトヤマさんに借りようかなと思ってたところで文庫化、なので文庫で読んだ。単行本は上下に分かれてないし、そんなにページ数が多いわけでもないのに、何ゆえ文庫は2冊?そんなに儲けたいか、宝島。せこいなあ。
帯に書かれているのは「現役医師が描くベストセラー メディカル・エンターテインメント」。
まさしくエンターテインメントという感じでおもしろかった。下巻に入るやいなや変人白鳥が登場するのだが、その強烈なキャラクターになじめずちょっと引いてしまったが、最後は一気に読めた。
この映画化、主人公田口を女性に変えるらしい。竹内結子やからまあええか。
評価:9点
『不都合な真実』 アル・ゴア
ランダムハウス講談社 07年01月刊 2800円!
2007年ノーベル平和賞受賞。
地球温暖化についての大人向け絵本、という感じ。地球温暖化のためにこんなことになっている、という現状を豊富な写真やデータで警告している。グラフも少しでもわかりやすくなるようにとかなりデフォルメされている。この危機の解決のためにどうすればいいかということは巻末に少し載っている。基本的には警告の書。
少しばかり抜書きを。#は私のコメント。
わずか40年前、チャド湖(アフリカ)はエリー湖と同じくらいの大きな湖だった。しかし、雨が減る一方で人間が使う水の量は増えているため、どんどん小さくなり、今ではもとの大きさの12分の1しかない。(略)気候変動について理解すればするほど、私たちこそが真の犯人かもしれないと思えてくる。米国は世界の温室効果ガスの約4分の1を排出している。一方、アフリカ大陸全体で排出しているのは、世界全体のわずか5%ほどだ。(略)今こそ、この悪化しつつある惨事に及ぼしている自分たちの影響を、しっかりと誠実に見据えるべきだ。私たちは、アフリカの苦しみを作り出すことに手を貸してしまったのだ。私たちは、倫理上の義務からいっても、それを正そうとしなくてはならない。
現在では、先進国132ヶ国が京都議定書を批准している。先進国で京都議定書を批准していない国は、2つしかない。そのうちの1つが米国である。もう1つはオーストラリアだ。
#アル・ゴアによるアメリカ非難は随所に見られる。
北極では、地球上のいかなる場所よりも急速に気温が上昇している。
市場はすでに、風力発電は将来の電力源として最も成熟し、コスト効果の高い技術の1つであると判断している。米国中の電力・ガス会社がウィンドファームに投資をしている。2005年、GEのタービン事業は2倍になった。この分野の世界最大手であるベスタス社のおかげで、いまや風力発電機はデンマーク最大の輸出品である。デンマーク沿岸では、冬の風だけで地元のすべてのエネルギー需要を満たせる夜もある。2008年までに、デンマークの電力の4分の1は、空から引き出されることになる。
#日本では?
1984年、南極上空のオゾン層に、あっと驚くような穴が発見された。(略)1987年には、27ヶ国がモントリオール議定書に調印した。CFC(フロンガス)を規制しようという、初めての地球規模の環境条約だ。そして、科学の進歩に伴って、さらに多くの国が調印した。合計183ヶ国が調印している。そして、会合のたびに、議定書の言葉と要件を厳しくしていった。国連のコフィ・アナン事務総長は、モントリオール議定書を「おそらく今日まで最も成功した国際条約」と呼んでいる。(略)オゾン層の問題で私たちが経験したことは、政治的・経済的な利害の衝突があったとしても、世界の人々は実際に自らの過ちを修復するために協力できる、ということだ。今日、二酸化炭素の危機が私たちを1つにする時、CFCの戦いから得た教訓を思い出さなくてはならない。
評価:9点
『安室奈美恵 アナザー・ワールド』
富坂剛 アールズ出版 07年12月刊
いわゆるタレント本。
アムロちゃん本人が書いているわけでも、コメント等があるわけでもない。最近10年くらいのいろんな雑誌の記事やインタビュー等をまとめたような本。
「ライブフォト・エピソード満載」と銘打っているように確かにライブフォトが挿入されているが、今年のライブの写真に関してはおそらく事務所と無関係と思われる。ヤフーオークションで見たことのある写真ばかりだったから。ヤフーオークションに出されるライブの写真はおそらく盗み撮り。昨年私がライブ行ったときの記事に使った画像もすべてヤフーオークションから取ってきたもの。
こんないい加減な本、出版されていいのか?
生い立ちからの半生が書かれており、この手の本を初めて読んだので、まあファンとしては得るところがあったけど。
評価:7点
『ウェブ時代をゆく -いかに働き、いかに学ぶか』
梅田望夫 ちくま新書 07年11月刊
最近売れている新書の理系本、ウェブ進化論の続編。ちなみにウェブ進化論は9点付けた。
以下、抜書き。#は感想。
あとがきより
ウェブ時代の意味を描いた「ウェブ進化論」と対になった「その時代に生まれる新しい生き方の可能性」をテーマとした本
著作権法をはじめとする「知に関する現在のルール」と、グーグルが考える「邪悪でないこと」(例:ユーチューブ、グーグル・ブックサーチ)の間にも大きな齟齬が出ている。「世界中の情報を整理し尽くし、広く行き渡らせる」ことと、個人のプライバシーを守ることの両立は至難の業である。グーグルはそういう諸々の「現代社会との妥協点」を求めながら、自らの「存在理由」の追求を続ける覚悟でいる。その一環で、著作権者からの訴訟を含むすべての訴訟を受けて立つべく社内弁護士200人体制を構築している。
グーグルを訪ねて驚くのが、社内に無料の食べ物、飲み物が溢れていることだ。かなり美味しい料理を出すカフェ、レストランもすべて無料で、朝昼晩三食、ただで会社で食事ができる。ジム設備や洗濯機も完備。食事、洗濯、スポーツだけでなく、ドライクリーニング・サービス、洗車、オイル交換、ヘアカット、さらには内科医検診など、ほぼすべて会社側が無料でサービスを用意している。食事を含め、時間を費やさなければならない生活の些事に関わる時間のロスをいっさい排除して、社員が仕事に没頭できる環境が作られている。
#グーグル、気合入ってるし、いい会社だ。
私は20年近く、経営コンサルタントとして顧客企業の仕事仲間や友人、各界の先輩たちの仕事ぶりを眺めながら、大組織に働く人々を観察し続けてきた。その研究から、大組織で成功できる要素は、私なりにかなり明確にわかってきたつもりである。
(1)「配属」「転勤」「配置転換」のような「自分の生活や時間の使い方を他者によって規定されること」を、「未知との遭遇」として心から楽しめる。
(2)与えられた問題・課題を解決することに情熱を傾けることができる。その課題が難しければ難しいほど面白いと思える。
(3)Whatへの「好き嫌い」やこだわりがあまり細かくなくおおらかで、一緒に働く人への「好き嫌い」があまりない。仮にあっても、苦手(つまり「嫌い」)を克服することを好む。
(4)「これが今から始まる新しいゲームだ」とルールを与えられたとき、そのルールの意味をすぐに習得してその世界で勝つことに邁進することに興味を覚える。
(5)多くの人と力を合わせることで、個人一人ではできない大きなことができることに充実感を覚えるチームプレイヤーである。
(6)「巨大」なものが粛々と動くことへの関与・貢献に達成感と充実感を感じ、長時間長期の「組織へのコミットメント」をいとわず、それを支える持久的体力にすぐれる。
(7)組織への忠誠心や仕事における使命感のほうが、個の志向性よりも価値が高いと考える。
#う~ん、、大組織で働いてるけど、成功できそうにない。。
人生の幸福とは「好きを貫いて生涯を送ること」だと私は思う。人からどう見えるとか、他人と比較してどうこうという相対的基準に左右されるのではなく、自分を信じ、好きを貫く人生を送ること。本当の幸福とは、そういう心の在りようにこそあると思う。
#それで飯が食えれば言うことないんやけど。。
ノーベル賞学者、小柴昌俊はインタビューに答えてこう語っている。「大事なのは、「自分はこれをやりたい」というものを見つけること。それが人生でいちばん大切なことです。もちろん、簡単ではない。自分が何に向いているのか、何が好きなのか、見つけるのはやさしくない。それでも何とか見つけ出さなければいけない。良くないのは、見つける努力をしないでフワフワ生きていること。それが一番困る」
#うっ、、耳が痛い。。
たった一人の人物をロールモデル(お手本)として選び盲信するのではなく、「ある人の生き方のある部分」「ある仕事に流れるこんな時間」「誰かの時間の使い方」「誰かの生活の場面」など、人生のありとあらゆる局面に関するたくさんの情報から、自分と波長の合うロールモデルを丁寧に収集する
アメリカでは小学校から、誰かが書いた作文にクラスメートがコメントをつけ、先生がコメントの仕方をたとえば「単なる批判はよくないから、建設的な言い方に直せ」などと指導する。相手のよいところを見つけ、見つけたら褒め、批判するにしても建設的に行なうことを、小さい頃から子供たちは体系的に叩き込まれる。(略)そういう能力を磨くトレーニングを日本ではあまりしないのだろうか。「ある対象の悪いところを探す能力」を持った大人が日本社会では幅を利かせすぎていて、知らず知らずのうちにその影響を受けた若い人たちの思考回路がネガティブになっているのだろうか。/問題は、そういう思考を続けていると、自然に批判対象を自分に向け「自分の悪いところ」ばかりを探す能力が長けていき、ひいては自己評価が低くなり、何事につけ新しいことに踏み出す第一歩の勇気が出てこなくなることである。
環境を変える前に「時間の使い方の優先順位」を変えること。時間の使い方を意識的に組み替えることは「違う自分」を構築することと等しい。/「時間の使い方の優先順位」を変えるにはまず「やめることを先に決める」ことである。それも自分にとってかなり重要な何かを「やめること」が大切だ。お正月の「今年の抱負」が大抵は実現できないのは「やめること」を決めずに、ただでも忙しい日常に「やること」を足そうとするからである。時間は有限なのだ。精神論だけで新しいことはできない。
“日本株式会社”の「大きな組織」に勤める若い人たちはどうしたらいいだろう。相談を受けると私は、「30歳から45歳」の15年をイメージし、その間ずっとその会社に勤め「大組織のプロ」を目指す覚悟と資質(大組織適応性)があるのかと、まずは問う。/大組織は巨大な社会だ。未熟な20代のときは何をやっていても学び吸収できることが多く、学習曲線も急だ。しかしある程度経験を積み、そろそろ学ぶばかりでなく思い切り自分で何かやってみたいと思っても大きな仕事は任されない。そんな時期が、大組織での「30歳から45歳」の15年である。上がつかえているとか、大組織で一人前と認められるためには学ぶことが多すぎるとか、いろいろ理由があるが、キャリアにおける若干の停滞感が漂ってくる時期がその15年なのである。/そのときに「大組織のプロ」を目指す覚悟と資質があれば、迷いなく上手にその15年を過ごし、大組織でしか学べないことをしっかりと時間をかけて身につけることができる。(略)「30歳から45歳」といえば、独身時代と違って家庭を持っていることも多く、キャリアの停滞感とは逆に言えば「与えられた仕事をこなす」くらいならそれほど背伸びしなくてもできるという意味でもあり、ただなんとなく大組織のダイナミクスの中で流されていると、あっという間に時間が過ぎ、コモディティ化するリスクが高い。
#ううう。。
抜書きしたのはウェブとは関係なさそうな一般論的なことばかりになった。
評価:9点
『進化しすぎた脳-中高生と語る[大脳生理学]の最前線』
池谷裕二 ブルーバックス 07年1月刊
新書で理系本で売れているのは今なら「生物と無生物のあいだ」、ちょっと前ならこれ。売れているのは「生物と・・・」のほう。でもおもしろいのはこっちだと思う。おもしろいかどうかは主観によるけど。
では、抜書き。#は感想。
抜書きが話し言葉なのは講義を元に構成されているため。
「高校生レベルの知識層に説明して伝えることができなければ、その人は科学を理解しているとは言えない」とは物理学者ファインマンの言葉です。
#この本はこの精神でもって書かれたらしい。
レバーを押したら水が出ることを知っているネズミに手術を施して、脳に電極を埋める。そして、ネズミが「レバーを押す」という行動中の脳の反応を検出して、それがあったらレバーとは関係なしに水が出るようにしておくんだ。レバーもまだ置いてあるんだけど、もうレバーは関係ない。レバーを押しても水は出ない。/ネズミは最初、レバーを押して水を飲んでいたけど、レバーを押さなくても、レバーを押したふり、と言うか、押そうと想像しただけで水が出る。そのことにネズミが気づくと、このネズミはレバーを押さずに念力だけで水が飲めるようになった。(略)1999年の論文に出ている例。
#抜書きはしないが、サルでしかもロボットアームで同じような実験ができたらしい。サルが考えるだけでロボットアームを動かしたらしい。ヒトでの応用も近いか?
生まれながらにして指がつながったままの人、たとえば人差し指と中指がつながったまま生まれる人が、たまにいる。指が4本。そういう人の脳を調べてみると、5本目に対応する場所がないんだ。(略)つまり、人間の体には指が5本備わっていることを脳があらかじめ知っているわけじゃなくて、生まれてみて指が5本あったから5本に対応する脳地図ができたってことだ。ところが、生まれたときに4本しかなかったら、脳には4本に対応する神経しか形成されない。(略)指が4本の人が生まれた後に分離手術して、その結果、5本の指が自由になった。そしたら脳はどうなると思う?(略)分離されてもその2本の指は、同じ働きをする。そう、多くの人がそう思ったんだ。でも、ちゃんと5本の指が別々に使えるようになった。そして脳を調べてみたら、わずか1週間後にはもう5本目の指に対応する場所ができてたんだ。
アルツハイマー病はβアミロイドという毒が脳にたまっちゃうから発症する
#βアミロイドに関する記述は30頁にも及んでその発見からの経緯を含めておもしろかった。
たぶん、人間って動物は長生きしすぎなんだ。本当の寿命は50歳とか、そんなもんじゃないかな。いまは医療の技術が進歩して長生きするようになってきて、本来だったら発症しなくてすんだ病気になってる。βアミロイドが生涯かけて少しずつたまったとしても、昔の寿命だったら天寿をまっとうできるぐらいの微量だった。だから、アルツハイマー病は古代人の間ではあまり問題視されなかったはずだ。でも、現代の人間は長生きしちゃうので、こんなしわ寄せ出てきた。現代社会とはそういう歪んだバランスの上に立っている状態じゃないかと思う。/過去の生物の進化の過程を眺めてみると、環境に適応できなければ子孫を残さない、というのが自然淘汰の原理として厳然として存在していた。でも、現代社会では、本来なら遺伝子を次世代に引きつぐ機会が与えられなかったような人でも子孫を残すことができる。アルツハイマー病だけじゃない。重度の障害を持つ人にも言えるだろう。かつてなら病気や障害のせいで子どもを持つことなどかなわなかった人たちが、最高の医療技術で子孫を残すことができる。/あ、僕はそういうのを批判しようとしているわけではないよ。カン違いしないでね。保護や介護は倫理的な観点から真っ先に取り組むべき最重要課題だ。障害者たちの人権はいま以上にもっともっと保護されるべきだと僕は思うし。でもそれとは別に、我々はきちんと自分たちのやっていることの意味を認識しておかなければならない。いま人間のしていることは自然淘汰の原理に反している。いわば<逆進化>だよ。現代の医療技術がなければ排除されてしまっていた遺伝子を人間は保存している。この意味では人間はもはや進化を止めたと言っていい。
大脳皮質に限って見ると、たとえば深い睡眠(ノンレム睡眠)のときにこそ、最も活発にニューロンを使っているんだ。ノンレム睡眠のときのいわゆる「遅い揺らぎ」が生じているときって、ほぼ全部のニューロンが一斉に活動しているんだよ。逆に起きているときは、6%~37%のニューロンしか活動していない。
被験者に単語が掲載されたシートを一枚一枚見せる。そして、数十分後に、もう1回そのシートを見せてどれだけ覚えているかを確認する。(略)被験者が単語を覚えているときの脳波を計測して、驚くべき事実が見つかったんだ。なんと、正解するか不正解するかは、その問題の難易度でなくて、被験者の脳のゆらぎが決めていたんだ。その単語を暗記する直前の「脳のゆらぎ」で決まっている。/測定された被験者の脳波を見るとわかるんだけど、単語を提示するよりも、なんと約2秒も前の時点ですでに、テストで正解になる場合と、不正解になる場合とでは、脳の活動が違う。つまり、問題の内容にかかわらず、2秒前の時点で正解か不正解かが、実験者にはわかる。
網膜から上がってくる情報が視床にとって20%だけ、そして、視床から上がってくる情報は大脳皮質にとって15%だけ。だとしたら最終的に、大脳皮質の第一次視覚野が網膜から受け取っている情報は、掛け算をすればよいわけだから、20%×15%で、なんと全体の3%しか、外部の世界の情報が入ってこないことになる。残りの97%は脳の内部情報なんだよね。
ヒトの脳は、S/N比が1以下の状況でも大丈夫なことがある。つまり、ノイズのほうが大きくても、信号を検知できる。たとえば、地下鉄に乗りながら会話している場面を考えてごらん。地下鉄の騒音(ノイズ)って人間の声よりはるかに大きいよね。でも、ちゃんと会話できるでしょ。そんな芸当ができる脳のすごさって考えたことない?驚くべき能力だよ。これもやっぱりトップダウン処理なんだよね。相手がきっとこんなことしゃべっているんだろうと予測して、情報をどんどん埋め込むわけ。だから、声が十分に聞こえなくても、周りの状況とか、前後の文脈とか、聞こえた音の断片とか、口の形とかで、会話が成立するんだ。/そんな感じで、脳の中にある程度の予備知識的な情報がないと知能は生まれない。経験がないと予測なんてできやしない。記憶や予測は知性の必要条件だね。
まだまだドッグイヤーしてたけど、抜書きはこの程度で。
評価:9点
『たんば色の覚書 私たちの日常』 辺見庸
毎日新聞社 07年10月刊
書き下ろし。辺見庸は死刑反対の立場をとるが、この著作はそれに関する記述の比重が高い。死刑といえば、山口県光市の件がすぐに思い出されるが、それについても言及している。
以下、いつものように抜書き、#は私の感想。
・・・山口県光市の母子殺人事件被告人を極刑にせよと皆でさけび唱和する隣人たちの正義と善意と平安に私は激しい悪心を禁じることができない。あの能弁に戦く。被告人と弁護団を「公共の敵」と呼ばわる群の秩序と平安を私は憎み、おびえる。極刑にせよという声が「人間の生活」の条理を反映しているというのなら、私は「人間の生活」を欲しない。が、私がもっとも憎むのは、「やつを殺せ」という蛮声に眉をひそめるふうをしつつ処刑をいたしかたのないことと内心受け容れて、日ごとの思念から不祥の影をこそげ、おのれはうるわしく生きようという「知」のありようではないか。・・・光市の母子殺人事件被告人と弁護団を「公共の敵」とする全土的ヒスティリアの発生源はなにか。疑わない日常。にかわのように付着するのみで考えない日常。それらの善意はじつは無意識の殺意をはらんでいる。
#死刑が是か非か、という問題は結論の出ない微妙な問題だと思う。
処刑には聴診器をもった医官二人も立ちあうのだと聞いた。一人の医官は、縊られて垂線に吊るされたままわずかに痙攣しつづける死刑囚の腕をとり脈をはかる。もう一人は、宙吊りの人物の胸をはだけて、まるで患者にするように聴診器をあて、片手ににぎったストップウォッチに見入る。陰画のなかの聴診器とストップウォッチの知られざる使用法。ややあって一人が告げる。「ゼツミャク(絶脈)!」。もう一人が厳かに宣告する。「××時××分××秒、心臓停止!」。つづいて看守部長が敬礼していうのだそうだ。「本日の執行、無事完了!」「所要時間は××分××秒・・・」。ここに極限のニヒリズムがありはしないか。国家のニヒリズムに勝てるニヒリズムはない。そうではないか。
・・・ルーティンのとおりに死刑を執行しようとする国家意思(幻想)はそれを正当化できるなんらの哲学的根拠ももちえず、死刑制度存続にとりつかれた者たちの日常がはらむ「正気に酷似した狂気」のみを証している。
#辺見庸のことを知らない人のために。辺見氏は、死刑は国家による殺人である、国家が殺人を犯してもいいのか、いいはずがない、という考え方を持っている。
以下、死刑以外についての抜書き。
これまではこの先になにかが待っているのではなかろうかと心の端で期待したからこそ、悪心に堪えてきたのではなかったか。まったき破局とかまったき崩壊とかを、正直、心待ちにしてきたのではなかったのか。そんなことはないのだ。破局も崩壊も再生も復活も新生も待ってはいない。破局も崩壊も再生も復活も新生も、じつは、すでにして終わっているのだ。この先にはなにも待ってはいない。この道理がわかるまでに、半世紀以上もかかってしまった。なにも待ってはいないということわりを知るために生まれ、六十年以上ひたぶるに待ちつくし、結果、なにも待ってはいないという結論をもって死ぬる。徒労のようでいて、これはかならずしも徒労ではない。
#わかる。
以下、ですます調なのは2007年7月28日に行われた講演会の草稿を元にしているため。
私がよく行った店のジュークボックスには「Have you ever seen the rain ?」が入っていて、この曲をかけてみた。すると店にいたアメリカ人の客から訊かれたわけです。「おまえ、この歌知っているのか」と。私が「これはバンコクのディスコでかかっていた」と答えると、「へえ」といいます。そしてそのアメリカ人は「shinin'down like waterというのは、どういう意味か知っているか」と訊いてきた。キラキラ光りながら雨のように降り注ぐ。しかもその雨は晴れた日に降る雨なんだ。それは何のことか、と。「いや、おれは知らない」と答えると「これはナパーム弾のことなんだ」という。ご存知と思いますが、ナパーム弾というのはアメリカ軍が開発した兵器です。主燃料材のナフサにナパーム剤と呼ばれる増粘剤を入れた油脂焼夷弾です。これをアメリカ軍はベトナム戦争でやたらと使いました。900度から1300度くらいの極めて高温で燃焼して、広い範囲を焼きつくし破壊する。増粘剤が入っているから人間の体にも建造物にもつよく付着してしまい、殺傷効果は著しく高くなる。「雨を見たかい?」で歌われているのは、じつは残酷な風景だったわけです。
アメリカは侵略戦争をしかけ、そしてそれに対して異を唱える。途方もない残虐な行為を繰り返し、それに対して批判的な表現を生みだしてゆく。すべてアメリカなのです。戦争をしかけるのもアメリカ。反戦もアメリカ。戦争体験の複雑な心情を表現するのもアメリカ。私たちはその残り滓のようなものをありがたがっている。これはいまでもいえることだと思います。もちろんアメリカの反戦運動や戦争にかかわる表現には深く大事なものがたくさんあると思いますけれども、私たちは自前の反戦運動を創りあげることはできず、いつでもアメリカに依存してしまう。これは皮肉ですが、自衛隊も米国式、市民運動も米国式、反戦歌も米国製・・・が事実です。/・・・次はアメリカに赴任しろということでありましたが、私はそれを断って、ハノイに行きたいと会社にいいました。そのときの上司は、まるで私を狂った猿かなにかを見るような眼で見ました。やはりマスコミにとってハノイというのは取るに足らないところというのが本音なのですね。大事なのはワシントンであり、ロンドンであり、東京なのでしょう。でも私はそうは思わない。本当に大事なところは、まだ2歳か3歳の赤ちゃんの背中にナパーム弾が落とされるところであり、子どもが飢えているようなところだと思うのです。そういう場所こそが世界の中心であるべきなのです。世界の中心と私たちをつなげるものは想像力しかありません。必ずしも現地には行けなくても、私たちには想像力というものがある。しかし私たちはいま、他者の痛みにまで届く想像力の射程をもちえているでしょうか。
「雨を見たかい?」の背後にはベトナム戦争があり、それはアフガンやイラクの悲惨きわまりない現実にもつながっている。それは私たちの日常とは関係ないことなのでしょうか。私はまったくそうは思わないのです。/「雨を見たかい?」という曲は日本のテレビのCMで使われました。私はあまりテレビを見ないので知りませんでしたが、日本車のコマーシャルで使われたそうです。ベトナム、アフガン、イラクでの殺戮。死者。回り回って日本のCM。ここには言葉を失うようなこの時代の無限循環構造がある。それは、残虐な死の記憶を背負った曲でさえも、大企業の資本というものは平気で呑みこむということです。私たちの日常とはなんでしょうか。現代史の生々しい記憶は、CMのなかの美しいメロディやカッコいい車の姿によってすべて隠されてしまっている。この曲が本来秘めている驚くような裂け目に私たちが気づくことはまずない。もし気づいたとしても、それを深く仔細に見つめようとはしない。これが私たちのうるわしい日常です。
第一次湾岸戦争、第二次湾岸戦争、イラク戦争と街は破壊しつくされました。米英軍は殺戮のかぎりをつくしました。いまなお日々何十人単位で人が殺され、自爆テロがある。このでたらめな戦争でいまもたくさんの罪もない人たちが死んでいる。・・・その戦争を、世界中で唯一日本だけが正しい戦争といい張る。私は欧州の常識を理想化するつもりなどごうもありませんが、欧州でも、イラクに対する侵略戦争を正当化する人間などまったくの少数派です。イラクの死者たちと私たちの日常とは、遠く離れていると思っているけれども、じつはいちばん近いのです。この戦争を手放しでもっとも支持し、いまも支持しつづけているのはこの国の政治指導者なのですから。しかし、イラクで殺されていく人びとの姿が私たちの眼には視えない。視なくてすんでしまう。視界からしめだしてしまう。想像からも排除する。皆でそうするのです。これが私たちの日常です。これが私たちの日常の文化なのです。
抜書きしまくった。自分でふと思ったけど写経みたい?
評価:8点
『走ることいついて語るときに僕の語ること』 村上春樹
文芸春秋 07年10月刊
書き下ろし。
ブログを書き始めてから初めての村上春樹。
村上春樹は好きな作家の一人であり、新刊が出るとハードカバーでも買ってしまう。
今作はフィクションではなく、タイトルが示すとおり走ることについて書かれたもの。マラソンランナーであることは知っていたが、毎日走っていることやトライアスロンや100kmマラソンもこなす人だとは知らなかった(読んだことがあるかもしれないが忘れていた)。
以下、いつものように抜粋。#は私のコメント。
Pain is inevitable. Suffering is optional. ・・・正確なニュアンスは日本語に訳しにくいのだが、あえてごく簡単に訳せば、「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」ということになる。たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う。
#私がトレーニングとして走っていた頃も、「きつい」と思ってからどれだけ頑張れるか、というメンタルトレーニングとしての位置付けだった。今はトレーニングというレベルではない。
アーネスト・ヘミングウェイもたしか似たようなことを書いていた。継続すること-リズムを断ち切らないこと。長期的な作業にとってはそれが重要だ。いったんリズムが設定されてしまえば、あとはなんとでもなる。しかし弾み車が一定の速度で確実に回り始めるまでは、継続についてどんなに気をつかっても気をつかいすぎることはない。
誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。いちばん底の部分で認識する。そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。黙って呑み込めるものは、そっくりそのまま自分の中に呑み込み、それを(できるだけ姿かたちを大きく変えて)小説という容物の中に、物語の一部として放出するようにつとめてきた。
#いくらか共感できる。そう考えて生きてきたわけではないけれど。イヤなことがあったときに走ると、気持ちは薄まる。
もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら、このように刻んでもらいたいと思う。
少なくとも最後まで歩かなかった
#私は過去5回フルマラソンを走ったが、そのうち2回も最後の最後に歩いてしまった。歩いてでもゴールにはたどり着いたので、私の場合は、少なくとも最後まであきらめなかった、と刻んでもらおう。
80年代のことだが、東京で毎朝ジョギングをしているときに、一人の素敵な若い女性とよくすれ違った。何年にもわたってすれ違っていたから、そのうちに自然に顔見知りになり、会うたびにお互いにっこりと挨拶をしていたのだが、結局話をすることもなかったし(内気なので)、相手の名前ももちろん知らない。でも毎朝のように彼女と顔を合わせるのは、そのころの僕のささやかな喜びのひとつだった。少しくらいそういう喜びがなかったら、なかなか毎朝は走れない。
#いいなあ。。
ランナーにはおすすめ。
共感できることうけあい。
評価:8点
『私が彼を殺した』 東野圭吾 講談社文庫
ヒローカが、犯人がわからないんすよぉ、読んで犯人教えてください、と言ってて、何をバカなことを、、と言いつつ読んでみたら、、犯人わからんやんか。。
とてもおもしろく読み進めたが、最後に犯人わからんままなのはいただけない。解説も袋綴じになってて、それをチョキチョキしてみたらわかるんやろうなあ、と思ったがやっぱりわからん。ヒントが書いてあるだけ。解説に書いてあるヒントを頼りに読み返したらわかるんやろうけど、めんどくせぇ。
ネットでちょっと検索してみたらわかった。
どうなん?こんな趣向。
ということで、ヒローカ、ちょっとググってみ。
評価:6点
『探偵ガリレオ』 東野圭吾 文春文庫
10月からの月9ドラマの原作。主演は福山。
視聴率は取れるかもしれないが、これは私の好みではなかった。主人公が同じの1話完結の推理小説が5編。これの続編の「予知夢」と併せてほぼ原作どおりにドラマ化するんだろう。推理小説の短編はどうしても薄くなる。逆に司馬遼太郎なんか短編だとぎっちり詰まって濃くなるんだけどなあ。
評価:6点
「生物と無生物のあいだ」が個人的にはいまいちだったが、コメントをくれたヤマノにもお薦めした「精神と物資」をご紹介。過去に書いた文章もそのまま添えて(文体等若干手を入れた)。98年1月に京ハン本の会MLへ投稿した文章。
『精神と物質 -分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか-』
立花隆/利根川進 文春文庫
○ 総合・・・・・・・・・・・・・・・10点
○ 感動度・・・・・・・・・・・・・・6点
○ 笑える度・・・・・・・・・・・・・1点
○ 物語度・・・・・・・・・・・・・・0点
○ 自分の趣味に合う度・・・10点
○ 他の人へのおすすめ度・・8点
いやー、おもしろかった!先日、立花隆が第一回司馬遼太郎賞を受賞したということではじめて立花隆を読んでみた。この本は利根川博士(言わずと知れたノーベル賞受賞者)への延べ20時間におよぶインタビューをまとめたもの。
タイトルをみると、精神世界を物質論で説明できるのか?生命科学というものは分子生物学(DNAに代表される分野)でつきつめることができるのか?といったことが内容かと思わせるが、そのようなことは最後の最後に両者が対決するようなかっこうで語られているだけで(しかしそこが一番おもしろかった)、それまでの大半は利根川博士が分子生物学に興味を持ってからノーベル賞を受賞しさらにその後どのような研究を行っているのかといったことが話されている。一応、私もこれと似たような分野の出身なので興味深く読み進めることができた。遺伝子やらDNAやらに興味のある方は読まれたら勉強になると思う。ひじょうにわかり易かった。門外漢の人がどれだけ理解できるのだろうか?とも思うが。随所に「サイエンティストとは・・」という記述もありその辺もおもしろかった。
利根川博士が分子生物学に興味を持ったきっかけはオペロン説というものである、という記述を読んで、ほ、ほー、と昔を懐かしく思った。私もこのオペロン説には興味を持った。学生時代、研究室に配属される前の頃、生物学の課題としてオペロン説についてのレポート提出というのがあった。私は当時、一般的な学生として、いかに単位の数をそろえるかということに専念しており、他人のコピー、コピーの連続で成績は当然のように二の次だった。しかし、このオペロン説というものはとてもおもしろくて、なんと自分で調べてレポートを作成し、おまけに「5」という私にとっては貴重な成績をとった。つまり、遺伝子の仕組みなんかに興味を持ったきっかけは利根川博士と同じだった。「なるほど、同じような感性なんだなー。あのときそのまま研究の道に進んでいれば、俺もノーベル賞だったのか~」なんて白日夢に耽るのも読書の楽しみの一つだと思う。
『生物と無生物のあいだ』 福岡伸一
講談社現代新書 07年5月刊
ベストセラーになっている。理由がわからない。分子生物学についてわかりやすく書いてるからか?生物系にあまり接する機会のない人がそのおもしろさの一端を垣間見て推しているのか?私は生物系出身なので、特に新しい感動というものはなく、興味がないことはないのでおもしろくないわけではないが、えらく評判がいいので期待してしまったからか、期待外れの感あり。
以下は知らなかったことなので個人的な抜書きメモ。
トリビアの泉、へえ~。
○野口英世について
彼の業績で今日意味のあるものはほとんどない。・・・いまだにステレオタイプな偉人伝説が半ば神話化されている。これがとうとう大手を振って、お札の肖像画にまで祭り上げられるというのは考えてみればとても奇妙なことである。
○ウィルスを、混じり物がない純粋な状態にまで精製し、特殊な条件で濃縮すると、「結晶化」することができる。
○博士号とかけて足の裏についた米粒と解く
そのこころはとらないとけったくそ悪いが、とっても喰えない
#大学ではそうかもしれないが、会社に入ってからとると価値がある気がする。少なくともうちの会社では仕事をしながら博士号を取得すると評価がいいようだ。反面、学部しか出ていないような者は研究職ではなかなかつらい。私がそう、けっこういっぱいいっぱい。。
○パスツールの言葉
Chance favors the prepared minds. チャンスは、準備された心に降り立つ。
#DNAの二重らせん構造発見のエピソードのところで紹介されていた。二十世紀最大の発見、二重らせんの話はいろいろな書物で書かれているが何度読んでもおもしろい。
○√n法則
平均から離れて、例外的なふるまいをする粒子の頻度は、平方根の法則(√n法則)と呼ばれるものにしたがう。つまり、100個の粒子があれば、そのうちおよそ√100、すなわち10個程度の粒子は、平均から外れたふるまいをしていることが見出される。これは純粋に統計学から導かれることである。/仮に、たった100個の原子から成り立つ生命体を考えてみよう。この生命体は、どのような生命活動を行うにせよ、原子のうち常に√100、すなわち10個程度の粒子は、その活動から外れることを覚悟しなくてはならない。全体が100で、例外が10ならば、生命は常に10%の誤差率で不正確さをこうむることになる。これは高度な秩序を要求される生命活動において文字通り致命的な精度となるだろう。/では、生命体が100万個の原子から構成されているとすればどうだろうか。平均から外れる粒子数は√100万、すなわち1000となる。すると誤差率は、1000/100万=0.1%となり、格段に下がる。実際の生命活動では、100万どころかその何億倍もの原子と分子が参画している。・・・/生命現象に参加する粒子が少なければ、平均的なふるまいから外れる粒子の寄与、つまり誤差率が高くなる。粒子の数が増えれば増えるほど平方根の法則によって誤差率は急激に低下させうる。
評価:7点
『幻夜』 東野圭吾 集英社文庫
「白夜行」の続編。
「白夜行」は800頁以上、「幻夜」も800頁弱。
「白夜行」はかなり重かったけど(重量の話ではない)、「幻夜」はその点は少し緩和されている。何といっても悪女っぷりがメインな感じ。
それにしても、東野圭吾はすごいなぁと思う。とってもおもしろかった。
解説に「幻夜」の続編がありそうなことが書かれていた。ぜひ書いてもらいたいし、早く読みたい。しかし、早く読むとしたら、ハードカバーだなあ。。
評価:9点
(以前、百夜行は10点つけてたけど、今、再採点するなら9点かな)
付け足し
先日、ヒローカから電話があって、うじーえさん、東野圭吾っていろいろ持ってます?まあ、いろいろ持ってるけど。百夜行とか幻夜とか持ってます?百夜行は持ってるけど、幻夜はまだ読んでへんなぁ。じゃあ百夜行貸して下さい!はいよー。というやり取りがあって、いずれ読もうと思っていた幻夜の優先順位が上がった。読みたい本リストはあるが、こんなことで順番が入れ替わったりするのもまたよし。
『カンブリア宮殿 村上龍×経済人』 日本経済新聞出版社 07年5月刊
見たことはないが、TV番組を本にしたもの。対談ものは結構好み。
この本に収録されたのは以下の22人。
張富士夫―トヨタ自動車会長
福井威夫―本田技研工業社長
大橋洋治―全日本空輸会長
後藤卓也―花王取締役会会長
古田英明―縄文アソシエイツ代表取締役
堀威夫―ホリプロ取締役ファウンダー
岡野雅行―岡野工業代表社員
松浦元男―樹研工業社長
笠原健治―ミクシィ社長&近藤淳也―はてな社長
伊藤信吾―男前豆腐店社長
宋文洲―ソフトブレーン創業者
野口美佳―ピーチ・ジョン社長
寺田和正―サマンサタバサジャパンリミテッド社長
渡辺美樹―ワタミ社長
吉田潤喜―ヨシダグループ会長
高田明―ジャパネットたかた代表取締役
平松庚三―ライブドアホールディングス社長
澤田秀雄―エイチ・アイ・エス会長
北尾吉孝―SBIホールディングスCEO
原田泳幸―日本マクドナルドホールディングスCEO
稲盛和夫―京セラ名誉会長
いつものように抜書き。#は私のコメント。
めっちゃ抜いた。。
○福井氏(本田技研工業社長)
村上:福井さんがホンダに入ってきた人たちに向けて話したことを紹介したいと思います。「入社してホンダウェイを学ぶのもいい。しかし君たちが何か持ってくる。何かしなければ、明日のホンダはない。ホンダを変えることに自分たちの価値があるんだ。ホンダのために働くと考えること自体、すでにホンダウェイじゃない。人が何のために働くのかというと、会社のためじゃない、自分のために働くのだ。それは、いつの時代も世界中、どこでも共通だ」。
#これが末端まで行き渡っているとしたら、いい会社だ。
○後藤氏(花王取締役会会長)
後藤:たとえばクイックルワイパーという商品は、紙おむつをつくっている部隊と、お風呂場や床、食器用の洗剤をつくっている部隊がうまく知恵を出し合ってできました。紙おむつをつくっている人が掃除用品に関心がなければできなかったし、掃除用品をつくっている人は普通、紙おむつまで発想がいきません。そういう意味では両者のコミュニケーションがうまくいった例だと思います。
#あるべき姿だ。うちの会社にはありえそうにないなあ。
○古田氏(縄文アソシエイツ代表取締役・・企業の社長や取締役を専門にヘッドハントする会社)
古田:50過ぎた今、どういう時に自分の根が生え始めたかなと振り返ってみると、やはり苦しくて、嫌で嫌でたまらなかった何年間かが根の生え始めたころで、特に20代後半はそういう時期だと思うのです。そこで根が生えないうちに別の鉢に移ってみても、どうかなというのが私の思いです。
・・・
古田:苦しい目に遭っている時に、限界まで苦しくならないと、本当にそれが自分に合っていないことなのか、何が違うのかが見極められないと思うんです。よく若い方が「好きなことをやりたい」と言います。確かにそういう気持ちは大切ですが、職業人としては目の前の仕事をどうしたら好きになれるかということが先だと思うんです。目の前のことも好きになれない、愛せない、あるいはギリギリの努力もしないで「じゃあこっちに」と安易に転職を繰り返していては、いつになってもたどり着けないんじゃないでしょうか。
#若くはないけれど、まあ、がんばりますか。。
古田:自分がひもじい思いをしても、残りの9人の人間が食べられるようにする、自分の命を落としてでも、残りの99人が生きられるようにするのが、リーダーの役割です。
#そういうリーダーについていきたいし、そうなりたいもんだ。なるのはムリそうだが。。
○岡野氏(岡野工業代表社員・・町工場の世界一の職人として有名)
岡野:図面なんて書かないもん。図面なんてないんですよ、私。どんな複雑な自動機でも。
・・・
岡野:計算してその通りにできるんだったら、潰れる会社はないよ。図面通りにやって金型が動いたら、職人なんていらない。そういうものなんだよ。
#ありえない。あのボビーさんもドラゴンフライの図面はないと聞いた。常人ではない。
○松浦氏(樹研工業社長)との対談後の村上龍の言葉
才能というのは、あることをいくら考えてもいくら勉強してもいくら実験してもいくら作業しても「飽きない」ことを指す。だから、いくら時間と知恵を費やしても飽きないというモチベーションを持った人は、必ず成功する。
#同感!
○宋氏(ソフトブレーン創業者)
宋:社員が必死になって結果を出しても喜ばない。社員に楽をさせながら成果を出せるのが嬉しい。
#すばらしい!
○野口氏(ピーチ・ジョン社長・・下着の通販会社)
野口:ワコールさんとうちの比較をしてもいいですか。たとえば、ワコールさんには人間科学研究所という研究施設があって、年間に何千人という女性モニターに裸のデータをとらせてもらうんです。その数値を割り出して、標準値を出したり、年齢を追うごとに女性の身体がどう変わっていくか、汗のかき方、胸の大きさの違い、といった研究をされているんです。でも、私たちの会社でブラジャーを作る場合、みんなで裸になって「これカッコイイね」とか、「これはすごく胸が寄るよ」とか言いながら、「これは売れるね」「これはダメだね」「ここにもうちょっとこういうものを入れよう」「ワイヤーの形をもっとこうしたほうがいいね」ということをやってきたんです。
・・・
野口:着け心地も、すべてデータになっちゃうんです。何時間つけていて、どれくらい汗が出たとか、どれくらいで赤くなったとか。私たちの場合は、「これ一日つけてると、ここがかゆくなる」みたいな。
#ワコールのやり方はすごくよくわかるだけに、目から鱗。。
○渡邉氏(ワタミ社長・・居酒屋の和民)
渡邉:子どもたちに夢を聞いても、夢がないんです。いい中学、いい高校、いい大学に入ることが夢で、それ以上は答えられない。「何でかな?」と思い、ずっと子どもたちと触れ合っているうちにそれがわかったのですが、無関心なんですね。マザー・テレサが、「愛の反対は無関心だ」と言いましたが、極論すれば愛がないんだと思います。要するに自分は何もしなくても食べていける。すると、関心がなくなっていく。
#今に始まったことではない、私が子供の頃から夢を持ってるやつは少数だったと思う。そういう自分のことは棚に上げて、今の子供たちには夢を持ってもらいたいと思ってしまう。しょうがない気がする。
渡邉:こちらが向いていると思っても、本人は向いていないと思うこともある。そういう時に「お前、あと半歩だよ」と思うことが結構あります。それはつまり、自分で夢に終止符を打っているんですね。夢というのは諦めた時に終わりですから。諦めなければずっとその物語は続いているんです。ですから半歩でやめてしまう子が多いのは残念です。
#大事なことやね。
○高田氏(ジャパネットたかた代表取締役・・テレビ通販の話術師)
高田:できないと決めているのは誰かというと、自分自身なんです。人は決めてませんから。まず自分ができると信じること。あまり考えずに、思ったようにやってみること。やってみてできなかったら、やり方を変えてみればいい。それと、それを続けてみることです。やってみたけどダメだったっていうのは、いくつもあります。人生80年生きていくわけだから、エンドレスでやり通すことではないかと思っています。だから続ける精神力はいるだろうと思いますね。でもあまり悩まずにやってみたら、結構できることは多いんじゃないかと思うんですけどね。
村上:続けるというのは難しいですよね。僕も30年、小説を書いていますが、成果を出して成功するよりも、継続することのほうが才能ではないかと思うんです。どれだけやっても飽きないし、考えたり、工夫したりすることを続けられるのが、ひょっとしたら才能というものじゃないかと思うんですよ。
#抜粋内容が偏ってきたかも。。
○平松氏(ライブドアホールディングス社長)
平松:外資系でトップを何社かやってきたのですが、・・・求められるのは、一つは立て直す。走りながら修理する。成長を持続させながら、赤字を黒字に転換するという、結果だけが求められます。評価の基準はすべて数字です。ある意味で単純なルールのゲームですが、結果がすべてで、数字がそれを表す、それ以外は何もないんだというのが身にしみてきまして、非常に気持ちのいい世界でした。
#気持ちいいかどうかはその人によるだろうが、数字は大事だと思う。後に残るものは数字だし、自分以外は数字しか見てくれないし。
村上:堀江前社長があまりに有名になってしまった反面、ではライブドアとは何をする会社なのかわからない人も多いのではないかという気もします。・・・
平松:・・・顧客参加型のメディアにいち早く取り組んできたのがライブドアの強みで、たとえばブログでは日本では最大の規模です。他の会社も同じことを志向していますが、お客さまとメディアをつくっていこうという新しい動きでは、ライブドアはダントツです。
#ライブドア、確かに何をする会社かよくわからないが、この人はえらくかしこい人だという印象を受けた。
○澤田氏(エイチ・アイ・エス会長)
澤田:一番苦しい時、辛い時こそ、正々堂々と明るく元気にやる、ということが一番大事です。これは僕の好きな言葉なのですが、そこでくじけてしまったら終わりです。問題が起きると人間は暗くなりがちですが、そこで暗くなってしまったら沈むだけです。もがけばもがくほど沈んでいくと思います。
#精神論っぽいが、見習うべきだと思う。
○北尾氏(SBIホールディングスCEO)
紹介文より:・・・北尾に転機が訪れる。担当企業の一つ、ソフトバンクでの会合を終えた後、「1分間だけ時間をいただけませんか」と、社長の孫正義に呼び止められた。「うちに来てくれませんか」という誘いだった。当時のソフトバンクはまだ店頭公開したばかりの新興企業。迷った北尾は10日間の猶予をもらい、野村総研の資料室にこもって、孫正義やインターネットに関する文献を読みつくした。そして得た結論は「孫正義という男は、類まれなるものを持っている。IT業界は必ず伸びる」。こうして1995年、北尾は天下の野村證券からソフトバンクに転職する。44歳の決断だった。
#かっちょええ~。英雄、英雄を知る、ってか。
北尾:何かうまいこといかないからと、人間はすぐ悩んだり悲しんだりするでしょう。うまくいくのが当たり前だと思っているから、そう思うのだと思います。僕はそうじゃなくて、ほとんどのことは、うまくいかないんだと思っています。うまくいったらラッキーなんだと思うようにしたらいいと思うんですね。
#期待なんてするもんじゃないしね。
○原田氏(日本マクドナルドホールディングスCEO)
原田:単身赴任、これも非常に冷酷だと思います。やはり家族が一番なのであって、仕事は自分の人生の一部なのですから。アメリカの企業では、会議中でも「今日はファミリーとのアポイントメントがあるから帰らせてくれ」と言うのは常識です。どんな偉い人が来ても、バケーションはバケーションでとります。個人を大切にするという理念の上に立って、プロフェッショナリズムが成り立っている。それがグローバル企業のすばらしいところだと思います。
村上:海外の人には単身赴任というのはわからないみたいですね。僕も海外のメディアからインタビューされると、過労死と単身赴任の話題がよく出ます。「家族をハッピーにするために働くわけだろう。それなのに家族を別れて働くとはどういうことなんだ」と聞かれると、答えられないんです。
#こういう文化こそ入ってきてほしいんだけれど。。特に日本の会社の人事部門に。
これだけ抜書きしたことだし、
評価:10点
『沈まぬ太陽(一)~(五)』 山崎豊子 新潮文庫
以前、「クライマーズ・ハイ」を読んだので、御巣鷹山つながりで読んだ。そんな軽いノリで手を出したが、重いテーマだった。1985年8月12日、520名の犠牲者を出したジャンボ機墜落事故のことが第(三)巻にてほぼノンフィクション的に書かれている。私自身、当時、そんなに関心を持っていなかったのか、事故の惨劇、悲惨さに驚くばかり。。そういえば、もうすぐ8月12日。新聞に載ったりするのかなあ。
(一)(二):アフリカ篇、(三):御巣鷹山篇、(四)(五):会長室篇、という構成になっているが、(三)があくまでもメイン。とはいえ、それ以外の巻も(三)につながる重いテーマを扱っている。
安全を担うべき企業の腐敗ぶり、それが元は親方日の丸といったあたり、最近の福知山線脱線事故にもある程度共通するものがあるのではないだろうか。私はその福知山線を通勤路線として使っているが、事故前も事故後もダメな路線だ。JRはその他の私鉄に比べてレベルが低いと思う。不快な思いをすることは数え切れない。話がそれた。
「白い巨塔」や「華麗なる一族」といったドラマの原作で有名な山崎豊子、初めて読んだが、とんでもない取材量なんだろうと容易に想像される。まさしく社会派とはこういう人のことか。小説としてみた場合、登場人物が多くてついていけなかったり、セリフが説明口調っぽい感じでそんな会話はないやろう、というところが多々あり、ちょっと不満もあるが、それをカバーするだけの読み応えあり。
評価:9点
『コーチングのプロが教える「ほめる」技術』 鈴木義幸
日本実業出版社
この手の本は、会社の研修なんかでエッセンスをいろいろ学ばされるので自ら選ぶことはないが、うちの奥さんが友達に借りて読んだらしく、すすめられて読ませてもらった。
ほめる、ということを前面に出しているが、「私はあなたの存在をそこに認めている」ということを伝えるすべての行為、言葉(=アクノリッジメント)について書かれており、ほめるということはその代表選手としてタイトルに用いられている。
以下、いくつかピックアップ。
○メールはクイックレスポンスで
向こうが投げたボールに対して、そのボールをすぐに返す、というのは相手に対するアクノリッジメントとなります。逆にボールをいつまでも返さないでいると、その程度にしか自分のことを思っていないのだと思われかねません。
#これは自分では心掛けているつもり。すぐに返してくれない人は公私に渡りたくさんいるけど。。他人のことはともかく、こういう姿勢は保ち続けたい。
○さりげなく女性社員をほめる
初対面の女性でも、いつも会っている会社の女性スタッフでも、向かい合った瞬間に見るのです。今日のおしゃれの中でこの女性がいちばん他人から気付かれたい「工夫」って何だろうかと。もし「おニュー」があるとすればそれは何だろうかと。絶対ありますから、工夫は。/そして、それをただごく普通の声で伝えてあげるのです。
#これはできてない。身近なところから気を付けてみよう。
○年上の部下との接し方
ほめるというのは、ほめている側がほめられている側を評価していることになります。つまり、ほめている側が「上」、ほめられている側が「下」という構造を表現しやすくなります。ですから年上の部下からすると年下の上司のほめ言葉はなかなか受け取りにくいものです。そこへいくと相談する、教えてもらうは、聞く側が「下」になりますから、年上の人にとっても受け取りやすいアクノリッジメントになります。
#逆のパターン、つまり年下の上司と接することの方が今後多くなるだろうなあ。
○配偶者にもアクノリッジメントが必要
夫婦喧嘩の99%は「相手はもっと私を大事に扱うべきだ」というところに根ざしています。奥さんも旦那さんも同じことを思っているのです。
#うちの奥さんが私に読ませたかったのはこれだろう。
この手の本を読んだ直後は、そうやなあ気を付けよう、と思うものだが、時間と共に忘れていくんよなあ。。
評価:7点
『対論・筑紫哲也「ニュース23」 このくにの姿』
集英社 2007年7月刊
タイトルにあるとおり「ニュース23」にて放映されたものを文字にしたものだが、テレビ放映で削り落とした部分も一部始終文字にしたらしい。
2003年に同じ試みで「このくにの行方」として出されたものの第2弾。(ちなみにそれも読んだけど、8点)
対論の相手は、表紙写真にあるとおりの7名。
中曽根康弘
養老孟司 (バカの壁の著者)
渡邉恒雄 (ナベツネ)
林 真理子
宮崎 駿
カルロス・ゴーン
立花 隆
以下、抜書き。#は私のコメント。
養老
個性が大切だと言うでしょう?子どもにはそれぞれ個性があるんだから、個性に合った教育をするんだと。そうすると一律にやらせるということをしなくなる。ところが、一律でやらせないと個性は見えないんです。
養老
八方塞がりって、自分が何もしてないからそうなるんです。雀だって部屋の中に飛び込んで出られなければ、バタバタもがいて、あっちの窓にぶつかったり、こっちの窓にぶつかったりしてるじゃないですか。/それを何も動かないでダメだとか言ってるのは、それダメに決まってますよ。宝くじは買わなければ当たらないっていうのがあるじゃないですか。/動かなきゃ答えは出ませんし、「先行き、どうなるんですか」っていう質問は、間違ってますよね。ぼく、いつも言ってるんです。「どうなるんでしょうかね」じゃなく、「先行きは、こうしたい」と言えと。
#「バカの壁」なんてちっともおもしろいと思わないし、この人はあんまり好きじゃないが、上記2点は同感。
#次のナベツネ、この本で最も認識が改まった人。にっくきジャイアンツの親分、プロ野球界にとってじゃまな人、という偏見を持っていたが、賢い人だった。以下、いささか個人的メモかも。
渡邉
8月の上旬にソ連が突如、日ソ中立条約を侵犯して満州を侵略し、そして、8月15日には無条件降伏をしているのにもかかわらず、9月を過ぎても戦闘行為を続けて、60万人弱の日本人を拉致して、5万5000人の命を奪ったんですよね。ぼくはあれに対して抗議したい。/毛沢東だって、文化大革命という名のもとで1000万とか、2000万とかいう中国人を殺しているじゃないか。スターリンもやはり、2000万人という数の自国民を粛清という名前で殺してるじゃないかと。それからアメリカは、あの原爆という・・・これ以上、残酷な兵器は歴史上ないんですよね。あれを2発、使ったじゃないか。/そういうことに抗議したいけれども、しかし、抗議する資格はない。自分たちで戦争をおっ始めた、その東条以下を神さまにして、総理大臣が参拝に行っている。そういう状況で、外国の戦争犯罪に対して非難することはできないですよ。/ソ連なんか、完全にあれは戦争犯罪ですよ。しかし、まず我が身を正してからでなければ、他を言ってはならんのですよ。これは道徳論として。
筑紫
神社のなかに遊就館というのがありますけれども、あれはあの戦争を全面的に肯定しているわけです。そういうことを含めて、渡邉さんは靖国というもの自体が問題だと思ってらっしゃるんですか。
渡邉
ぼくはとくにあれが問題だと思う。(略)子どもが行くとね、日本はあの戦争に勝った、という感想を持つんですよ。太平洋戦争は自衛戦争であったという史観に立って、いささかも悪い戦争ではなかったんだという軍国主義礼賛ですからね。/冗談じゃない。あの戦争のために日本人だけでも300万人殺されてるじゃないか。あの馬鹿げた戦争を礼賛するような機関を神社のなかに置いて、神社が経営しているということは、不見識もひどいものだ。/ドイツにヒトラーの記念碑があるナチス礼賛記念館かなんかがあって、そこに歴代の首相が行ったら、どんな騒ぎになったかということを考えるとね、よく、日本じゃ、この程度で収まってるなと思うくらいですよ。だから、早くやめたほうがいい。
#小泉批判もあったりしてナベツネには親近感を覚えた。
林
お一人おひとりの役割分担が、小説家として非常に興味深いですね。こんなこと、申しあげると失礼かもしれませんけれども。/まあ、旧家に嫁いだものの、なじめない長男のお嫁さんがいらして、とっても利口な次男のお嫁さんが、なんとかウチを守り立てようと、頑張っているというような感じで、こんなにわかりやすい役割分担で、それぞれがいろんな行動をしてくださると、ほんとに小説家として、なんかうれしくなっちゃいます。
林
今の皇太子さまが小さかったときに、美智子さまと皇太子さま(現天皇)が3人の子どもを遊ばせているのって、高貴な一家という感じがしましたけど、今のおふたりは中年になって、やっと子どもを授かった夫婦っていう感じで、もう何のオーラも、カリスマ性も、ありがたみもないですよ。あの2つの光景が、今の皇室問題を如実にあらわしていると思いますけども。
#こんなことテレビで言っていいのか?
筑紫
赤ん坊の人相が悪くなっていると、産婦人科の専門の方々が言うんです。どうして人相が悪くなったかというと、簡単に言えば表情がなくなったということらしいんですね。親が赤ん坊に接していない。あやすという動作を含めて、いろんなことをやってないことが原因の一つで、もう一つはテレビに子どもを預けすぎている。生まれて最低3年はテレビを見せるなというメッセージを、小児学会がこの間、出しました。
筑紫
私も自分では父親としてまったく落第だと思っているんですが、にもかかわらず、子どもが何とか育っちゃったのはどうしてなのかと考えてみますと、何もしなかったからよかったんじゃないかという・・・つまり、親が手をかけすぎることによる問題がそうとう起きているんですが、問題が起きるたびに教育の関係者は、より細かく手をかけるほうで問題を解決しようとする。
#ある意味、同感。親はなくとも子は育つ。
ゴーン
必要なのはまず優先事項をはっきり念頭に置いて、そこから横道にそれないように、徹底してその優先事項を遂行する強い自制心です。
ゴーン
イライラしたり、不満ばかりいっていたり、疲れてやる気がない上司ほど嫌なものはありませんからね。/それよりも、やる気や想像力があり、エネルギッシュで明朗な上司や同僚のほうがいいに決まっています。
#愚痴ったり、疲れてたり、、気を付けないといけない。仕事がうまくいってないときはすぐにそうなってしまう。
評価:7点
『日本人よ!』 イビチャ・オシム 新潮社 2007年6月刊
アジアカップ直前に出版、その意図は?
勝てなかったときの言い訳の準備か?オシムが普段からコメントしているように、勝てないことも十分にありうる、ということが語られているし、アジアカップを見る日本人もそういう心の準備をしておくべきだ、というようなことが語られている。
監督という仕事はたいへんなんだよとか、ジャーナリストはもっとかしこい質問をしろとか、審判のレベルがゲームのスピードについてきていないとか、けっこう言いたいことを言っている。
以下、抜書き。#は感想。
「日本人は伝統的に責任を他人へ投げてしまう」ジェフを率いて半年、既に日本人の責任感の欠如を嘆いていた。
日本人は、すべてが整備され自然に解決されていくことに慣れてしまっている。あるいは、何か新たな問題が起きると、国かあるいは他の誰かがそれを解決してくれるものだと思いこんでいるのではないかとすら思う。
日本人選手に責任感がないとは言えない。しかし、問題はその責任感に自分で限界を作ってしまうことだ、というのが私の印象である。つまり、誰も限界以上のことをやろうとはしないのだ。これこれが自分のノルマだと考え、そのノルマを満たしただけで、他のことは他の誰かが引き受ければいいと考えている。
#いやいや、耳が痛い。。
世界で通用するサッカースタイルでプレーする、いや、プレーしようと努めているクラブがJリーグに二つ、三つある。一つは、ガンバ大阪。彼らは美しいサッカーをやっている。川崎フロンターレも実に華麗だ。また、ジェフも動き方という点では申し分ない。
#ガンバファンとしては、ほめられてうれしい。
ロナウジーニョは他のチームメイトと同じように走ることはない。メッシもそうだし、ロナウドもそうだ。しかし、その代わりに別の選手が走っているのだ。誰がそうなのかは重要ではないが、走らない選手の陰には、実際そういう選手がいるということを知っておいて欲しい。/サッカーは今、一つの方向に向かっている。対戦する相手はそのような走らない選手に付け込んでくる。なぜならば、彼が走らないがために、相手は常に数的優位を作れるからだ。そうなると、相手が人数で上回ってしまうために、監督は頭が痛くなるのだ。常に相手は一人多く選手を持つことになる。逆説的だが、中心選手もしくは最高の選手が、実際には最も弱い選手となりうる。スタープレイヤーがウィークポイントなのだ。/サッカーは、すべてが走力とつながっている。走力は最も基本的なものだ。走らない者はプレーする資格がないのだ。
#ロナウジーニョはお好みではないらしい。シュンスケに対してもきびしいしね。
評価:7点
でも、今日はシュンスケ中心のチーム編成にしてたし、それがまあまあ機能していたと思うが、、、
勝てたよなあ、今日は。いらんファールだったよなあ。。。
TV朝日で見てたが、試合終了後のインタビューで、ただでさえ機嫌の悪いときに、ばかなインタビュアーのせいで、オシムは切れてたし。。
『リア王』 シェイクスピア 福田恒存訳 新潮文庫
高村薫の「新リア王」を読んだので、せっかくの機会だから本家本元を読んでみた。初シェイクスピア。
シェイクスピア四大悲劇のうちの一つ。ちなみに「ハムレット」「マクベス」「オセロー」と「リア王」。「ロミオとジュリエット」は四大・・には入らないみたい。
予想外におもしろかった。
罵詈雑言がすさまじかった。
四大・・に数えられるように、まさに悲劇だった。
以下、解説から抜粋
シェイクスピア悲劇の多くについてよく言われる「性格悲劇」・・・。「性格は運命なり」という一句に要約される性格悲劇の本質は、「ロミオとジュリエット」の主人公たちのように外的な運命に左右されるものでなく、あくまでも自分のもって生まれた性格がそのまま主人公自身を破滅に陥れる宿命となる、・・・。
読んでいて思い出されたのは高村薫の「新リア王」ではなく、黒澤明の「乱」。「乱」はこの「リア王」をもとにして作られている。仲代達也とピーターのコンビが思い出された。この「乱」は黒澤ファンにとっても賛否両論あるが、私はけっこう好き。
高村薫の狙いはシェイクスピアの狙いとは異なる所にあるのだろうけれども、シェイクスピアにはおよばんなあ、と思った。下敷きがあれば下敷きにはおよばないのはあたりまえか。
評価:10点
『新リア王 上・下』 高村薫 新潮社 2005年10月刊
ブログを始めてから初の高村作品レポート。高村薫は私の最も好きな作家のうちの一人。ブログ上で以前触れたことがあるが、月刊「新潮」で連載中の「太陽を曳く馬」を読むための準備として、この作品を読んだ。
合田雄一郎シリーズ=「マークスの山」「照柿」「レディ・ジョーカー」の三部作。全て10点。
福澤彰之シリーズ=「晴子情歌」「新リア王」。こっちのシリーズは推薦しない。
この2つのシリーズが「太陽を曳く馬」にて合体するとのこと。楽しみだ。
「新リア王」でも一瞬だけ合田が出てきて、おっ、と思わせた。
「晴子情歌」は読了するのがとてもしんどかったが、今作品もまたしかり。手を付けてから半年以上かかった。。なんせエンターテインメント度=0点だから。でもリアリティのある虚構(フィクション)の構築力は圧倒的。政治のこと、仏教のこと、哲学のこと、等々、かなり専門的で難解。
全然おもしろくはないが、読み応えはたっぷり。
その半端じゃない筆力に敬意を表して、
評価:9点
余談だが、表紙の絵画はレンブラント作。
うちの奥さん、言い当てよった。びっくりした。
『クライマーズ・ハイ』 横山秀夫 文春文庫
1985年の御巣鷹山の航空機事故に関わる40歳地方新聞記者が主人公の物語。信念を持って仕事に打ち込む男の話、硬派な小説だった。
新聞記者の仕事は毎日納期があるわけで、その辺りの緊迫感が印象に残った。著者は地方新聞記者としてこの事故に遭遇したとのことで、とてもリアリティがあった。
毎日納期があるなんて、ちょっとゾッとするわ。
評価:10点
この著者の作品として以前「半落ち」を読んだことがあるがそれも10点。
『悪意』 東野圭吾 講談社文庫
おもしろかった。ちょっとトリックが凝りすぎてやないか、とは思うもののおもしろかった。タイトルとなっている「悪意」についてもっと掘り下げることができると思うけどなあ、この作者やったら。
読書仲間のノトヤンがこの作者の他の作品の感想として、東野圭吾氏は、すばらしい職人小説家だと思う、と書いてるが、同感。プロフェッショナルだわ。
評価:8点
『ラッシュライフ』 伊坂幸太郎 新潮文庫
アヒルと鴨・・よりはよかった。けど、重力ピエロを読んだときの興奮はない。この作家はエンターテインメント作家だな。読後にグッとくるようなことはまったくない。が、物語はおもしろい。おもしろいというよりは、ちょっと風変わり。この作品も構成が緻密、ちょっと懲りすぎかとも思うが、けっこう見事に構築されている。
エッシャーの1枚の騙し絵がモチーフとなっていて、その点も見事。20年ほど前、エッシャー展に行ったことがあるが、かなりおもしろかった。エッシャー展はおすすめ。
評価:8点
『鏡の法則』 野口嘉則 総合法令出版 06年/5月刊
サブタイトルに、人生のどんな問題も解決する魔法のルール、と付いている。帯には、読んだ人の9割が涙した!と書かれている。100万部突破らしい。30分で読めるものに1000円払うのもどうかと思う。あんまり好みじゃなさそうなので手に取らなかったが、うちの奥さんが近所の奥さんから借りてきたので読んでみた。
宗教っぽい。別に泣けん。やっぱり好みじゃない。
ということで、
評価:5点
『日本人のしきたり』 飯倉晴武(編著) 青春新書
しばらく食指の動く新書のヒット作がないなあ、と思っていたところ、これはえらく売れているようだから、と読んでみた。なんでこんなん売れんねん。単なるしきたり雑学本。新書のスタイルやから売れてるんちゃうやろか。
東京出張の往復で、寝たり読書したり寝たり読書したり、にちょうどよかったけど。
評価:5点
『アヒルと鴨のコインロッカー』 伊坂幸太郎 創元推理文庫
「重力ピエロ」に続く長編5作目、吉川英治文学新人賞受賞作、2007年映画化、ということで期待しすぎ?けっこう評判いいわりにはそんなに印象に残らんかった。「重力ピエロ」とは雰囲気が違ってた。あまりにいい作品を書くとその次はプレッシャーかかるんやろうなあ。
いまいちとは思ったけど、やっぱり魅力はある。次も伊坂氏の著作を読み始めた。
評価:7点
『重力ピエロ』 伊坂幸太郎 新潮文庫
かなりよかった。セリフがいい。セリフのテンポがすごくいい。この作家は初めて読んだが、もっと読みたいと思った。
解説より
一風変わったキャラクター像、軽快このうえない語り口、きらめく機知、洗練されたユーモア感覚、そして的確で洒落た引用と比喩が効いていて、読むのが愉しくて仕方がない
評価:10点
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『神様からひと言』 荻原 浩 光文社文庫
サラリーマン小説。食品会社のお客様相談室が舞台。クレーム処理をおもしろ可笑しく。。
「上にしがみついて、下を蹴落とす。それが出世ってもんだ。上司にペコペコ、スリスリ。部下にガミガミ、ネチネチ。他人に厳しく、自分に甘く。そういう人間が出世するのよ」
↑ストーリーには直接関係ないがおもしろいと思ったので。当たらずとも遠からず。。
ユーモア満載でおもしろかったけど、ただそれだけ。
この作家はもういいかな、興味があるのはあと1冊くらい。
評価:7点
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『悪童日記』 『ふたりの証拠』 『第三の嘘』 アゴタ・クリストフ ハヤカワepi文庫
ちょっと前に「悪童日記」だけで記事を書いたが、これは三部作で一作品と捉えた方がいい。かなり圧倒された。読み進むにつれて話がややこしくなってくるが、そんなことはおかまいなしに、時をおかずに3冊一気に読んだ方がいい。
「われわれは皆、それぞれの人生のなかでひとつの致命的な誤りを犯すのさ。そして、そのことに気づくのは、取り返しのつかないことがすでに起こってしまってからなんだ」
評価:9点
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『悪童日記』 アゴタ・クリストフ ハヤカワepi文庫
読書仲間のノトヤンの推薦、10点満点で20点らしい(大げさな、、)。
淡々と綴る文体が気に入った。村上龍にちょっと似てる気がする。強烈な双子が主人公なところが浦沢直樹の「MONSTER」をちょっと思い出させた。とはいえ、自分の読書履歴にとって新しい感じがしておもしろかった。
評価:9点
新鮮度:10点
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『ライン』 村上龍 幻冬舎文庫
以前集計したランキングでは19位。
20篇からなる短編集のようなもの。村上龍らしい文章がふんだんにあり、けっこう気に入った。
人間には、たとえそれがどんな人間であっても何か期待したりしてはいけない。
どんなに幸福そうに見えてもその人の心の中で何が起こっているのかはわからない。だから外見で人を判断するのは間違っている。
評価:8点
お薦め度:8点(村上龍ファンには)
7点(村上龍を読まない人には、人格疑われそうなので)
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『若者はなぜ3年で辞めるのか?-年功序列が奪う日本の未来-』
城繁幸 光文社新書 2006年9月刊
今、売れてて、新書部門のランキングでは上位に位置している。著者はすでに「内側から見た富士通 「成果主義」の崩壊」というベストセラーを書いている。タイトルでは一見若者向けのような印象を受けるが、対象のメインは若者ではあるが、それ以外の世代にとってもサラリーマン必読の書と思った。
以下、基本的に抜書き、#は感想。
一消費者として外から眺める企業と、従業員として内部で感じるイメージは大きく異なることが多い。たとえば、最先端のデジタル家電を作っていても、毎朝並んで社歌を歌わせたり、・・・するような企業もある。
#社歌!うちの会社やんか。。まったくばかげてる。。。
企業内でいま何が起きているのか。数少ない管理職ポストの空席待ちに、(その一つ下の序列の)30代から40代の社員たちによる長蛇の列ができているのだ。/この分厚い層を勝ちあがっていける人間は、そう多くはいないだろう。
#まさしくその通り。
企業内で彼らがたどった経緯を見れば、実はバブル世代こそ、もっとも貧乏くじを引いた世代だということがよくわかる。・・・/彼らの世代は、キャリアがいちばん伸びる時期を上から押さえつけられ、「さあこれから」という時期に成果主義に切り替わった谷間の世代だと言える。
#自分はバブル世代やけど、ほんとにたいへん。先行きに望みが持てん。
あまり知られてはいないが、一般に労働組合というのは、会社に輪をかけたようなガチガチの年功序列組織である。
#大企業ほどそうなのだろう。自分も組合と言う組織は基本的に信用していない。
日本の年金システムは、現役世代の保険料で引退した受給世代を養う賦課制度を採用している。/だが、少子高齢化の進展により、2010年頃には、受給者が現役世代を逆転することが確実な状況だ。/現状でも、2004年度の収支では、保険料プラス国庫負担で約27兆円、支給額は約32兆円と、すでに実質5兆円の赤字に陥っている。/この状態で、団塊世代が受給に回る2015年を迎えればどうなるか。厚生年金と国民年金を合わせて、年10兆円を超える赤字に陥るのは確実だろう。/こうなると完全に制度としては破綻するので、国は2004年に大幅な年金改革を実施し、保険料と国庫負担金の引き上げを図った。それまでの年収の13.58%だった保険料は順次引き上げられ、最終的に2017年以降は18.3%に固定される予定だ。
#年金の話は暗い。
もっとも現実的な方法は、現役世代の保険料は純粋に積み立てに回す積立方式に変えることだろう。
#ほんとにこうならんもんかな。年金のシステムはおかしすぎる。政治家がジジイばっかりだからこのシステムはおそらく変わらず、若い世代は食い物にされ続けるのだろう。おかしな話だ。
既卒という言葉がある。/・・・/新卒の対になる言葉で、要するに「すでに卒業してしまっている人間」を意味する。/・・・これが企業内(特に人事部)で使われる場合、「正社員としての内定がないまま、学校を卒業してしまった若者」を指す。/彼らが、就職先を決めないまま大学を卒業してしまった理由はさまざまだ。/・・・/だが、いかなる事情があれ、彼らが翌年以降に就職活動を再スタートした場合、十把一絡げに放り込まれるカテゴリーが〝既卒〟である。/・・・/はっきり言ってしまえば、ほとんどの企業で「既卒者は門前払いされる」ことになる。/それは本人の学歴がどんなに素晴らしくても変わらない。/・・・/少なくとも大企業ならどこでも、新卒と既卒は完全に別枠で処理する。後者が入社する確率はほとんどゼロと言っていいはずだ。/私自身、人事部に配属されて最初にやった仕事は、新卒応募者のなかに紛れ込んでいる既卒者の履歴書をチェックして引っ張り出すことだった。取り除けた履歴書は、オフィスの隅の箱に入れられたまま、二度と人目に触れることはなかった。
#これは若者にとって要注意。遊ぶなら卒業後ではなく、卒業前でないと後々厳しいということみたい。ハングに打ち込むなら学生のうちがベストか?
早期退職募集をかける前の時点で、人事部内ですでに「辞めさせるべき人間」と「残すべき人間」のリストアップをしている企業は多い。あとは〝意思確認〟という名目で全対象者と面談し、硬軟使い分けつつ誘導していくことになる。
給料にせよ序列にせよ「上がったもん勝ち」の年功序列企業において、総人件費を下げるには若手から中堅の昇給、昇格を抑えるしかない。そのためのツールが成果主義であり、目標管理だったというだけの話だ。
企業人事のなかだけで囁かれる言葉に、「転職によって成功する人は一割程度」というものがある。つまりそれだけ、(転職には成功したとしても)後悔する人間が多いということだ。
40代以上の人間は若い頃の報酬を得るどころか、景気の落ち込んだ2000年頃には血で血を洗うようなリストラの憂き目に遭った。それより下のバブル世代は、成果主義の洗礼を浴び、大きな格差に直面している。入社以来、成果主義による選別を受けているいまの20代なら、その格差はさらに大きなものになるはずだ。/・・・/年収で言えば、30代後半から40代前半で、昇給は完全にストップすることになる。従来、日本企業では50代前半が基本給のピークだったが、毎年昇給し続ける定期昇給があっての話だ。それより15年近く前でストップすると考えると、おそらく団塊世代あたりの年収の6、7割程度の水準までしか年収アップは望めそうにない。
#他にも紹介したい部分は山のようにあるけど、これくらいで。
評価:9点
お薦め度:10点(サラリーマンとこれから就職しようとする若者には)
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『他社から引き抜かれる社員になれ』 古川裕倫 ファーストプレス 2006年10月刊
以下、基本的に抜書き。#は感想。
「できる人」になるためには、持って生まれた才能も必要ではありません。要は、目標を高く持ち、情熱を維持し、効果的に成果を出せばいいのです。情熱を維持していれば必ず報われますし、・・・。/やってもムダと思うべきではありません。短期的に悩み、落ち込んでいても、志を高く持って前向きな姿勢を取り続ける限り、きっとうまくいきます。また、そう信じることが大切なのです。
第1章基本を忘れるな の最初の節は、仕事も遊びも時間厳守
#賛成。やっぱり基本中の基本でしょ。
「できる人」にとっては、飲み会や遊びの約束も当然、時間厳守です。「仕事が忙しくて」というのは言い訳であり、そう言って遅刻してくる人は、ここで言う「できる人」ではありません。むしろ、自分で自分の時間をマネジメントできないことを白状しているようなものです。
前進することを決めるより、退却を決定するほうがもっと勇気が必要であり、高度な意思決定です。
#まったくそう思うが、決して高い評価は得られない。会社ではそんなテーマに関係して運が悪かったと思わないといけないのがつらいところ。
代替案のない否定はするな
#とりあえずネガティブなコメントばっかりしてくる部長クラスの人ってきっとどこにもいると思う。建設的な提案といっしょにコメントしてほしい。まあ、人の振り見て我が振り直せ、だな。
「その件は聞いていません」「僕はその担当ではありません」「私が判断できることではありません」などと言う人をよく見かけます。これらの多くは、逃げです。役職や立場の違いはあれ、逃げる人は結構たくさんいるものです。/逃げる部下の典型は、「自分はその担当ではありません」と言う人です。
#ドキッ。でもそうでもしないとパンクするけど。。
逃げる上司の典型は、さらにその上の上司に対して逃げる人です。「部下には言っておきましたが・・・」「伝わっているはずです」という言葉は、上司が部下に対して指示を徹底していないか、部下の仕事の進捗状況を把握できていないということです。「A君に任せていたのですが」に至っては、仕事を任せるということを理解していないことの表れです。任せるというのは、部下に仕事はさせても、上司はその進捗状況を常に把握しているということです。丸投げをして、その後も状況を知らないようであれば、単なる責任放棄です。/そもそも、部下の責任を取るのが上司なのですから、部下がやるべきことをやっていないのであれば、事情はどうあれ、管理不行き届きです。/部下に対して逃げる上司は最低です。「その件は僕の上司に委ねてしまったから、僕は何も言えない」などと言う上司はいませんか。「逃げる上司」は「決断できない上司」「自分の上ばかり見ている上司」と並んで、最も部下から信頼されない三羽ガラスです。
#いっぱいいる、こんな上司。これも、人の振り見て我が振り直せ、ということで。
誰がやるべきか決まっていない仕事や、誰が担当してもおかしくない仕事には、自ら手を挙げてそれをやりこなすべきです。
#ふつう、ムリ。そんな余裕があるくらいなら自分の仕事の質を上げたい。
さまざまな情報伝達ツールを活用して、数えきれないくらい何度も同じ話を伝えるのは、リーダーの大切な仕事です。・・・自分では十分と思っていても、現実には不十分なのです。言いっ放しはコミュニケーションではありません。伝えるツールを駆使し、何度も言うことをいとわずに、伝わるまで努力をするのです。
#同感。伝わらないのは受け手よりも送り手に問題がある、と常々思う。
と、まあ、正論オンパレードやった。
評価:8点
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『宿命』 東野圭吾 講談社文庫
東野作品、評判のいいものから読んできたので、だんだん想いも薄くなってきた。推理小説って感じ。推理小説はあんまり好きじゃない。
評価:7点
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『時生』 東野圭吾 講談社文庫
「手紙」が売れに売れているせいで東野圭吾の本が全般的に売れているのか、この「時生」、かなりの本屋で品切れだった。
mixiで「今日読み終わった本報告部」というコミュニティに参加してて、その中に「東野圭吾の本でおすすめは??」というトピックがあり、そこで多くの人からおすすめされていたので、わざわざ本屋を何軒も探して入手した。
おもしろかった。睡眠時間に当てる予定だった東京行きの新幹線の中で寝るのも忘れて読みふけりラストを迎えてしまって、月曜の朝っぱらからボロボロ泣いてしまった。
タイムスリップものなのでリアリティはないんだけど、この作家は上手い。またすぐに東野圭吾の本を買ってしまった。。
タイムスリップものはちょっとずるいので10点は付けない。
評価:9点
感動度:10点
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『昭和歌謡大全集』 村上龍 幻冬舎文庫
以前集計したランキングでは14位、そこそこの評価。この作品の登場人物が近作「半島を出よ」にも出てくる。先に「半島~」を読んでしまった。どちらも未読の場合は、こちらを先に読んだほうがいい。タイトルのイメージと内容はまったくそぐわない。とにかくめちゃくちゃ。ストーリーがめちゃくちゃというよりも、文章というか表現が1つ1つめちゃくちゃ。このパワー、イマジネーションには圧倒される。プロフェッショナルだなぁと思う。
あとがきから抜粋
何かと引き換えに、退屈を選んでしまった人間達なんか小説にしてもしょうがない、といつも思っていたのだが、いつだったか調布で暗い目の青年が買いものをしているおばさんを突然つきとばすのを見て、この「昭和歌謡大全集」を思いついた。
まさにそんな感じ。
文中からも抜粋
「・・・、おばさんを殺すというのが気に入った、よく言うだろう、人類が滅んだ後に残るのはゴキブリだって、それは違う、おばさんだ」
個人的にはたいへん気に入ったけど、あんまり人には薦められない。
評価:9点
ただし、お薦め度:7点
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『空港にて』 村上龍 文春文庫
短編集。村上龍が三十年に及ぶ作家生活で「最高の短編を書いた」という「空港にて」、という触れ込みに惑わされた。これで最高というのなら短編はろくなものがないということかな。
以前集計したランキングでも28位。まあそんなもんだろ。
でもところどころ、らしさが出ててよい。1ヶ所だけ抜書き。
普通の人は、一生、普通の人生というカテゴリーに閉じこめられて生きなければならない。そして、普通という人生のカテゴリーにはまったく魅力がないということをほとんどの人が知ってしまった。そのせいで、これから多くの悲劇が起こると思うな。
評価:4点
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『世界の日本人ジョーク集』 早坂隆 中公新書クラレ 2006年1月刊
現在、新書部門でベストセラー1位。近々海外に行くというタイミングとも合って読んでみたが、期待外れ。もっとブラックなのを期待してたから。
Nヤンの感想はこちら。
ジョークの合間に雑学知識やらエピソードやらが書かれてあって、そちらの方がおもしろかった。
そんな雑学を抜書き。
アメリカの航空機や宇宙機器には、東京の大田区にある北嶋絞製作所という会社でしか作ることのできない部品が使用されている。ここで製作されるロケットの頭の部品がなければ、アメリカのロケットは飛ばない。さらに、アメリカのスペースシャトルや人工衛星の溶接を引き受けているのも、電子ビーム溶接という世界で唯一の技術を持つ日本の東成エレクトロビームという中小企業である。/また、携帯電話の小型化に必要だったリチウムイオン電池のステンレスケースを細く絞る技術は、世界でも東京の墨田区にある岡野工業株式会社にしかない。・・・もう一つ、ユニークな例を挙げる。サッカーのワールドカップや国際Aマッチなどで審判員が使うホイッスル。この製造を一手に担っているのが野田鶴声社という日本の企業である。同社のホイッスルは音色、耐久性ともに世界的に最上級の評価を受けていて、ヨーロッパを中心に各地で使用されている。
イギリスでは、日本軍による英軍捕虜虐待問題が、原爆や真珠湾攻撃と同等かそれ以上のイシューとして今でも取り扱われている。第二次世界大戦中、タイ・ビルマ国境で英兵など約6万人の捕虜が、泰緬鉄道建設のために強制労働を課せられた問題である。イギリスメディアではこの捕虜問題が現在でもたびたび俎上に載せられているが、日本ではそれほどメジャーな問題としては取扱われていない。
ジョークを1つだけ紹介。
トウキョウの企業に勤めるトムが、上司のところに行って、「すいませんが、1日お休みをいただきたいのですが」と言った。すると、日本人の上司は表情1つ変えずに口を開いて話し始めた。「そうか、1日休みが欲しいって言うのか。では、ちょっといくつかのことを確認してみようか?/1年間は365日、52週ある。週に2日は既に休みだ。それを引くと残り261日(=365-52×2)が労働日だね。/1日16時間は仕事をしていないわけだから、この分174日(=261×16/24)を引く。そうするとたった87日(=261-174)しか残らない。/君は毎日30分間、コーヒーブレイクを取っているから、計算すると1年間に23日分(=365×0.5/8)休んでいることになる。そうすると残りは64日(=87-23)だ。/それから毎日昼休みが1時間あるから、また46日分(=365×1/8)は引くことになる。これで残りは18日分(=64-46)だ。/そして君は平均すると年にだいたい2日は病欠をするよね。それで残り16日間(=18-2)になる。毎年祝日で7日休みがあるから、残りは9日(=16-7)ということになる。/最後に、うちの会社は社員に8日間の有給休暇を与えているから、残りはたった1日(=9-8)だ。その1日をまさか君、休みたいなんて言うんじゃないだろうね。」
評価:4点
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『手紙』 東野圭吾 文春文庫 10月の新刊
映画化、11月ロードショー。ということで先に読んだ。
電車の中でラストを迎えてしまって、泣いてしまった。家だったりすると、もっと泣いたかも。感動というのとは違う、悲しくて、せつなくて。
「白夜行」でもそうだったけど、救いがない。この作家はいつもそうなのか?これも悲しすぎるので10点はあげられない。
評価:9点
映画化のキャスティングで沢尻エリカの名前が。いろいろ評判悪いけど、笑顔がめっちゃかわいくて好き。
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『地下鉄に乗って』 浅田次郎 講談社文庫
もう映画が公開されているみたい。なので急いで読んだ。映画化ということでTVなんかでちょろちょろ紹介されて、ストーリーが漏れ聞こえたり、出演者を見てしまうことで読書時のイメージが固定化されたりするのがイヤなので。
メインは父と息子の話。そのメインの筋もいいんだけど、そのメインじゃない方で号泣してしまった。ちょっと悲しすぎるので10点はあげられない。
評価:9点
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『蒼穹の昴』 全4巻 浅田次郎 講談社文庫
清王朝末期、西太后の時代の歴史もの。フィクションとノンフィクションが入り混じっている。中国近代史には馴染みが薄く時代背景に詳しくないので、どれくらい入り混じっているかは知らない。
玲玲と譚嗣同には泣かされた。
最近、この続編、「中原の虹」全4巻の刊行が始まった。文庫化はまだまだ先だろうけど、ハードカバーはちょっと痛いので、読むのは長らく待たされそう。。
評価:8点
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『他人を許せないサル』 正高信男 ブルーバックス 06年/8月刊
以前読んだ「ケータイを持ったサル」(中公新書)がおもしろかった(9点)ので、期待して読んだけど、いまいち。ブルーバックスも科学から外れたりして、新書ブームに乗っかって売り上げが欲しくなったか?
以下、抜書き
栄養面からいうと、植物性に偏ってコレステロールが欠乏するとキレやすいという報告がある。・・・たとえば、1ヶ月に7、8キロも急激にやせると、血中でコレステロールが極度に足りなくなる。そうすると、セロトニンという物質をつくることができなくなる。脳内のセロトニンという化学物質の生成量は脳内の脂質量と正比例する。神経伝達物質には覚醒型と抑制型の二種類あるが、後者を占めるのがセロトニンなのだ。この物質が減少すると、外界からのストレスに対して抑制が利かなくなり、攻撃性となって現れることになる。/つまりセロトニンが欠乏すると、キレやすくなる。だから動物性のタンパク質を十分に摂取すれば、コレステロール値が上がるので、攻撃衝動が収まるのではないかという説もある。
攻撃性が突出して高い子どもは、父親とのコミュニケーションの頻度が低かった。いっしょに過ごしているといっても、一日中ゲームをしているようでは意味がない。また、父親が母親の代役をこなしてしまったのでは「もう一人の母親」がいるようなもので、母子密着型の弊害を増長させるだけである。/・・・「子どもは親の背中を見て育つ」と言い古された常套句が示唆するように、外界へ踏み出す手助けをしてやることこそ、父親の任務なのだ。人間が一人前に成長する上で、母性が人間にとって情緒的な安全基地だとすれば、父性は自立を促す力にほかならない。
いかに時代が変わろうと、日本人は基本的に非常に嫉妬深い。いじめも、モンスーン気候の風土と正比例するように、ジメジメしている。だから、自分よりも注目されている人間に対しては、いくら口先で褒めても、内心はムカツク要素を秘めている。昔でいえば、胸くそ悪いとでもいうのか。単に不愉快ではすまない。いつまでも梅雨が上がらないようなしつこい陰湿さがある。嫉妬心も消えない。/自分は自分、他人は他人という個人主義ではないから、自分が他人に比べて損をしているか、得をしているかがいつも気になって仕方がない。横並び一直線で暮らしていた時代は成功した者とそうでない者のデコボコの差がほとんどないから、嫉妬の質も深刻ではなかったかもしれない。が、現代のように、勝ち組、負け組の区別がはっきりしてきて、所得格差も以前よりひどくなり、社会のシステムがますます欧米化されると反応は過敏になってくる。
評価:6点
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月刊「新潮」で高村薫の新連載が始まったらしい。タイトルは「太陽を曳く馬」。なんと合田雄一郎が登場するらしい。合田雄一郎といえば「マークスの山」「照柿」「レディ・ジョーカー」の三部作。全て超お奨めです。「照柿」は文庫化されたばかりで、今、書店で平積みされてますね。
で、驚くべきことに「晴子情歌」「新リア王」の福澤彰之シリーズとも合体するらしい。これはびっくり!こちらのシリーズはお奨めしません。「晴子・・・」は読了するのしんどかった。なので「新リア王」は未着手。。ファンとしては読まなあかんよなあ、、ちょっと憂鬱。。
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『村上龍映画小説集』 村上龍 講談社文庫
以前書いた、村上龍ベスト5!135人分!の6位以下をご紹介。
6.希望の国のエクソダス・・・111点
7.半島を出よ・・・・・・・・・・・・・84点
8.インザミソスープ・・・・・・・・・73点
9.村上龍映画小説集・・・・・・・69点
10.ヒュウガウィルス・・・・・・・・65点
この映画小説集だけ読んでなかったのでさっそく読みました。
青春モノですね。主人公は20歳前後、半自伝的小説のようです。
こういうものは若いときに読むに限ります。今の歳になってから読んでもちょっと悔しいだけ。
12編からなる連作短編集で、それぞれの表題に映画のタイトルがついていて、本編中にも一応その映画は登場します、一応ね。12本のうち3本しか見たことがなく、いくつか見たいなあと思わされました。
おっ、と思ったシーンを抜書き。
「将来のことを考えるような男には才能なんかないのよ、シェップはずっと詩を書くことと、それを支える生活について考えていたわよね、ケンも知ってるでしょう?」/私はうなずいた。/大したもんだと思っていたんだけどな、/「生活は大切だけど、つまらないものよ、生活に対しては恐ろしく不まじめで、詩に対してだけシリアスにならなくては、詩なんか書けるわけがないじゃないの、・・・」
評価:8点
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以前書いた、村上龍ベスト5!は私のベスト5。
そこでも書いたようにこれはmixiの中のトピックで、現時点で135人分のベスト5があるので、簡単にデータ処理を試みた。以下mixiで書いたのと同じ内容。
現時点での点数付けをしてみた。
1位5点、・・・、5位1点で。順位をつけてないのは一律3点とか臨機応変で。
総合順位はこうなった。
1.コインロッカー・ベイビーズ・・・254点
2.五分後の世界・・・・・・・・・・・・233点
3.愛と幻想のファシズム・・・・・・199点
4.69・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・157点
5.限りなく透明に近いブルー・・・128点
参考までに1位獲得回数は、
コイン・・・・・20回
五分後・・・・17回
愛と幻想・・・20回
69・・・・・・・・5回
限りなく・・・・11回
計64作登場してた。疲れた。。
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『いまここにあることの恥』 辺見庸 毎日新聞社 06年/7月刊
「自分自身への審問」の次の作品です。
創作欲は旺盛のようです。
では、抜書きを。
「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」という。一人がでたらめを語ると、多くの人がそれを真実として広めてしまうものだという後漢のたとえである。小泉執政の5年ぐらいこの言葉を考えさせられたことはない。/・・・/自衛隊のイラク派遣を閣議決定した2003年12月9日、首相は記者会見して海外派兵の論拠を憲法前文に求めると同時に、「日本国の理念」「国家としての意思」「日本国民の精神」が試されているとぶちあげて、前文の一部をわざわざ読み上げてみせた。記者団からは寂として声がなかったが、後の世の若者たちにも恐らく決定的な影響をあたえずにおかないこの憲法解釈はどう考えても間違っている。/もう一つ。2006年の年頭記者会見で首相は靖国参拝と中韓両国の反発にふれて「精神の自由、心の問題、これは誰も侵すことのできない憲法に保障されたもの」と述べた。憲法第19条〔思想・良心の自由〕について語っているらしいのだが、さても安く憲法が使われるようになったものである。いったい第20条〔信教の自由、政教分離〕はどうなってしまったのか。これまた後の世のありようを大きく左右しかねない憲法の意図的な誤用ではないだろうか。
3部から構成されていますが、半分以上を第3部が占めていて、この第3部は講演内容を元にしています。なので話し言葉になっています。
私は人としての恥辱についてもっと語りたいのです。おそらく戦後最大の恥辱といってもいいくらいの恥辱、汚辱・・・そうしたものが浮きでた、特別の時間帯があった。・・・忘れもしない2003年の12月9日です。名前を口にするのもおぞましいけれど、コイズミという一人の凡庸な男がいます。彼が憲法についてわれわれに講釈したのです。まごうかたない憲法破壊者が、憲法とはこういうものなのだ、「皆さん、読みましたか」とのたまう。2003年12月9日、自衛隊のイラク派兵が閣議決定された日です。コイズミは記者会見をして憲法前文について縷々説諭した。こともあろうに、自衛隊をイラクに派兵するその論拠が憲法の前文にある、といったのです。およそ思想を語る者、あるいは民主主義や憲法を口にする者は愧死してもいい、恥ずかしくて死んでもいいほどの、じつにいたたまれない日でした。いやな喩えだけれど、それは平和憲法にとっての「Day of Infamy」でした。/二つの意味で屈辱的でした。最悪の憲法破壊者であるファシストが、まったくデタラメな解釈によって、平和憲法の精神を満天下に語ってみせたということ。泥棒が防犯を教えるよりもっと悪質だと私は思います。・・・/二つ目、コイズミの話を直接聞いていたのはだれだったのか。政治部の記者たちです。彼らは羊のように従順にただ黙って聞いていた。寂として声がない。とくに問題にもしなかった。翌日の新聞は一斉に社説を立てて、このでたらめな憲法解釈について論じたでしょうか。ひどい恥辱として憤激したでしょうか。手をあげて、「総理、それはまちがっているのではないですか」と疑問をていした記者がいたでしょうか。いない。ごく当たり前のように、かしこまって聞いていた。ファシズムというのは、こういう風景ではないのか。2002年に私がだした「永遠の不服従のために」という本で書いたことがあります。やつら記者は「糞バエだ」と。・・・許せないのは、2003年12月9日、首相官邸に立って、あのファシストの話を黙って聞いていた記者たち。世の中の裁定者面をしたマスコミ大手の倣岸な記者たち。あれは正真正銘の、立派な背広を着た糞バエたちです。彼らは権力のまく餌と権力の排泄物にどこまでもたかりつく。・・・言葉を脱臼させ根腐れさせているのは、なにも政治権力だけではない。マスメディアが日々それをやり、情報消費者にシニシズムを植えつけている。あれをもっとも憎むべきだ、軽蔑すべきだと私は思っている。しかしみんながそうだから、脱臼した言葉のなかで暮らしているから、糞バエでも恥知らずに生きていける。・・・
小泉批判を主に抜書きしましたが、名作「もの食う人びと」の頃の辺見庸も健在です。
ソマリアで、飢え死にする少年や少女を見ました。しかし、たくさんの人が死んでいる。でも私はなにもできない。なにもしない。なにもしようとしない。ただ突っ立って見るだけ。そして空調のきいたホテルに引き返すと、パソコンに必死で原稿を打ちこんでいる自分がいる。危険を冒してここまできたのだぞ、という心もちもどこかにあったかもしれません。いい調子で原稿を書く。新聞もよろこんで使う。大きく載る。読んだ人は感動してくれる。本になるとまた売れる。何度も重版する。賞までもらう。めでたし、めでたし、です。が、心は晴れません。屍臭が躰の芯に染みついて、消えることがありません。私は、人にはあまり話したことがありませんが、とてつもなく恥ずかしくなりました。だれに対して?わかりません。たぶん、自分自身に対してでしょう。自分の内奥の眼に恥と罪が誘きだされ、暴かれたのでしょう。記者であることの恥辱。あるいは作家であることの恥辱。そして人間であるがゆえの恥辱。ただ見ることの恥と罪。これがそもそもなにに由来する罪と恥か、その淵源を私はしばらく考えなければなりません。・・・
評価:7点
ちょっとボリューム的に物足りなくて。。
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『美しい国へ』 安倍晋三 文芸新書 06年/7月刊
以前から、この読書カテゴリーの中ではちょくちょく表明してますが、私は反小泉です。なのでその次にやってくる奴の敵情視察をしてみました。つまらん本でした。タイトルからして意味わからんし。。
しかし総裁選前にこういう本を出すところはしたたかですね。私みたいに嫌ってる人間まで買っちゃうんですから。
いつものように抜書きを少々。
「慎重派」が決まってもちだす理屈がある。経済制裁に踏み切った場合、相手の報復を受ける覚悟があるのか、また、相手がどう出てくるかについての綿密な計算があるのか、というものだ。/一見もっともらしく聞こえるが、覚悟が必要なのはこちらではなく、北朝鮮のほうなのである。あなたたちが誠意ある回答を示さなければ、日本は最終的には経済制裁をしますよ。生活が苦しくなるし、政権がゆらぐかもしれない。これを受けて立つ覚悟があなたたちにありますか-日本のほうがそう彼らに突きつけているのであって、けっしてその逆ではない。/二つ目の、綿密な計算があるのかどうか。これもわれわれよりは、北朝鮮のほうに突きつけるべき問いだろう。日本に経済制裁されたとき、あなたたちに成算はあるのか、と。
#ちっとも聞かれたことに対する答えになっていない。どうやねん?と聞かれて、いや、お前の方こそどうやねん?と聞き返してる子供のけんか状態やんか。この手のすり替えばっかし。。
2003年12月9日、小泉総理は、イラク復興支援特別措置法にもとづいて自衛隊派遣の基本計画を閣議決定した。そして派遣の理由を、テレビカメラをとおして、直接国民に語りかけた。/自衛隊派遣は、けっしてアメリカの要請に諾々としたがったのではなく、日本独自の選択であり、内閣総理大臣自ら発した命令であることを印象づけることになった。
#勘違いもはなはだしい。アメリカの言いなりとの印象は今でも持っている。当時でさえ、賛成反対はちょうど5分5分だったはず。都合のいいところしか見えてないんでしょう。
わたしたちが目指すのは、日本へ行って仕事がしたい、あるいは投資をしたい、と世界の多くの人たちに思われるような国、いいかえれば、だれにでもチャンスのある国であり、能力の活かせる国だ。/日本の国柄とその理想に共鳴して、子供を日本で教育したい、あるいは日本人になりたいという人がいたなら、大きく扉を開かなければならない。それはとりもなおさず、日本のダイナミズムにつながるからである。
#理想論は誰でも言える。総理大臣としてその理想と現実とのあまりのギャップをどれだけわかっているのか、はなはだ疑問である。靖国行って隣国を怒らしてる場合か?日本人になりたい?特にアジアでそんな人がたくさんいるか?
年金は必ずもらえるし、破綻しないように組み立てられている。もし破綻することがあるとすれば、それは保険料収入がないのに、年金給付をつづけていったときだ。いいかえると、いまのままの保険料水準と給付水準をつづけていけば、これからはもらう人が増えるのだから、将来はどこかで払えなくなってしまう。破綻するというのは、このことだ。だからそうならないように、保険料をどれくらい上げて、給付水準をどのくらい下げたらよいのか、という議論をしているのである。
#私らがもらう頃は給付水準とやらがめっちゃ低そう。。破綻してなければのことだけど。わかりやすく書いてもらっているけど、基本的に信用はしていない。ほんとにもらえるのか?
話題は広範囲に渡っているが基本的に表面をなぞるような記述ばっかり。でも日英同盟、自衛隊がらみの記述は、さすがタカ派、詳しかった。
評価:2点
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mixiの中で、「村上龍」というコミュニティ(現時点で7000人以上が参加)に参加してて、その中に「ベスト5!」というトピックがあり、99人目に書き込んでみました。
1.愛と幻想のファシズム
2.半島を出よ
3.五分後の世界(&ヒュウガ・ウィルス)
4.コインロッカーベイビーズ
5.人生における成功者の定義と条件
3.はちょっとずるいかも?知らない人のために言うと、ヒュウガ・ウィルスはサブタイトルとして「五分後の世界 2」とあります。5.は誰も挙げてなかったです、対談集だからかなあ。
5つに絞るのはちょっとムリがあります。
ちなみに全部10点です。
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『2days 4girls』 村上龍 集英社文庫 06年/5月刊
つまらんかった。
カバーの写真から想像できるように、ちょっとエロいです。
評価:2点
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『ハリー・ポッターと謎のプリンス 上下』
J.K.ローリング 静山社 06年/5月刊
シリーズ第6巻です。
いつも思うことですが、これまでのあらすじ、みたいなのを入れてくれないかなあ。前巻を読んでから1年くらい空くわけだから、私みたいにメモリー容量の小さい読者にとって、そんなに重要でない登場人物はいつもはっきり思い出せないまま読み進めることになってしまう。
さて、次巻が最終巻とのことです。したがって今巻はラストへ向けての予告編てな印象を持ちました。なんたってヴォルデモートが記憶の中以外、出てこなかったですからねえ。
評価:8点
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『オシムの言葉-フィールドの向こうに人生が見える』
木村元彦 集英社インターナショナル 05年/12月刊
私の周りでは最もサッカー好きなK海さん(今回も現地観戦に行ったらしい)がこの前言ってました。「オシム、いいなあ。。」
へえ、いいんや。。
ジェフの監督ということ以外、何にも知らない似非サッカーファンの私は、本屋で偶然見つけて即、買いました。
さて、どんな人か?本文から抜書きすると、
「Jリーグのオールスターサッカーのサポーター投票で監督部門を独走する男」であり、「現役生活は12年間、特筆すべきはイエローカードを1枚も提示されなかった」らしい、すげえ!
オシム語録という言葉がメディアでよく採り上げられているし、この本もよく出てくるので、まさしく語録のような本かと思ってましたが、そういうわけではなく、オシムのこれまでのサッカー人生を紹介するような内容で、当然、祖国の問題にもかなりページが割かれていました。その辺の問題は地名がややこしくて地図でも挿入されていればもっとわかりやすかったんですけどねえ。
感想ですが、監督としてよさそう!ぜひ日本代表を率いてもらいたい!と思いました。ちょっとお歳ですが。。
読む前は、オシム語録として紹介したいものがたくさんあるかなと思ってたのですが、そういうわけでもなかったです。語録というにはふさわしくないけど1つだけ紹介。
「日本人は平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。野心に欠ける。これは危険なメンタリティーだ。受身過ぎる。(精神的に)周囲に左右されることが多い。・・・」
それと、ジェフで通訳をしている間瀬氏についてピックアップします。
「彼は現役生活をすべて海外で燃焼した稀有な日本人フットボーラーだった。/日体大を卒業後、単身海外に渡り、サッカーで生活を立ててきた。渡り歩いたのはアメリカ、メキシコ、グアテマラ、エルサルバドルそしてクロアチア。(2部とか3部ばっかりらしい)・・・「人生なんて、みんな、価値観、それぞれ違うわけじゃないですか。サッカーなんてどうでもいい、サッカーなんて嫌いな人だって世の中にいるわけです。でも自分はサッカーを好きで、とことん追求することができた。代表になれたわけではない。サッカーで大金を稼いだわけでもない。それでもね、確かに自分は貫いたという自負があります。」」
Jリーグの試合はガンバ以外は全然見ませんが、ジェフ市原ちょっとチェックしときます。
評価:8点
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『不勉強が身にしみる -学力・思考力・社会力とは何か-』
長山靖生 光文社新書 05年/12月刊
kuniさんの紹介 で読みました。
序章にて「本書は、凡庸な親が、子供の教育に悩みながら、親もまた勉強しなくてはならないと考え、しかし何をどうやって学ぶべきか、そもそも勉強とは何だっけ、といった事柄を思い悩むドキュメントである。」と書かれていますが、内容から判断するに、この著者はかなり勉強していることがうかがえます。
いつものようにいっぱい抜書きします。
手厳しいことを言うと、「努力しても報われない」と感じている人の多くは、実は努力をしていない。いや、まったくしていないわけではないだろうけれども、やっぱり「努力している」と言うのは、ちょっと図々しいレベルに留まっているのではないか。努力しているとしても、やっぱり「勝ち組」の方々に比べると量も少なく、効率も悪く、「努力している」というのには、あたらないのではないか。/・・・/だいたい、世の中で努力をまったくしていない人間なんて、いないのである。努力するのは、特別のことではなく、生きている以上、当然の行為なのだ。そうやってみんなががんばっているなか、他人と差をつけようと思ったら、よほどの力量か工夫か持続力がいる。/たとえば敵前逃亡の五十歩百歩には大差はないかもしれないが、これが毎日の前進努力の積み重ねとなると、五十歩と百歩では、明らかに大きな違いとなってくるだろう。みんなが百歩前進しているとき、自分だけが五十歩しか進まなければ、進んではいるにしても、結局は五十歩の退却をしたのと同じになってしまう。世の中が進んでいるとき、何もせずに留まっているというのは、留まっているのではなく、逃亡し、退却をしていることに他ならない。
他人と比較しなければ、その人の社会的な評価は計れない。それが現実というものだ。もちろんそれは、本人の全人格的存在の評価とは別のものだが、それでいいのである。勉強や仕事をしているときだけが、その人間の価値ではない。ただ、仕事を介して関係する他人にとっては「その人の人間的魅力ではなくて、仕事の能力や熱意や精度が大事」というだけのことだ。学業成績は、そのための基礎訓練のバロメーターである。いっしょに飲むなら、話が面白い人間のほうがいい。しかし私は、話が面白くて笑顔が魅力的な政治家よりも、汚職をしないで真面目にいい政策を立案・実行する政治家に一票を投ずるだろう。人間的魅力と職業適性はイコールではない。/子供の主体性を重んじ、人間の本質を自由なものと考える立場から、競争は人の精神を歪めるものとの見方をする人々もいる。過度のプレッシャーは禁物だ、とも思われている。だが、競争を排除したら、そこから先は変化は生まれない。成長も抑制されてしまう。
ドイツの諺では「運はそれを掴むべく準備と努力を怠らぬ者に訪れる」と言う。/・・・/漠然とした夢を明確な目標として確立する。/そして、その大目標を